☆私が作家になりたい理由☆



 私は小学校で漫画を描いていました。
 主人公は9歳の女の子。長い金色の巻き毛で、オレンジ色のメッシュが入っていて、髪を高い位置で結っている。緑色のセーラー服を着た子です。名前はエリカといって、地球を一秒間に八週するという変な特技を持っています。
 純粋に世界平和を願う彼女は雲の上の世界「ライングル界」の一番大きな国「エリカ村」の次期長です。国なのになぜか「エリカ村」なのはどうしてなのか、私にも分かりません。けれど、なぜか私はその漫画を今も書き続けています。
 彼女の友達は科学者のガッちゃんとその妹の女剣士ペアリと泣き虫のカイジュウ(皆にはタコスと呼ばれています)、そしてなぜだか銃が得意のウッドです。皆はライングル界の国々の王族で、そのうち国の長となる事が決まっていました。
 題名は「エリカそうだんしつ☆」。ライングル界の国同士の争いに巻き込まれる五人の漫画です。
 いつも何の理由もなく戦ったり魔法を使ったりする行き当たりばったりで起承転結なんてくそ食らえの漫画でしたが、私はそれを描くのが大好きで毎日毎日書きまくりました。時には気分が悪くなって吐いたりもしました。
 あれは小学校6年の時の事です。
 私の漫画を読んでいた友達が突然
「もみじの書いた小説、見てみたいわぁ」
と言いました。
 軽い気持ちで「エリカそうだんしつ☆」の番外編を書きました。その当時私が知っていた小説の書き方を真似て一人称、言葉はそんなに難しくもない短い言葉を連ねて、思うが侭に書いてみました。今読み返してみると正直笑えるくらい面白くなんかないのに、なぜかその友達は大爆笑。続きが読みたいといわれるようになりました。
 はじめは本当に趣味程度でした。ただ、面白かったらそれでいいや。楽しかったらそれでいいや。読んでくれた人達が笑ってくれるのがただ純粋に嬉しくて、私はひたすら小説と漫画を描きまくりました。
 中学校に入った頃、私は今まで書いたことがなかった「エリカそうだんしつ☆」以外の小説を書き始めました。漫画も小説も、それ以外のは最後まで書き上げられなくて、結局最初の一ページで止まってしまうような状態だった私が始めて最後まで書けた小説でした。
 題名は「ブラックスピリッツの暗殺者達」。
 主人公の女の子スウェルがブラックスピリッツの暗殺者として一人前になっていくまでを書いたものでした。
 なぜだか途中から恋愛ものになっていて、一人で大騒ぎをしたのを覚えています。奇声を上げながらシャーペンの芯をボキボキ折って、ノートに穴を開けては書きました。長い時間がかかったのですが、私はその物語が好きになり、小説を本格的に書き始めました。
 とはいってもやっぱり楽しかったらそれでいいという小説だったので、起承転結どころか設定すら曖昧なまま、気がつけば四冊目まで行き着いていました。
 私は四冊目で物語を終わらせましたがなんだか沢山作ったキャラクターがもったいない気がして外伝という形で続きを書きました。そのノートはあっという間に四十冊を超えてしまいました。
 私はその外伝を書き始めた辺りからいじめられるようになりました。
 小学校で私に小説を書くきっかけをくれた友達が私の新しい友達に嫌がられているのにもかかわらず、小説の話を聞かせるからでした。その子が憎くて仕方がなくて、でも私にはどうする事も出来ませんでした。
 いくら声を張り上げて
「私はこの子みたいなオタクじゃない」
と言ってみても、誰も聞いてくれませんでした。耳を塞いで、オタクっていうレッテル貼って、私をクラスの輪から弾き出して、笑っている友達を見ているのが苦しかったです。
 私は沢山居た友達を皆失ってしまいました。今まで書いていた筈の明るい物語は一転して暗く陰気な物語に変わってしまって、私は漫画をほとんど書かなくなりました。
 一人ぼっちで教室に居る時、私は山ほど本を読みました。外国文学ばかり、いくつもいくつも。教室での陰口を聞くのがつらかったので、何も聞こえなくなるくらい集中しました。
 そのうち、私は本気で小説を書こうと思いました。
 小説を書けば、もし作家になれたら、私は一人ではなくなるんじゃないか。少なくともいじめはなくなる筈だと、そう思ったんです。
 私が何時間もパソコンの前で小説を書いていると、親や妹は馬鹿にした目で私を見つめてまた聞こえよがしに陰口をいうようになりました。私はそれでも描き続けました。いつしか書く目的が『馬鹿にした小説で親よりもずっといい給料をもらってやる』に変わりました。親の嫌がらせでデータを消されたり、プリンターを使わせてくれなかったりもしました。それでも私は書き続けて、いつの間にか大嫌いだった中学校を卒業していました。
 私は高校で沢山友達を作りました。書道部にも入って、学校が凄く好きになりました。時々書道で賞を取る事が出来ると嬉しいです。
 でも時々思い出す、嫌な中学校の記憶に今も悩まされています。ある日突然、また友達の輪から弾き出される夢やオタク扱いされる夢を今もしょっちゅう見ます。
 それでもまだ家に帰ると親が小説の事で嫌がらせばかりを続ける日が続いていました。私は嫌で嫌で仕方がなくて、さっさと上達したくて日に何万字も書きました。
 一年の夏休み、こんな宿題が出ました。「芥川龍之介の羅生門の続きを書く」という作文の宿題です。友達に優秀だったら図書券がもらえると聞いて、私は真剣にその宿題をしました。原稿用紙一枚分にまとめるのが難しくて、なかなか上手く書けなかったのですが、それなりに満足できる作文を書いて、私は提出しました。
 友達が必死で書いていたのできっと賞は取れないだろうなぁと思っていましたが、二学期に入ってからしばらくすると私の作文が廊下に張られていました。ちゃんと賞を取れていました。必死で宿題をやっていた筈の友達は入っていませんでした。
 私は図書券をもらえませんでしたが、文房具と賞状をもらいました。正直、文房具なんてどうだってよかった。私は賞を取った事が嬉しくて仕方がありませんでした。
 家に帰って母親に自慢すると、それまでの嫌がらせは全部なくなりました。母親は元々陰口を言う程度でしたが、それからはほとんどなくなりました。今まであれだけ偉そうに
「そんなんしても無駄無駄」
とか言っていたのは何処へやら。最近は賞に出すたび手伝ってくれます。正直、腹が立ちますが、用のある時だけ利用するようになりました。
 それからしばらくして、私の書いた人権作文もいいから本に載せたいと先生に言われました。自分の事を書いた作文だったので、名前は載せないでもらいました。でも母親はそれが嬉しかったようで、小説の事では何もいわなくなりました。むしろ、応援してくれるようになりました。
 私はその時からいろんな会社の小説大賞に小説を出すようになりました。どれも落選でしたが、なぜか一番文句を言っていた筈の母親が
「ハリポタかて、はじめは何処も受け付けてくれんかったんやから」
と励ましてくれました。
 書道でもよく賞を取って、舞台に上がる事が多くなりました。そんなに凄い賞は全く取っていないのですが、賞状をもらうと必ず呼ばれて、友達に
「もみじって凄いね」
と言われました。それがなぜだか凄く嬉しかった。今まで一度もこんな事を言われた事がなかったから。
 私は明るい小説を書けるようになりました。
 何があってもくじけない、強い主人公を沢山書きました。無敵で明るくて、友達に囲まれて笑う主人公です。私の時と違って必ず誰かが手を差し出してくれる人がいて、だから強く胸を張っている、そんな主人公を描きました。
 私は何気なく昔書いた小説を読み返して、書き直すようになりました。そのとき必ず、私は平和やいじめをテーマの一つに入れるようになりました。
 「ブラックスピリッツの暗殺者達」はもう五回も書き直しました。どんどん物語は変わっていって、テーマが子供兵士の反対になっていました。はじめはほとんど使っていなかったキャラクターに主人公がホレたり、主人公の兄貴分が語る形をとったり、でも書いていて小さかった頃と同じで楽しかったです。
 昔みたいに悔しいから書いているんじゃありません。小学生の私が漫画を描いている時と同じ、純粋に面白いから書いているんです。時には苦しくなって放り出してしまいそうになるけれど、好きだからこそパソコンに向かっていられるんだと思います。
 いろんな事があったけれど、だからこそ今は胸を張れます。恥ずかしいなんて、思わない。
 私が作家になりたい理由、それは「ただ純粋に面白いと笑ってもらいたいから」です。


Fine.




  あとがき

管理人が作家になりたい理由をエッセイにしたものです。
とあるサイトに掲載していました。
これを書いたのはつい最近ですが、なんだかもう凄く前のような気がします。
よし、またこんなのをUPできるように頑張ろう!!




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