忘れられなくて



私が小学校に通っていた頃、ケンカ友達が居たの。

私よりも少し背が低くて、ぼさぼさの髪の男の子だった。

色白で、痩せている生意気な奴。でも憎めないような性格だった。

彼は頭が良くて、いつもテストは100点だった。

いつも席に座っていろんな本を読んでいて、

クラスメイトとはあんまり仲良くしない子だった。

私は頭が悪かったし、テストはいつも60点くらい。

沢山友達が居たけど、どっちかというと女友達よりも男友達とケンカしている方が好きだった。

彼によく馬鹿にされて、ムカついてケンカしたりした。

殴り合いとか、蹴り合いとか。

ケンカする事はあったけれど、あの頃の日々は輝いていた。

まるで太陽のようにキラキラと強く輝いて、毎日凄く楽しかった。

彼は意外と親切で、本当に困っている時には必ず助けてくれた。

テストのやり直しをしていても何がおかしいのか分からなかった時、笑顔で教えてくれた。

でもそのあと、

「お前馬鹿だよな」

って言うのも彼は忘れなかった。

 そういう彼の笑顔は優しくて、今もまぶたに焼き付いたまま離れない。

それからまた少しケンカして、笑って仲直りして、また一緒につるんでた。

あんまり人と仲良くしない奴だったのに、私とは結構仲良くしてくれたと思う。


中学校に入学してからだった。


クラスがバラバラになって彼とも離れてしまった。

小学校の時みたいな毎日はだんだんなくなって、彼とケンカする事も無くなった。

廊下ですれ違うと手を振って笑う。

そんな関係になった。

私は塾に通い始めた。

どうしても勉強についていけなくて、塾に行って沢山勉強した。

数学と英語を受けていた。

勉強しながら、アイツどうしてるかなぁと何気なく考えてばかり。

あんまり成績は上がらなかった。

授業中も隣りのクラスのアイツはどうしてるんだろうってそんな事ばっかり考えて、

先生の言葉は右から左へと抜けていった。

二年生になってもやっぱりクラスは違った。

少しだけ期待していたけど、
男子と女子がきっぱり別れてしまうような時にアイツは私と話なんかしてくれる筈ないと思った。

でも彼は会うと時々話をしてくれた。

帰り道に部活の先パイの事やパソコンの事。

本の事。

二人きりで歩いた日もあった。

アイツはからかわれるのも気にしないで隣りを歩いてくれた。

夏休みに入ると、塾での勉強が嫌になった。

私はクーラーが苦手だったから、冷たい部屋の中に居ると寒くて仕方がなかった。

寒いなぁと思いながら席に座って、

先生が来るのを待っているとアイツがすぐ隣りに座っていた。

 私の顔を見つけると

「お前の塾、此処か?」

といつもと何ら変わらない様子で言った。

優しい瞳は小学校の時と全く変わっていなくて、無邪気に輝いていた。

 寒いという感覚が一瞬で吹っ飛んだ。

「じゃなきゃ居ないでしょ?」

私は笑って鞄から教科書を出すと、しばらくぼうっとしていた。

授業が終わると、アイツは私の隣りに来て

「お前、相変わらず馬鹿だな」

と言った。完全に見下した目だったけど

「馬鹿だから塾に通ってるの」

と言いかえして笑った。

一緒に自転車を押して帰った日の事、私は今も覚えている。

相変わらずケンカしながら笑って帰った。

夕暮れの空を見上げて笑った。

小学校の時とは少し変わった、私よりも背の高いアイツが私の隣りを歩いてた。

大きな月がアイツと私を見下ろして、キラキラと優しく辺りを照らした。

思い出す限り、今まで一番輝いた日だったのかもしれない。



それからしばらくして、私は彼にメールアドレスを訊いた。

付き合いがなかったら寂しいから、教えて欲しかっただけだったけれど、

彼は教えてくれなかった。

その日からだった。

彼が急に遠くなった。

塾はいつの間にかやめていたし、廊下ですれ違っても手を振らなくなった。

なかなかアイツの顔が見れなくて、

隣りのクラスの友達に会いに行くフリしてアイツの顔を遠くから見ていた。

あんなに近かったのに、今はこんなにも遠い。

そんな毎日が苦しかった。

寂しかった。

廊下ですれ違う時のアイツの顔が怖かった。

今までこんな事はなかったのに、ただの友達だったのに、そう思っても仕方がなかった。

隣りのクラスの友達の席から見る、アイツの背中がとても遠く感じた。



ある時、そんな彼とまた一緒に帰った。

久々に見ると背はとても高く、声はとても低かった。

でもやっぱり面影はあって、

生意気な言葉と無邪気な瞳とぼさぼさの髪があの頃とは全く変わっていなかった。

彼は

「お前、寝癖ついてるぞ」

と私をからかって駆け出した。

私は迷わず彼の背中を追いかけて、あの頃と同じように殴りかかった。

握った拳を後ろに引いて、彼に向かって言ったけど、その手はあっさり掴まれた。

押しても引いても、アイツの手を振り払えなかった。

私を見つめる不思議そうな瞳にどきっとして、

その手を力一杯引いて彼から離れると少しだけ息が切れている事に気がついた。

胸が爆発しそうになるのも感じた。

アイツが不思議そうな顔をしているのも構わず、私は逃げ出すように駆け出し、家に向かった。



私は放送委員だった。

優しくしてくれる先パイが一人居て、時々あって話をしていた。

その人はさらさらの長い焦げ茶色の髪で、背は低いけれど雰囲気は少し他の人とは違った。

絵がとても上手くて、優しい人だった。

先パイに気になっていた事をいろいろと相談した。

言いにくかったから手紙を交換したりした。

先パイは親切にどんな時でも返事をくれた。

私はある時、その手紙にこう書いた。



――――



男友達と久々にあってケンカしたんです。

昔は殴れたのに、この前のケンカじゃ殴れなかったんです。

あの時、アイツの目を見たら胸が苦しくなったんです。

背も高くなったし、声も低くなったし、力も私なんかよりずっと強くなった。

そんなアイツが怖いんです。

どうなってるのか分からないんです。

先パイは分かりますか?



先パイはすぐに返事をくれた。

セーラー服の胸ポケットに小さなメモをそっと入れて、

私のよりも背が低いのに優しく頭を撫でて

「可愛い」

と言った。

私はそんなに可愛い顔をしている訳じゃない。

今までそんな事は滅多に言われた事はないし、自分がブスなんだと思ってきた。

だからそれが嬉しくて、少しだけ笑った。

先パイは笑って

「何かあったら言ってね」

と言ってその場を離れて行った。

小さな背中を見送って、私は胸のポケットの中のメモをポケットから出した。

メモにはこう書かれていた。



――――



初恋を知っちゃったかぁ〜(笑)

そんな事でパニックになっちゃう貴方って奴は、本当に可愛いんだから♪

大丈夫、貴方ならきっとその彼を振り向かせる事が出来るから。



私は何度もそのメモを読み返して考えた。

今まで恋なんて遠い存在だった。

恋の話題が出ても、私は頷いているだけだった。

そんな私が恋なんかする筈ないと思っていた。

でもそれから先パイに会うたび

「当たって砕けるんじゃ駄目、砕けるまで当たってやれ!!」

と言われた。

 でもアイツはもう近い存在じゃない。

昔はもっと近くに居た。

私だけがいつまで経っても子供で小学生のままで、

私を追い越して成長して大人っぽくなったアイツの背中をがむしゃらに追いかけているだけだった。

結局、進展がないまま先パイは卒業してしまった。

卒業式の後、私の頭を優しく撫でて

「いい女になって、その子に可愛がってもらうんだよ」

と言って先パイは私を優しく抱きしめてくれた。



私は三年生になった。

クラスメイト達は忙しく勉強を始め、私はまた一人取り残された。

アイツはもう私に手も振らなくなった。

心の中にぽっかりと穴が開いて、アイツの背中を見ているのがつらくなった。

その頃からだった。

アイツの事を考えると胸が苦しくなって涙が溢れそうになった。

必死で涙を堪えて、帰り道で声を張り上げて歌った。

夜になると意味も無く涙が溢れた。

暗い部屋の中で足を抱えて声を殺した夜もあった。

動こうと思うのに動けなくなる日もあった。

つらくて悲しくて、心の中がごちゃごちゃになって、カミソリを手首に滑らせた日もあった。

手首から溢れた深紅の血を見ながら泣いた。

手首じゃない、心の何処かがとても痛かった。

手首を切っても心の中の穴は塞がらなくて、結局声を殺して泣くしか無かった。



受験と勉強だけの日と、声を殺して泣く夜が何度も過ぎて行った。

塾の隣りの席がぽっかりと開いているのを見ても、また涙を必死で堪えるしかなかった。



卒業式の日、彼が珍しく私に笑って手を振ってくれたのだけを覚えている。

いつもより少しだけ近くに居る、アイツの無邪気な瞳が優しく輝いていた。

小さかった私の瞳に映ったのと全く同じ、優しい輝きだった。

私はさっさと家に帰って、高校に行ったら沢山友達を作ろうと思った。

今までの思い出全てを忘れようと決めた。

アイツの事も忘れて、先パイがしてくれたように優しく抱きしめてもらおうと心に決めた。



高校の入学式の日、私は早速友達を作った。

女の子の友達だった。

女の子と何を話していいか分からなかったけど、気にする必要はなかった。

ただ、普通に話をすればいいだけ、戸惑う事はあったけど気にするほどの事はなかった。

その翌日、早速授業があった。

担任は書道の先生だったし、自分も書道を選択していた。

筆を握れば何でも忘れていられる。

]何も考えなくてすむ。

だから私は必死で筆を走らせた。

隣りの席の男子が私の字を見て

「凄いね」

と言ってくれた。それがなぜだか嬉しかった。

書道の授業中、私は彼と沢山話をした。

とはいえ、話の内容は書道の事だったけど、楽しいと思った。

新しく出来た友達と教室に帰る時

「あの子とラブラブじゃん」

と言われて少し恥ずかしかった。

でも嫌ではなかった。悪い感じはしなかった。

ただ、胸がちくちくと痛んだ。

アイツの事を思い出して、胸がまた苦しくなった。



友達は皆、恋愛の話が好きだった。

私は恋愛なんて興味はなかったけれど、先パイとの手紙を思い出して、何とか話について行った。 でもそんな話をしていると忘れようとしている過去を思い出してつらくなった。

それでも笑っていようと、私は必死だった。



同じ書道を選択している友達が、隣りの席の男子の事を話していた。

私は自分に自信がなかったから、男子の顔なんか見ていなかった。

だから、あの子だよと言われてもふ〜んとしか思えなかった。

でも、それを聞いた他の友達が本気になって

「メアド聞いて来い!」

と言い出した。

私は不安だったけれど、アイツの事を忘れるチャンスかもと、頷いた。

男子は眼鏡を掛けていた。

よく見るとチャラチャラした感じの人でアイツとは正反対に見えた。

ただ、アイツ授業中だけは眼鏡掛けていたなぁと思い出した。

でもすぐに、ダメダメ、忘れようと私はそんな思い出を振り払った。

男子は友達の一人が話し掛けて、あっさりメアドを聞き出した。

私はそんな友達の後ろで黙って立っている事しか出来なかった。

男子を相手にケンカ以外の言葉を掛けた事はないに近い。

いつだってケンカして、拳を握ってた。

長いスカートをたくし上げて蹴りかかっていた。

普通の女の子として男子に声を掛けた事は本当にないような気がする。

だから私は結局、ありがとうの一言以外、ほとんど何も言わなかった。



それから何度かメールをして、男子と仲良くなった。

好きなものの事や、受験の事、

どうだっていいような事ばかりだったけれど、少しの間はアイツの事を忘れていられた。

その人は私が何処かの誰かさんとケンカしていた事を知らない。

傘でのチャンバラ、蹴り合いに殴り合い、何も知らない。

私が乱暴な性格だって事も、彼の事を思い出して泣いている事も知らない。

ただ、クラスで笑っている私だけを知っている。

女の子としての私しか知らない。

本当にこれでいいのかと、私は何度も問いかけた。

誰もいない。

だから答えは返って来ない。

ただ静かに静寂に飲まれて消える。

それだけ。

期待している答えも無く、私は空を見上げる事しか出来なかった。



それからすぐに、その人は私にドーナツやケーキをくれるようになった。

 甘い物が好きだから、嬉しかった。

でもそれだけだった。

料理なんてカップラーメンくらいしか作れないような私にとって、

ケーキ作りなんて遠い存在だったから。

友達は私を囲んで口々に囁いた。

「あの子、絶対アンタの事が好きなんだよ」

「じゃなきゃ作って来ないよ」

私はそんな言葉を聞きながらアイツだったらいいのになぁと、そう考えていた。

甘いドーナツを頬張りながら、すぐ隣りで嬉しそうに見ている男子が不思議で仕方がなかった。

傷つくかもしれないのに、どうして私に近寄ってくるのかなぁと。



その週の土曜日だった。

友達とメールしていると

「告白したら?」

とメールが来た。

私は少し考えた。

何もかも全て忘れよう、アイツなんかどうだっていい。

もう思い出したくないとさえ思う。

なのに記憶は消えてくれない。

いっその事、男子と付き合って忘れてしまえばいいんじゃないかと思った。

「どうやって?」

私はそう、友達に返事を送った。

もう、忘れてしまおう。

ただその一心だった。

ただ、アイツの事を思い出さなくていいのならどうなってもいいと思った。

返事はすぐに来た。

「想ってる事を伝えればいいんだよ」

私には想っている事が思いつかなかった。

ただ、ドーナツおいしかったよ、ありがとうとそれだけだった。

私は一人、途方に暮れるしかなかった。



私は昔から描く事が好きだった。

ノートに絵を書いて物語を作ったり、マンガを書いたり、小説を書いたり。

だから想像する事にした。

物語の主人公だったら、どう思い、どう伝えるのか。

キャラクターになりきって台詞を並べて行く。

案外簡単に想像する事が出来て、私はメールにそれを打ち込んだ。

ケータイを持っていない私はパソコンのフリーメールを使っていた。

パソコンで文字を打つのは得意だったから、思ったよりも早く出来上がった。

彼はそのメールにすぐ返事してきた。「逢いたい」と書かれていた。

私の家は門限が厳しかったので無理だとだけ返事をした。

本当にいいの? 

アイツが好きなんじゃないの? 

と自分に尋ねたけど、結局答えは返って来なかった。



私はその人の彼女になった。

心の中が罪悪感でいっぱいになった。

アイツの隣りに居る方がいいんじゃないの? 

好きじゃないのに、一緒に居ていいの? 

でもやっぱり答えは返って来なかった。

ただ、胸がズキズキと痛むだけだった。



彼氏は私と一緒に帰るようになるとなかなか帰らせてくれなかった。

べたべたした付き合いは嫌いだけど、一緒に居るしかないと堪えた。

家に帰ってやりたい事が沢山あるのにと思いながら、私は空を見上げていた。

口唇にキスされても、「やめて欲しい」意外の感情は生まれない。

罪悪感が心を満たすだけ。アイツの事を思い出して悲しくなるだけだった。

そんな毎日がつらかったから、彼氏とはすぐに別れた。

彼氏には悪かったと思ってる。

でも、私みたいな女と一緒に居るくらいだったら

他の女の子を見つけて幸せになって欲しいと思った。

周りの友達には

「どうして?」

と訊かれた。

でも私は本当の理由が言えなかった。



それからしばらくしてだった。

図書館に本を借りに行ったらばったりとアイツにあった。

また少し背が伸びて、かなり大人びていたけど、無邪気な目は相変わらずだ。

「よう」

「ようっ」

短い挨拶がすむと、二人で図書館の奥で話をした。

やっぱり、心の何処で彼が好きだったんだろうな。

二人で並んで話をした時、嬉しくて笑った。

「高校、どうだよ?」

彼が言った。

私は

「楽しいよ」

と答えた。

本当はお前が居なくて寂しいよと思っていたんだけど、黙っていた。

「お前さ、俺にメアド訊いた事あったじゃん」

「それが何?」

「教えなくて悪かったな」

彼はそう言ってそっぽを向いた。

頬がほんのりと赤く、恥ずかしそうな顔をしていた。

「いいよ、別に」

私は彼の顔を見ながらそう言った。

陽の光を受けて、彼の髪は茶色っぽく見えた。

やっぱり何も変わっていないなぁと思いながら、私は彼の隣りで笑った。

「何笑ってんだよ」

「別に」

それから彼は思い出したような様子でポケットから小さなメモ帳を出すと、

何かをさらさらと書いて私に押し付けた。

「何?」

「メアド」

私はそれをそっと広げて、それからぎゅっと握り締めた。

懐かしい、彼の筆跡が確かにあった。

「明日も此処に来いよ」

「分かった」

「メールしろよ」

「分かった」

彼は真っ赤な顔をして立ち上がると、私の肩をそっと叩いて帰った。

そんな彼の背中を見送りながら、私はメモをぎゅっと握り締めて笑った。



私は家に帰るとパソコンをつけてメアドを打ち込み、テストメールを送った。

返事が来るのを待ちながら、私は笑っていた。

もう二度と会えないと思っていたのに、また逢えた。

あの時、教えてくれなかったメアドが今此処にある。

あの背中をまた見る事が出来て嬉しかった。

胸がいっぱいになって張り裂けそうになって、涙まで流れてきた。

私はパソコンの前で涙を拭いながら、彼の事を考えていた。

ずっと逢えなくて寂しかった。

すぐそばに居た筈のアイツが離れて行くのが怖かった。

そんな日々が嘘みたいに思えた。



翌日、パソコンの画面には一通のメールがきていて、其処には一言

「また図書館で待ってる」

と書かれていた。

私は嬉しくて笑うと

「分かった」

と返事を返して学校へ行った。



その日、学校の図書室に本を返しに行った時だった。

優しそうな男子が私に話し掛けてきた。

少し長めの髪が私の鼻先を掠めた。

さらさらと揺れる髪を見ながら、何の用だろうと思っていた。

「ねぇ、彼氏いるの?」

「いないですけど」

私はそれだけ言って、さっさと立ち去ろうとした。

その人は私の手を掴むと

「待って、名前は?」

と私に言う。

少し怪しい気がして、私はその手を振り払い、その場から逃げ出した。

 

でもその帰り、友達と一緒に校門の前に差し掛かった時だった。

図書室の男は其処で私をじっと見つめていた。

私と目が合うと、ソイツは私に近づいてきた。

は友達とその場を離れようと、少し急ぎ足で歩いた。

間に合いそうになくて、私は恐怖を覚えた。

変な人と一緒にいるのは嫌だと、そう思った。

友達の手を引っ張って歩いても、図書室の男は走って近づいてくる。

「おい」

声が聞こえて、私は手を掴まれた。

図書館の男ではない、別の人の手だった。

それは不思議と懐かしいような、暖かいような気がした。

「何処行くんだよ、俺の事を無視すんのか?」

「あ」

「なに? 彼氏?」

「ケンカ友達♪」

私はそう言って彼の腕を掴むと、友達に手を振って駆け出した。

あの変な人から離れなくちゃと必死になって走った。

ありがたい事に図書館の男はついて来なかった。

彼は不思議そうな顔をしていたけど、黙って走り始めた。

面倒くさそうな顔をしていたけど、

私をじっと見つめている図書室の男に気がついたようで、何も言わなかった。

しばらく走って角を曲がり、図書館の男がついてきていないのを確認すると私は立ち止まった。

彼は少し怒ったような顔をしていた。

「あの男、なんだよ?」

「今日、図書室で会った変な人。私の事、あそこで待ってたみたい」

「お前みたいな女の事を待ち伏せなんて相当趣味悪いな、アイツ」

彼は笑って私の手を引っ張ると腕時計を見て

「昨日より一時間遅刻」

と囁いた。

私は昨日、明日は遅くなると伝える事を忘れていた事に今更気がついた。

「ゴメン、本当にゴメン! 言うの忘れてた」

謝った所で彼が許してくれるなんて思っていなかった。

またケンカにでもなるかな? 

と私は考えていたけど、彼は急に私の腕を引っ張ると近くの公園に向かって歩き始めた。

私は彼に引っ張られながら、何処に行くのかな? 

と考えていた。

彼の考えている事はいつも全く読めない。

次の行動はどうなのかなんて全く分からない。

でも図書館に行くなら歩くとかなり遠い。

平坦なところにあるから自転車で行けばそんなに遠くは感じない。

だからって歩けばかなりの距離がある。

この辺りに他の建物なんかない。

あるとしたら田んぼか民家がいいところだろう。

彼は公園の木陰で立ち止まると近くのベンチに座った。

私の手を引っぱり、隣りに座らせると

「お前も変わるんだな」

と呟いた。

まるで遠い昔の事を思い出すような口調だった。

それがなぜか面白くて、私は笑った。

不思議な事に笑いは止まらず、息苦しささえ感じた。

「何がおかしいんだよ?」

「ジジくさっ!」

何とかそう言って、私はしばらく笑った。

彼はとうとうあきらめたような顔をして

「馬鹿」

と囁いた。

しばらくして私の笑いが治まると彼は私に

「許さねぇからな」

と言った。

少し膨れっ面だったけど、優しく笑っている。

そんなに怖いとは思わなかった。

「ゴメン、許して♪」

「じゃあ、言う事を一つ聞いてくれたらな」

「いいよ」

何も考えていなかった。

小学校の頃と変わらない、彼の笑顔があったから。

アイツもまだまだ子供だなぁとしか思わなかった。

彼は少し笑って私の肩を引き寄せると、耳元でそっと優しく

「俺と付き合え」

と囁いた。

真面目に言っているのか一瞬分からなくなって、私は彼の顔をじっと見つめて

「本気で言ってるの?」

と尋ねた。

彼は真面目な顔で黙って頷いた。

「信じられない?」

「アンタの言う事は特にね」

私はそう言って笑うと、彼がバレたかと呟くのを待っていた。

彼のやる事が何となく読めたような気がした。

「これでも?」

彼はそう囁くように言うと私の肩に手を伸ばし、優しくキスをした。

少し驚いたし怖いとも思ったけど、そんな事は全くなかった。

甘くて、暖かくて、もう全てがどうだってよくなった。

ずっとこうしていたいとさえ思った。

何年も溜め込んできた気持ちが急に溢れ出して涙が流れた。

「何泣いてんだよ?」

彼は驚いた顔をしたけど、そっと私の涙を拭ってくれた。

真面目な顔をして、真剣に私の顔を見つめていた。

その顔が愛おしくて、ずっとそばにいて欲しくて、私は彼の背中に手を伸ばした。

「馬鹿……」

「誰が馬鹿だよ?」

「アンタ、馬鹿なアンタが好きだよっ////」

彼は小さく毒ついた。

私は笑うと彼の体温を感じながら目を閉じた。

甘いシャンプーの香りがして、優しい彼の腕を感じた。

頭を撫でてくれる大きな手に甘えて、私は彼をぎゅっと強く抱きしめた。

それからしばらくして、彼はまた優しいキスを落した。

それは長かったのかもしれないけど、私には短く感じた。

今の私には永遠の時間さえも短く感じられる筈だろう。









                Fine.










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