スカイブルーのトレジャーハンター
     皇帝の愛した書は墓の中







 サムとケンカしてからもう一週間も経ちました。仲直りして前よりもずっと仲良くなったのですが、サムはなかなか私に心を開いてくれないような気がします。私だけじゃない、輝や太陽にもです。
 私は明日退院する太陽の隣りで静かに座っていました。
 太陽はさっきまで輝と二人で大騒ぎをしていましたが、今は二人とも疲れて眠ってしまいました。私が持ってきた可愛いネグリジェを着て、太陽はぐっすり眠っています。
 同じようにぐっすり熟睡している輝は長椅子の上で丸くなっています。クーラーが効いているのに薄手のカッターシャツに長ズボンのカッコじゃやっぱり寒いかと思い、私は着ていたカーディガンを掛けてあげました。
「零」
 サムがそう言って部屋に入ってきました。手には何かを持っています。どうやら果物の詰め合わせみたいです。
「一緒に食べない?」
「いいんですか?」
「輝と太陽なら熟睡してるでしょ?」
そう言って、私をぎゅっと抱きしめて笑いました。
「零、疲れてるんじゃない?」
「そんな事ありません」
「少し休んだほうが良いよ」
「大丈夫です」
 少し心配そうな顔をしたサムが私の顔をじっと見つめて、大きな瞳で私の顔をじっと見つめました。青い瞳に何もかも全て見透かされてしまいそう。
 サムは輝が横になっている長椅子に腰掛けて、私から輝へ目を反らしました。それから何も言わずに輝の頭の隣りにりんごを置いて、太陽の腕の中にも同じりんごを乗せました。幸せそうな顔をして眠っている輝は寝返りを打って反対を向いてしまいましたが、サムは面白がって、輝のほっぺたを突っついてくすくすと笑います。その無邪気な笑顔が何よりも素敵です。
「うう」
 少し鬱陶しそうに輝はサムの腕を振り払って、丸くなりました。オレンジ色の髪がサムの手にかかって、サムはますます面白そうに笑いました。
 私は何をするのかなぁ? と輝の顔をじっと覗き込みました。
 サムは面白そうに笑いながら、輝の髪の毛を三つ編みにして一人でウケて笑ってます。りんごを持たせて、鬱陶しそうに丸くなる輝の髪をぐいっと引っ張って笑っています。本当に起きちゃいそうなんですけど、放っておいて大丈夫でしょうか?
「私、オレンジ頭巾よ♪ 零ちゃん、一緒に太陽のところにお見舞いに行かない?」
「サムさん、何一人で遊んでるんですか? 輝が起きちゃいますよ」
「輝はちょっと寝すぎだよ」
 すると、めちゃくちゃ怒った顔の輝がサムの腕をひねり上げて、片腕で押さえつけて
「誰がオレンジ頭巾だよ、太陽のところにお見舞いに行ってもいいけど狼は食べようとした太陽に食われちまったぞ」
と凄く面白そうに笑った。
 サムは凄く苦しそうに暴れていましたが、とうとうその腕から逃げられないまま大人しく観念してしまいました。
「輝、何か特訓したの?」
「合気道と空手をちょっと」
 輝は起き上がって髪を振りほどくと、にこっと笑って
「守られてばっかじゃ、男が廃るだろ?」
と呟きました。なんだか少しだけカッコよくなったように見えます。もしかして、太陽の事を気にしてもう特訓したとか? また過激な事をやったんじゃないでしょうか? 輝の事です、やりかねません。本物のボクサーに挑戦状叩きつけたりとかしていそうです。
 サムはそんな輝の言葉に思いっきり噴出して、病院だって言うのに大笑いを始めました。お腹を抱えて、死にそうなほど笑いまくってます。
「男が廃るって、いつの言葉だよそれ!!!」
「何だよ、そんなに笑う事ねぇだろ?」
「大体、オレンジ頭巾は病気の太陽のところにお見舞いに行く前に狼をやっつけるんじゃないの? 物語が成り立たないよ」
 サムは一人で笑いながら、輝の髪をまた三つ編みにしようと手を伸ばしました。あっさり振り払われてしまいましたが。
「その狼はサムって名前でなぁ、零って名前の妻に食わせる為、果敢にオレンジ頭巾と太陽に立ち向かったけど、返り討ちにされて狼鍋にされたんだぜ。めでたしめでたし」
「全然めでたくないじゃん!」
「いいじゃん、別に。でもサム肉の鍋ってめちゃくちゃまずそう」
「言い出したのは輝でしょ?」
 怒った様子のサムは私の隣りで不機嫌そうに鼻を鳴らしました。赤い髪が窓から差し込む陽の光りを反射してキラキラと輝いています。凄く素敵。
 輝は笑って、サムと私の方をばしばしと叩いて
「零はサムを遠くから黙って見守るんだぜ?」
と大笑いしています。
「零、もちろん助けるよね?」
「当然ですわ、オレンジ頭巾みたいな人でなしではありませんから」
「だよね? 友達を食べるなんて人でなしじゃないよね♪」
 ニコニコと幸せそうなサムさんは私の隣りで無邪気に笑いながら、りんごをむき始めました。不器用な私よりもずっと上手です。綺麗にりんごをウサギに切ってから、一つを私にもう一つを輝に渡して席を立ちました。
 ほかのウサギは紙皿の上に置いたままです。
 私と輝は並んでりんごを食べながら、しばらく話をしました。相変わらずよく寝ている太陽を気にしているのか、輝は小さい声です。今なら目の前でドラムを叩かれても起きないに決まっているのに。
「輝は合気道は好きじゃないって言ってませんでしたっけ?」
「苦手な分野は無くそうと思って剣道と同じくらい強くなったぜ」
「十分強かったのに、不満だったんですか?」
 輝は少し躊躇いがちに顔を上げて私を見つめると、少し悩んでから太陽に目を向けました。悲しそうな優しそうな、不思議な顔をしています。
「これからもスカイブルーのトレジャーハンターをやっていくんだったら、もっともっと強くならないといつかは誰かが死んじまうだろ?」
まるで自分に言い聞かせるかのように、静かに輝は言いました。強い視線が少し恐ろしくも感じられたけれど、でもそれは輝自身が決めた事なんだとそう感じました。
「太陽が無敵だから大丈夫です」
「無敵だったらどうして怪我したんだよ、無敵だったら睨んだだけで敵は全滅だろ?」
「そうですけど、輝だけがそんなに強くなったってバランスはよくないんじゃありません?」
「それでも、誰も怪我しなくたって済むんなら、オレは出来る限り努力する」
 私は悲しそうな輝の背中をじっと見つめました。
 本当に強くなったのかは分かりません。太陽相手には正統派の戦い方だって通用しないんですもの。なんせ、プロにだって通用しそうなくらい強い輝が勝てなかったんですよ? そんじょそこらの人間には太刀打ちできる筈がありません。そんな太陽を守りたくたって、ちょっとやそっとの努力じゃ追いつかないに決まってますよ。
 輝は静かに太陽の髪を撫でると
「じゃ、オレはそろそろ帰るぜ」
と言って立ち上がって病室を出て行きました。
 私は輝の背中に手を振って、そして太陽の顔を見つめました。
 同じレベルだからこそ仲がよかったんじゃないんでしょうか? 今度ケンカした時に、もし輝が勝ってしまったらどうなるんでしょうか? 太陽はもう無敵じゃなくなってしまう。そうなるのを一番恐れているのは太陽自身なんじゃないんでしょうか?
 そんな事は露ほども考えていない輝はゆっくりと歩いて遠ざかっていきました。昔は凄くカッコよく見えた長い巻き毛が揺れて、面影すら残っていない大きな背中を撫でています。不思議、カッコいいとは思ったけど好きではなかったあの頃の方が好きだと思いました。優しく笑って走り回っていた、小学生の輝の方が……。
 しばらくして戻ってきたサムは私の隣りに腰掛けて
「ねぇ、輝は?」
と優しい口調で尋ねました。帰ったと、そういうと、サムは少し悲しそうな顔をしました。
「最近、輝が遠く感じるんだ」
「私も、急に大人っぽくなっちゃった気がします」
「どうしちゃったのかな?」
「さぁ?」
 すると、太陽がむくっと起き上がって
「そんな気しねぇぞ」
と私とサムに言いました。いつから起きていたんでしょうか? 寝ボケてはいない、凄く真面目な顔をしています。
「太陽はいつも輝といるからでしょ?」
「う〜ん、でもちょっとだけさ、輝が前みたいに遊んでくれなくなったんだよ」
「そりゃあ、此処病院だし」
「でも、輝はなんか最近変だ」
太陽は凄く真剣な顔をしていました。本当に輝が心配なんでしょう。少しつらそうな、悲しそうな顔をしていました。私が考えていたとおりに、太陽が輝と上手くいかなくなってしまったらスカイブルーのトレジャーハンターなんてもうやっていられなくなってしまうんじゃないかしら。私はいつまでもこのままで楽しくやっていたいのに。
「太陽の事を気にしてるんだよ」
「オレは気にしてほしくなんかねぇ、輝は輝のままでいたらいいんだよ」
「仕方がないよ、いつかは輝だって成長して大人になるんだから」
 サムの言っている事が間違っていないのは分かるけれど、太陽はまだまだ子供で、どんなに頑張ったって頭じゃ理解出来ないに決まっています。
 私だってそう、まだ太陽と輝とサムとのトレジャーハンターをやっていたい。いつまでも変わらずになんて無理なのは分かっています。それでも、そうなりたいと、私は願います。
 太陽は悲しそうな顔で窓の外を見ました。
 ゆっくりと歩いている輝が、こっちに向かって手を振っています。太陽はそんな輝に軽く手を振って、苦しそうに私の方を見ました。
「大人になったら、輝はオレに見向きもしなくなるのかよ?」
「そんな事は言ってないでしょ」
「だってそうじゃねぇか、輝はもうトレジャーハンターから足を洗うかもしれないんだぜ? だから変なんだよ!!」
「そんな事ないよ、輝が変なのは疲れてるからだよ」
「そうですよ、太陽は輝の親友なんでしょ? だったら輝を応援してあげなくちゃ」
 太陽は頷いて、りんごのウサギを一つ手にとって
「オレはもっと強くならなくちゃ」
と呟きました。

 翌日、退院した太陽はお兄様とケンカした末、空さんが一緒だったらトレジャーハンターをやっても良いと許可をもらいました。
 空さん、内科なのに大丈夫? と尋ねると、傷を縫い合わせる事くらいだったら出来ると、そう言っていました。でも本当に大丈夫なんでしょうか? 解剖の授業で倒れた事があるって聞いたんですけど……。
 太陽はそんな事、知ったこっちゃねぇと退院してすぐに中国に出掛けると言い出しました。家に帰ってトランクに荷物を詰めて笑う太陽を皆が少し呆れて見守っていましたが、仕方がないから行く事になりました。
 サムはリハビリついでに観光しようと言って、トレジャーハンターはしないって笑っていました。”HELL”にケンカを吹っかけられさえしなかったら大丈夫です。太陽だってあきらめるでしょう。
 輝は心配そうに、そんな太陽を見守っていましたが、あきらめて出掛ける準備をしに家に帰りました。サムはそんな輝と一緒に帰るよと、足早に帰ってしまいました。
 私は輝とサムを見送ってから、自分の部屋に帰ろうと歩き始めました。長い廊下を真っ直ぐ行くと、何処から大きなお母様の声がしました。それと一緒におばあさまの声も。
「全く、あの子は悪魔ね」
「本当ね、一体どんな事をしたら銃で撃たれるのかしら。いっそ死んでしまったらよかったのに」
 あの子っていうのは太陽の事だって、私にはすぐに分かりました。彼女が撃たれたのは輝をかばっての事なのに、そんな事は露知らず、お母様とおばあさまは悪口を言っている。
 最近太陽が元気なくて、食事もしなかった理由が分かりました。私やお兄様がいない時にはこうやって、聞こえよがしに悪口を言っていたんです。
 私は真っ直ぐその部屋に入って、仏壇の供え物だったせんべいを取りました。
「お母様、おばあさま、太陽は無敵だから銃弾くらいじゃ死にませんよ☆」
そして、真っ直ぐ太陽の部屋に向かいました。
 太陽は部屋で元気なく悲しそうな顔をしていました。苦しそうに胸を押さえて、座り込んで、深く深呼吸を繰り返していました。
「太陽、大丈夫ですか?」
 そう声を掛けて、私は太陽の肩をそっと叩きました。大丈夫、私が離れさえしなかったら太陽は大丈夫。
「零」
 太陽は元気もなく顔を上げると、私の顔をじっと見つめました。泣いてはいないけど、凄く苦しそうな顔をしています。本当はきっと、声を上げて泣きたいんでしょう。
「泣きたいんなら泣いてもいいんですよ」
「ううん、平気だぜ」
 太陽はにこっと微笑んで、トランクを持ちました。
 泣いても良いのに、太陽は泣きたがらない。苦しい筈なのに、太陽はそれを表に出さないように必死でいる。私はそんな太陽を見ているのがつらい、つらくて仕方がないです。
 私は立ち上がると、部屋を出ました。
 部屋に行って片付けもしていないトランクを引きずり出して中の服だけ入れ替えると、入っていた服は洗濯機に入れて置こうと床に置きました。前にトルコに行った時に太陽が大怪我をしたから、荷物の整理もしていなかったんですね。今度は帰ってからちゃんと片付けしくてはと、私は心に決めました。
 家から出ると、太陽は玄関でトランクを抱えて立っていました。相変わらずさらさらの金髪が風邪に揺れて凄く綺麗でした。最近ずっと眠りっぱなしだったから、起きて立っている姿が懐かしく感じてしまいます。
「太陽、今回は大人しくですよ?」
「もう平気だって、傷だって塞がったから」
 私は太陽の横で笑って、空さんが車を走らせてきたのをじっと目で追いかけていました。いつもはあんなに大きく見える背中が凄く小さく感じます。黒いパンクっぽい感じのTシャツが凄くよく似合う太陽は真っ直ぐ胸を張って前をじっと見つめています。
 車は家の前で止まって、助手席に座っている輝と、運転席の空さんと後ろの席に座っているサムがこっちに手を振りました。
 私は太陽の腕を引っ張って、車に向かって歩き始めました。ぼうっと家の方を見ている太陽を先に車に乗せると、輝が降りてきてトランクを後ろの荷台に積んでくれました。あの輝が手伝ってくれるなんて信じられないんですけどと思いつつも、私は車に乗ってドアを閉めました。
 太陽はしばらくするとうとうとしだして、空港に着く頃には熟睡していました。幸せそうに眠っている太陽の顔は凄く優しいものでした。よかった、泣き顔じゃないと、思わず安心しました。
 呆れた顔で太陽の体を抱き上げた輝は何も言わずにそのまま飛行機に乗ってしまいましたが、いつもだったら絶対にしそうにない事ばっかりする輝の大きな背中が不思議で仕方がありませんでした。

 中国の陝西省の西安にあるホテルに着くと、早速疲れて、私はベッドでしばらく眠りました。サムは何処かの部屋で空さんとチェスをしていたので、私はさっさと目を閉じて眠りました。
 目を覚ますと輝と太陽が私の部屋で字を書いていました。字って、書道をしていたんですよ。凄く綺麗な整った字を半紙に沢山書いて、幸せそうに笑っています。
 びっくりしました。だって、太陽には書道なんて似合わないんですもの。何処かでケンカしている方が似合うんじゃないかと本気で思いました。輝が習字教室に通っているのは知っているので不自然ではないですが、あの太陽が筆? 似合わないでしょう?
「よう、零!」
 太陽はそう言ってこっちを見ました。
「何を書いているんですか?」
「米芾だ」
 それって、何ですかと思いつつ、私は太陽がお手本にしている本を覗き込みました。其処には中心が全部右下に傾いた変な形の字が並んでいます。中国語でしょうか、全部漢字です。
「零は書道やってねぇの?」
「やってましたけど、やめました」
「じゃあ、段位は持ってるのか?」
「一応、四段を」
 太陽の字は上手いんでしょうか? もう本当に芸術の分野に入っちゃっているので何を書いているのかさっぱり読めません。これ、上手いんですか?
 すると、輝が
「零は上手いぞ」
と笑って見せます。それ、小学校の間しかやっていなかった私に言う言葉ですか?
「へっへ〜ん、勝った!」
 太陽は自慢げに笑うと、筆を硯に立てかけて
「オレは八段だ」
とガッツポーズをして笑いました。
「あの〜、その字じゃ上手いのか下手なのか分からないんで楷書にしてくださいよ」
 私はそう言って太陽の筆を握ると、新しい半紙を一枚出して”太陽”と書きました。うん、下手になってます。筆を握るなんて何年ぶりかしらなんて考えながら、太陽に筆を返すと私は輝の隣りに座りました。
「輝も書いてみてくださいよ」
 そうすると、太陽が深く深呼吸をしました。それから顔を上げて筆を調えると、半紙をじっと睨んで
「崩しちゃ駄目なんだな?」
真剣な目をして言いました。なんだか普段とちっとも違う雰囲気で少し怖く感じます。
「はい」
 そう頷いて、私は太陽の書いている姿をよく見ようと立ち上がりました。目をキラキラさせて、太陽をじっと見つめている輝を見ている限り、相当上手いんでしょう。大体、八段ですから、私なんかとは比べ物にならない筈です。
 太陽は座りなおすと筆をじっと見つめて、そして書き始めました。ゆっくりと筆を半紙に下ろして、軽く深呼吸をした太陽の髪が大きく揺れて筆を動かすんです。その速さが半端じゃないんですよ。しゃっしゃっと書いて、とめやはねなんかしている暇がないんじゃないかってくらいの勢いで書いてしまいました。しかも、腕や手首を殆ど動かしていないようで、全身で書いちゃっているんですよね。筆を硯に戻したのだってたったの一回だけ。
 そして、満足げに笑って半紙を持ち上げると、私に見せて
「どうだ〜!!」
と無邪気に笑って見せました。
 その半紙の字は本当に綺麗でした。凄く整っていて、真っ直ぐの線で、私の習っていた先生よりもずっと綺麗な字でした。太陽らしい、全然癖のない字です。
 私は凄すぎて何も言えませんでした。本当に太陽の字は綺麗だったんですもの。こんなに綺麗な字を見たのも初めてだって、そう思いました。一緒にいると何でだろうと思うほど子供なのに、字は本当に大人びています。
「輝も書いてみろよ」
 太陽はそう言って、字を見つめている輝の肩を叩きました。いつもと同じ太陽です。さっきの真剣な目はどこに消えたんでしょうか? 
「オレは下手だって」
「じゃあ、オレが直してやる」
 太陽はそういうと、輝の筆を握りました。そして、さっきの”太陽”と書かれた半紙に筆を走らせて
「この筆、言う事をきかねぇな」
と呟きました。
 輝の筆はかなり長い間使っている古い白の毛の筆です。よく見てみると、真ん中の毛は抜けてなくなってしまっていて、はらいなんかでは必ず穂先が割れてしまいます。
「これはどうしようもないなぁ。こんなの使ってたら腕が鈍るぞ」
 太陽はそう言って、自分の筆を輝に渡して
「これで書いてみろよ、そいつは暴れん坊だから言う事をきかせるのに一苦労するぜ」
と笑いました。
 太陽の筆は茶色の穂先が短い筆です。結構使い込まれているみたいですが、先が凄くききそうです。値札を見ると3150円と書かれていてぎょっとしました。え? こんな筆を使ってるんですか?
「暴れん坊?」
「使い手が操られちまうんだよ」
 輝は驚きながら、そんな太陽に言われたとおり筆をゆっくりと動かして字を書き始めました。細くて震える変な線になってしまって、輝はびっくりしていました。
「何だよこれ? 太陽、本当にこれで字が書けるのか?」
「だから言う事聞いてくれよって筆にお願いして、友達になったらいい字が書けるんだぜ」
 意味の分からない事をいう太陽を見ながら、私は輝を見ました。輝は不思議そうに太陽を見てから、もう一度、字を書き始めました。でもやっぱり綺麗には書けませんでした。私はそんな輝の持っている筆を貸してもらって、いらない半紙に軽く字を書きました。
 凄く先がきいて、逆に不安定になってしまいそうなほどです。しかもいつもと同じように使っていたらこっちが引っ張られてしまう。太陽の言っている事の意味がやっと分かったような気がしました。

 それからしばらくは字を書いていましたが、サムに言われて出かけました。
 太陽がはしゃぎながら博物館を走り回っているのを私は遠くから眺めながら、サムに話しかけました。太陽の後ろをついて走る輝は凄く楽しそうです。
「ねぇサムさん。いい呼び方って何だと思いますか?」
「え? もう絶対呼ばないんじゃなかったの?」
「気が変わったから訊いているんです」
 サムは笑って展示物を覗き込むと
「分からないよ、何?」
と私の顔をじっと見つめました。真っ赤な髪とよくあっていて素敵です。
 大きな青い瞳に吸い込まれてしまいそう。そう思いながら、私は少し目をそらして
「サムって呼ぶ事に決めたんです。輝や太陽とは違う『愛してる』という気持ちを込めて」
というと、先に行ってしまった二人を追って歩き出しました。
 サムは少し恥ずかしそうに俯きながら
「素直に嬉しい」
と呟いて、幸せそうに微笑んで
「ありがとう」
とにっこりと笑いました。
 
 その帰りの事です。
 仲良くオレンジ頭巾がどうしたとか騒いでいる輝と太陽の後ろを追いかけてホテルの近くを歩いていると、賢治さんに出くわしました。昔から被っているお気に入りのシルクハットに白いシャツとGパンのカッコです。見慣れてきてなんとも思わなくなってきましたが、この服装はちょっと浮いてますよ。もう少し雑誌を読んだらどうなんですか、全く……。
「サムくん、零ちゃん、また会ったね。蘭亭叙って何処にあるか知ってる?」
 賢治さんはそう言って笑うと、太陽を見て
「太陽ちゃん、生きてたの? 間違いなく殺したと思ったんだけどなぁ」
と怪しい微笑みを浮かべました。生ぬるい風に吹かれて賢治さんの髪が揺れました。それよりも大きく太陽の髪は靡いて、つやつやと輝くその髪を賢治さんはそっと一房握って微笑みました。
 早速突っかかろうと太陽がその手を振り払って大きく右手を後ろに引くと、輝がそんな太陽の襟首を掴んで後ろに引っ張りました。勢いでしりもちをついた太陽は、痛そうに顔を上げて
「何しやがる!!」
と輝に向かって怒鳴りました。どうやら真面目に怒っているようです。オレの邪魔しやがってって感じでしょうか?
 輝は太陽に背中を向けたまま
「傷が開いたら大変だろ?」
と少し怒った様子で言うと、賢治さんをじっと睨み付けて
「今度はお前が死にたいのか?」
と低い声で囁きました。
 太陽が急に怯えたような目をして輝の背中をじっと見つめ、何も言わずにじりじりと後ろに下がりました。賢治さんではなく、輝に怯えているようです。
 私はそんな太陽に手を貸して、何とか立たせるとそっと背中を擦って
「大丈夫ですか?」
と声を掛けました。
 輝は一人賢治さんともう一人の男に囲まれています。男は太陽が撃たれた時にいたあの男のようです。あの時と同じカッコをしています。勝ち目ないのに、何を考えているんですか? 輝、死ぬ気ですか?
 すると、輝は面白そうに二人の様子を見てから、突然しゃがんで足を蹴り飛ばしてにっこりと笑った。それから二人の持っていた銃をひとつずつ取り上げると一丁をサムに投げ渡して
「二人もいてその程度かよ?」
とにっこりと笑った。本当に、本当に強くなってます。
 その時でした、賢治さんと一緒にいた男の帽子が脱げて、サングラスもずり落ちました。出てきたのはサムと同じ茶色っぽい髪。そしてそのサングラスの下の顔は何処からどう見てもサムさんとそっくりの顔でした。
「オスカー?!」
 サムはそう声を上げて、輝に投げ渡された銃を落としてしまいました。かつんと音を立てて、地面に落ちた拳銃は滑っていってオスカーの手の中に納まってしまいました。
 オスカーはにこっと笑って
「バレちゃったよ、賢治」
と呟いて、銃を真っ直ぐ輝に向けました。サムと同じ強い視線と銃口に輝は黙って後ろに下がるばかり。いくら強くなったって、昔の仲間が銃口を向けられてしまったらどうにもなりません。
 私は輝の腕から銃をもぎ取ると、使い方も分からないのに、引き金に指を掛けて
「オスカーでも何でもいいですけど、銃を下ろしてください!!」
と怒鳴りました。これって引き金を引いたら弾が出るんでしょうか? どうやったらちゃんと当たるんでしょうか?
 私は死んだ瞬間まで見ていなかったから知りませんけど、オスカーは天国に行った筈でしょう? だったらこれは偽者に決まってます。それに、これ以上サムにそっくりな人は見たくありません。オスカーはもう少しかわいい顔をしていましたから、サムとは違った顔だった筈です。
「零ちゃん、酷いんじゃないの? 久々に会ったって言うのにさぁ」
 オスカーはそう呟くと立ち上がって、私の隣りに立っていたサムの前まで歩いていって
「元気にしてた? 母さんと父さんはどう?」
と笑いながら尋ねました。それからサムの真っ赤な髪を撫でて
「俺も赤にしようかな?」
と呟きました。サムは黙ってそんなオスカーをじっと見つめて
「生きてたの?」
と今にも泣き出しそうな顔をしながら囁きました。
「賢治がね、助けてくれたんだよ」
そして、オスカーは太陽の方を見ました。それから昔と同じ優しい笑顔を浮かべて、オスカーと同じような顔をしている輝をじっと見つめて
「さっきまでの軽口はどうしたの、輝?」
と優しく微笑みました。
 間違いない、これは死んだ筈のオスカーです。仕草も表情も、口調もみんな同じ。そして何より、私がサムとオスカーを見分けるのに使っていた首筋のほくろもあるんです。仕草や口調は真似られても、ほくろまでは真似られないでしょう? それがあるって事は本当にオスカーって事ですわ。
 オスカーは銃をサムに向けると
「ねぇ、返事くらいしたら?」
と輝の顔をじっと覗き込みました。サムと違う、冷たい視線が怖くて、私は顔を背けました。同じように輝も俯いてしまいました。
「オスカー、どうしてそんな……兄弟でしょ?」
 サムのか細い声が辺りに響いて、オスカーは少し顔を上げました。とうとう泣き出してしまったサムは苦しそうにオスカーを見つめて泣きじゃくってしまいました。私は銃を真っ直ぐオスカーの顔に向けましたが、やっぱり引き金を引けるほどの勇気はありませんでした。
「サム、ごめんね」
 オスカーはそう言って引き金を引きました。
 私は見たくなくて顔を背けると、銃を放り出して座り込みました。かつんと音を立てて銃は地面に落ち、ガクガクと酷く震える膝と腕が上手く言う事をきいてくれません。胸がズキズキと酷く痛くて苦しいけれど、私は泣いている事しか出来ません。
 どんと大きな銃声がして、腕から血を流しているサムが倒れていました。どうやら掠っただけのようで、太陽の時みたいな血ではなくてほっとしました。でも、ショックだったのか酷く泣いています。
 どうして当たらなかったのか不思議になってオスカーの方を見ると、いつもの太陽が銃を蹴り飛ばしていたからでした。
 大きな背中が私とサムを守るように真っ直ぐ立っていて、さらさらと大きく靡く金色の髪が凄く強い背中を撫でていました。蹴り上げたままの位置で止まっていた太陽の足は一瞬でオスカーの腹に思いっきり当たってそして地面に戻ってきました。怪我なんて諸共しない、無敵の太陽の背中を見て凄くほっとしました。
「このオレの存在忘れてるなんて馬鹿じゃねぇのか?」
 そしてにっこりと笑った太陽は輝に引っ張られて私の隣りに座らせられてしまいました。まだまだやる気だったのか、太陽はふくれっつらでしたが、少し痛そうに顔をしかめたので、私は太陽を止めました。
 輝はそれからすぐに賢治さんをぶちのめし、腕から血を流しているサムを負ぶって走り出しました。
「零は太陽と一緒にゆっくり来い」
 そう言い残して、輝は走って行ってしまいました。
 残された私と太陽は言われたとおり、その後をゆっくりと歩いて追いかけました。部屋は幸い二階だったのですぐにつきました。
 太陽は幸い何ともなかったようで元気でしたが、サムは怪我よりもショックの方が大きかったのか涙を流しながら眠っていました。腕の怪我は放って置いてもそのうち治るって言う程度の軽い怪我だったらしく、空さんは消毒して包帯を巻いたらそのまま寝かせて何処かへ行ってしまいました。何処へ行ったのは分からないですが、私は出来る限りサムの隣りにいてあげたいと思ったので其処を離れませんでした。
 そのうち、魘されはじめたので、私は悩んだ末に起こしました。そっと揺すって
「サム、起きて下さい」
と囁いて、苦しそうに目を開けたサムの右手をそっと握りました。
「大丈夫ですか? 魘されてましたよ」
 サムは何も言わず苦しそうに起き上がると、私の肩を抱きしめて泣き出してしまいました。苦しそうな嗚咽だけが部屋にこだまして、いつもは大きいと感じるサムの肩が今日だけは凄く小さくて、どうにかしてあげたいのにどうにも出来なくて苦しくなってしまいました。
「泣かないでくださいよ」
 私はそう言って、サムの髪をそっと撫でました。
 せっかく死んだ筈のオスカーに会えたのに、銃を向けられて殺されかけてしまったんだもの。つらいんですよね。仲のいい双子の兄弟だったから余計に。
「大丈夫ですよ、今度会った時はオスカーなんか私がぶっ飛ばしてあげますから」
 サムは頷くだけで全く返事をしません。一体どうしちゃったんでしょうか? いつもだったらもっと沢山話す筈なのに。
「どうしたんですか?」
顔を上げて、サムは私をじっと見つめると何かを言おうと口を開けたのですが、空気が抜けて行っただけで声は出ませんでした。何度試しても同じ、声が出なくなっていました。
 私は空さんを呼んで、見てもらいました。
 でも空さんは
「残念だけど、俺に出来る事は何もないよ」
と悲しい顔をして、部屋を出て行ってしまいました。その背中がなぜだか凄く悲しそうに見えて仕方がありませんでした。
 サムは何も言わず、静かにベッドの上に横になって窓から外を見ていました。真っ赤な髪が窓からの陽に照らされてキラキラと輝いているのに、その背中は凄くつらそうでした。
 私はそばに座っている事しか出来ないのがもどかしくてどうしようもないのに、してあげられる事は何もなくて苦しかったです。悲しかったです。抱きしめたくても、何も言わないサムの顔を見ていると何も出来なくて、苦しい気持ちは深くなっていく一方で……。
 輝もそうだったんでしょうか? 太陽が病院にいる間、出来る事はそばにいて話をしてあげる事だけで、今の私と同じ気持ちだったのかも知れない。もう二度と太陽が怪我をしないように、強くなって守らなくちゃいけないと、そう思ったんでしょうか?
 サムはそのうち眠ってしまいました。
 私もサムが傷つかなくてもいいように、輝や太陽のように強くなろう。一人では何も出来なくても、少しでもサムが守れるようになりたい。竹刀や木刀が無くちゃ何も出来ない弱い女の子のままじゃ、守られるばっかりで守る事が何一つ出来ないじゃない。
 私は立ち上がると太陽の部屋に向かって歩きました。誰かにこの気持ちを聞いてもらえたらすっきりするような気がしたんです。胸が張り裂けそうなほど苦しい、今の気持ちを誰かに話したら少しは何かが変わるような気がしたんです。
 でも部屋からは太陽の声と、寂しそうな輝の声が聞こえてきます。開けちゃマズいと思い、私はドアに耳を押し当てました。どうやら二人の話はかなり真剣な話のようでしたから。
「太陽、どうしてそんな悲しそうな顔をしてるんだよ?」
「そんな顔してねぇもん」
 太陽の声は凄く苦しそうな声をしていました。私は思わず輝に抱きしめてあげろと言いたくなりましたが、そんな事をしたら此処にいる事がバレるので黙っていました。今バレちゃったら何の為に二人を応援しているのか分からないですから。
「邪魔したのは悪かったけど、怪我がまだ完全に治ってないのに暴れちゃマズいだろ」
「そうだけど、あんな止め方ねぇだろ」
「ああでもしなきゃ、お前大人しくしねぇじゃん」
 輝はいつもと変わらぬ声でしたが、少し太陽に対して怒っているようです。向こう見ずな性格どうにかしろよとでも言いたそうな声。元々それが原因で太陽は大怪我したんですから当然ですよね。
「オレは無敵だから平気なんだよ」
「だからその無敵っていうのやめろよ、無敵のヒーローなんていないんだってよく知ってるだろ?」
「うるせぇ、オレは無敵だ、無敵なんだよっ!!」
 とうとう、ケンカが始まっちゃいそうな雰囲気になってきたから、私はドアを開けて二人を見ました。
「何をそんなに怒鳴ってるんですか?」
 太陽は今にも泣き出しそうな顔で、私をじっと見つめました。小さな肩を抱いている輝が何処か悲しそうな目を私に向けました。どうやら輝は心配で仕方が無いようです。それなのに太陽は無敵だからほっといてくれって言うから……。
 突然、太陽は輝を突き飛ばして部屋を出て行ってしまいました。凄い勢いだったので私は何も言えずに太陽の背中を見ている事しか出来なかったのですが、輝が凄く悲しそうな顔をして床に座り込んでいるのを見て、追いかけました。
「零」
 輝がそう呼んでいるから
「そこにいてください」
と返事をして太陽の背中を走って追いかけました。
 太陽に追いついたのはホテルの階段の前でした。髪を振り乱して泣きじゃくっていた太陽はすぐに捕まえる事が出来ました。腕を引っ張ると、泣きながら太陽は立ち止まりました。
「一体どうしたんですか?」
 私はそう尋ねて太陽の顔を覗き込んで、肩をそっと叩きました。すると苦しそうな嗚咽をあげて、太陽は私に抱きついて声を上げて泣き出してしまいました。
「太陽、どうしたんですか?」
 何も言わずに、太陽は一人で泣いています。
 どうして私はこうやって泣いている人を抱きしめてあげる事しか出来ないんでしょうか? 何かもう少しマシな事を言えたらいいのに、私はサムや太陽がこんなに苦しんでいるのに何も出来ないなんて。悔しくて悔しくて、どうしようも無いくらい苦しくなりました。

 翌日、私がサムを起こしに行くと、サムはベッドの上でメモに何かを書いていました。それから嬉しそうに微笑んで、私にそのメモを渡しました。相変わらず声が出ないのか、何かを言おうと口を開くけど出てくるのは空気だけ。
 私はメモを見ました。それからサムの隣りに腰を下ろして、邪魔な髪を耳にかけました。
 サムらしい、整った綺麗な字が沢山並んでいます。半分は英語のようで、よく意味が分からなかったから読みませんでしたが、日本語のメモは読めました。


 ちゃんとしゃべれなくてごめんね
心配しなくても大丈夫だよ\(^о^)☆
それよりも早くランテイジョとか言うの
探しに行かなくちゃ!
賢治の事だからきっと悪用するに決まってる
何処にあるのか分かる?


 そうメモには書いてありました。
 私は少し考えました。
 何かしら、それ。中国だから書道の何かでしょうか。もしそうだったとしたら、一体どんなものなんでしょうか?
 すると、太陽がひょこっと顔を出して、にっこりと笑いました。そうだ、書道なら私よりも太陽の方が詳しい。太陽に聞いた方がいいですよね。米芾がどうしたとか言っているんだし。
「ようサム☆ 大丈夫か?」
 サムは何も言わずににこっと笑って頷きました。
 太陽は不思議そうな顔をして、ベッドに腰掛けると
「どうしたんだよ? サムが無口だなんて」
と心配そうな顔をして、サムの顔を覗き込みました。ふわっと髪が揺れて、心配そうな太陽の顔が一瞬隠れてしまいました。
 サムは奈良のご当地キティのメモ帳に


出なくなっちゃった♪
でも大丈夫だから心配しないで(^о^)/



と書いてにっこりと笑いました。いつもよりもずっと元気そうな笑顔を浮かべているから、ほっとしましたが少し無理しているような気がして仕方がありません。きっとオスカーの事がショックだったに決まってるんですから。
「マジかよ? 本当に大丈夫か?」
 太陽はサムの肩をゆさゆさと揺すって凄く心配そうな顔をしていましたが、そのうち大人しくなりました。ニコニコといつもと同じように笑ってみせるサムの笑顔に安心したんでしょうか?
「ねぇ太陽、蘭亭叙って何か知ってますか?」
「ああ、王義之の書だろ? オレも何年か前に臨書した事があるぜ」
「何なんですか? それは」
「王義之って人が宴で作った詩を詩集にする事になって書いた序文の事だよ、下書きのを何度書き直してもうまく書けねぇからそのまま序文にしちまったんだ」
 流石太陽、勉強は全く駄目なのにこういう事はよく知ってる。そんな序文をどうするつもりなんでしょうか? 大体、価値あるんですか?
「何処にあるのか分かりますか?」
「太宗皇帝って人が王義之の書のオタクで、蘭亭叙も一緒に墓に埋めちまったって聞いたぜ。墓の場所までは知らねぇけど、まだ見つかってない」
 サムは笑って手を伸ばすとパソコンを持ち上げて膝にぽんと乗せた。楽しそうにキーボードを叩きながら、何かを検索し始めましたが、ウィキペディアを開いてすぐに、太陽にパソコンを押し付けました。
「何だよ?」
 サムはメモに殴り書きで


漢字が分からないから太陽が検索してよ☆
タイソウコウテイとか、ランテイジョとか



と書いて、太陽に押し付けました。それから私の背中に抱きついてぎゅっと幸せそうに抱きしめて笑いました。幸せそうにしているから、私は何も言わずにそのままじっとしていました。
「マジかよぉ〜」
 太陽はそう呟いて、キーボードを叩き始めました。サムと違って凄く乱暴な叩き方をしていますが、サムは何も言わずに画面を見つめています。打つのは早いけど、本当に乱暴です。太陽らしいといえば太陽らしいのですが……。
「どうしたんですか? サム」
 サムは何も言わずに首を横に振ると、幸せそうに笑いました。甘えているのか、いつもよりもしつこく抱きついて離れません。甘えたい気持ちも分かるので、そのままにしておいてあげる事にしました。ちょっと鬱陶しいけれど。
 太陽はパソコンをサムに渡そうとしてこっちを振り向いて、そのままぎょっとした顔をしました。 「
あのさぁ、そういうのは二人っきりの時にしてくれよ」
「私じゃなくてサムに言ってください」
 サムは少しむっとした顔をしましたが大人しく離れて、太陽をじっと見つめました。不機嫌になる事はよくあるので慣れていますが、離れたくなかったようです。そんなに私にくっついているのが幸せなんでしょうか?
「おい、サム。オレは日本人だから言っておくが、人前ではあんまりくっつくなよ」
「まあ、サムはハーフだし」
「日本国籍じゃなったのかよ、おい」
すると、むっとした顔のサムがメモを掴むと、何かを書いて太陽に押し付けました。


悪いけど、俺は日本にいる事よりも
外国にいる事の方が多いから
そっちの習慣染み付いちゃって☆
日本人って感覚無いんだよねぇ〜♪
外国に行ったら地下鉄でキスとか日常だしぃ〜



 サム、ふざけてるんでしょうか? メモを見ている私と太陽の反応を見て笑っています。絶対変になったんですよ。元々ちょっと変わってますけど、此処までじゃありませんから。
「サム、大丈夫か?」
 太陽が本当に心配そうな顔をして、サムの髪をぽんぽんと撫でました。
 サムは不思議そうな顔をしてこくんと頷いただけです。大きな丸い目を太陽に向けてにっこりと笑って見せると、私の膝の上に頭を乗せて、そのまま目を閉じてお昼寝をはじめてしまいました。
「ちょっと待ってください、蘭亭叙を探しに行くんじゃなかったんですか?」
「そうだぜ、昼寝してんじゃねぇよ」
 サムは面倒くさそうに目を開けるとこっちを見ました。それから布団を引っ張り寄せてかぶると、メモに


俺、此処で寝てるから行ってきてよ
何か食べる物も買ってきて☆



と書いて目を閉じました。それからすぐに寝息が聞こえて、揺すっても起きないほど熟睡してしまいました。寝たフリなのかもしれないのは分かっていました。行ったらきっとオスカーに会う事になるでしょう。オスカーに殺されかけたんですから会いたくないのも分かります。
「無責任!!」
 太陽は喚きまくった末にあきらめて、立ち上がりました。サムの事は置いて行く事にしたんでしょうか? もしかしたら輝におんぶしてもらうつもりなんでしょうか?
 私は仕方が無いからサムの頭を持ち上げて枕に乗せると、立ち上がって太陽の背中を追いかける事にしました。でも歩き出す前にサムにスカートを引っ張られて立ち止まりました。
「サム?」
 サムは悲しそうな顔で私を見つめていました。此処にいてと言いたいのか、口を開けましたが無言で苦しそうな目をするばかりです。
「行かなくちゃ、太陽と輝だけで行かせる訳にはいきませんから」
サムは首を横に振って、起き上がると私の肩をぎゅっと抱きしめて静かに泣き出しました。泣き落とすつもりですか? 言っておきますが、私はそう簡単に泣き落とせませんよ。
「サム、そんなに私と居たいんでしたら一緒に来てください」
サムはあきらめたのか大人しくベッドに横になると、しくしくと泣きながら背中を向けてしまいました。
 あ、拗ねちゃいました。人前では紳士なサムも二人きりの時はこうやってよく拗ねるんで見慣れていて何とも思いません。でも、これは嘘泣きじゃなくて本当に独りになるのが嫌みたいな泣き方です。やっぱり、オスカーの事がショックだったんですね。
「泣かないで」
 私はサムの髪をそっと撫でて、ほっぺたにそっとキスをしました。そして布団を掛け直すと、こっちを見たサムの顔をじっと見つめました。頬がべちゃべちゃに濡れていて、一瞬本気で此処にいた方がいいんじゃないかと思いましたが思い留まりました。あの危険な二人を野放しにする訳にはいきません。
 仕方が無い、こういう方法はしたくありませんでしたがこの際仕方が無いですよね? サムだって許してくれます(多分……)。帰ったら物凄く怒っているでしょうけどこんな状態のサムを連れて歩く訳にもいかないし、一人で置いて行く訳にはいきません。空さんには車を運転してもらわなくちゃいけないから、独りぼっちにする事になってしまう。それだったらまだいいですよね?
 私はお兄様にもらった緊急用の危ない薬のビンを出しました。効き目は抜群だけど、ちょっとばっかり副作用があるから本当に緊急時以外は使っちゃいけないんですけど、いいですよね? その副作用が何かは分かりませんが、これだったらサムにだって効く筈だって言っていました。
 お兄様は誰かを眠らせておく為の薬だから、太陽が無茶しそうになったら飲ませるように言っていました。まさか、絶対に飲まない筈だったサムが飲む事になるなんて思いもしませんでしたが、ちゃんと役に立ちました。
 もうひとつの薬ビン(こっちは太陽の痛み止めだそうです)はちゃんとポケットにしまって、ビンから一つだけ錠剤を出しました。白い、粉の塊みたいな薬です。本当にこっちで合っているのかをちゃんとチェックして、サムの様子を見ました。
 サムは少し心配そうな顔をしていました。仕方が無いので私が飲むんですと嘘をついてそれを口に放り込みました。もちろん飲む気は無いので、安心して目を閉じたサムの腕をそっと押さえつけるとそれを無理やり飲ませました。めちゃくちゃ抵抗されて少しショックでしたがお兄様の言っていたとおり効き目は抜群で、サムはすぐに眠ってしまいました。これでキングコングが屋根の上を飛び跳ねていても目を覚まさない筈です。
 サムがちゃんと眠ったのを確認すると、私はさっき部屋を出て行った太陽の背中を追わなくちゃとドアに向かって走りました。そしてドアを開けると、其処にはすでに輝と太陽が立っていて、同時に
「遅い」
と怒られました。
「二人とも、もう用意出来てたんですか?」
「当然だろ? チューしてるのもばっちり見ちまったぞ」
 輝が笑って私を小突くと、仲良く太陽と肩を組んで
「待ちくたびれちまったなぁ、太陽ぉ〜♪」
と明らかにからかっているのがみえみえで言いました。私は短く謝ると、さっさとホテルの外に向かって歩きました。
 太陽と輝は後ろから追ってきたので気にしませんでした。
「ごめん、怒った?」
「いいえ、早く行かなくちゃサムの薬が切れちゃいますよ。きっと許してくれると思いますけど」
「あれ、薬だったの?」
「そうですよ」
 空さんがちゃんと車に乗って待ってて下さったので何とか車に乗る事が出来ました。
「で、どちらへ?」
「昭陵だぜ、空兄」
太陽がそう言ってにこっと笑うと、空兄はウィンクをして車を動かしてくれました。
 本当は北陵という土地らしく、つくとめちゃくちゃ大きな公園が広がっていました。中国チックな建物が沢山並んでいて、全部見るのはなかなか難しいみたいだったので、とりあえず目的のお墓がある北の方に行く事にしました。
 其処にあるかは分からないそうですが、もしかしたらと思ったんです。とにかく動かなくちゃ、早くしなくちゃサムが起きちゃいます。
 公園内を歩いていると、太陽と輝が建物の前で立ち止まりました。それが一体どんな建物なのかは分かりませんが、どうやら誰もその存在には気がついていないようです。
 其処には中国語が書かれていました。
「何かしら?」
「読めねぇぞ、これは」
「言えてる」
 三人で立ち往生していると 「いい物見つけてくれてありがとう。それは”太宗の墓は一番隅にある”って書いてるんだよ」
と後ろから声を掛けられました。振り向くと賢治さんが立っていました。またあの趣味の悪いカッコです。オスカーも一緒にいます。この前と違って真っ赤な髪をしていて、サムと本当によく似ています。
「あれ、サムは?」
 オスカーは辺りをきょろきょろと見回して、残念そうな顔をしました。腰には分かりにくいところにこの前と同じ銃を吊るしています。
「サムは昼寝中です」
「いつも寝ないでしょ? 早寝だから」
 オスカーはそう言って、少し心配そうに私の顔を見つめました。
「もしかして、怪我が酷かったの?」
「そうじゃありません」
サムと同じ大きな青い目が少し怖くて私は目をそらしました。何もかも見透かされてしまいそうで、サムが怪我ではなくショックで元気が無かったから眠らせてきたとバレてしまいそうで怖かったんです。
 すると遠くから声がしました。
「オスカー、俺の零から離れてくれる?」
 紛れも無いサムの声でした。はっきりした声です。ちょっとつらそうにも聞こえましたが、でもサムは元気そうに笑っていました。手にはちゃんと銃を握っています。観光客が声を上げて逃げていくのを楽しんでいるように見えました。
「サム」
 オスカーがにこっと笑って銃を抜きました。
「邪魔しないでね、此処は二人だけで対決しよう」
「いいよ、でも俺が勝ったら帰って」
 サムは壁に凭れると、ぎゅっと強く銃を握り締めました。
 此処でサムが負けてしまったら、今度こそサムは天国に行ってしまうんじゃないでしょうか? オスカーがいつの間にか兄である筈のサムを殺そうとするような冷酷な人間に代わってしまったのは事実ですし、きっと次は無いんでしょう。私は見るのが怖くてそんな二人から背を向けました。
「じゃあ、一発でも掠った方の負けにしようよ」
 サムは明るくそう言いました。
「残念だけど、サムには俺が撃てないんじゃない?」
オスカーは笑ってサムに銃を向けると、引き金に指を掛けました。思わず邪魔しに行こうと走ったのですが、そばに立っていた輝と太陽に腕を引っ張られ、止められてしまいました。
「邪魔しちゃ駄目だ」
「でも」
「サムはそんなに弱くないよ」
 二人がにこっと笑って真っ直ぐサムの方を見つめるので、私は何も言えなくなってしまいました。仲良く並んでサムを見つめている二人には、サムがどう映っているんでしょうか。私よりもサムの事をよく知っているのに、どうして私を止めるんでしょうか?
 オスカーは少し悲しそうな顔をしていました。どうしてなのかは分かりませんが、悲しそうな顔をして、真っ直ぐサムを見つめていました。大きな青い目にはさっきまでの自信が無くなり、つらそうな目に変わっていました。
 サムは自信満々って顔をしています。そんなに自分の腕に自信があるんでしょうか? 私、太陽の頭の上のりんごは刀で切れてもサムの頭の上じゃ無理です。それなのに、サムは大丈夫なんでしょうか?
 二人はしばらく睨み合った末、先にサムが引き金を引きました。当然なのですが、あのサムが外す筈も無く上手く大した事の無い怪我程度で済むように腕を撃っていました。その怪我もほとんど怪我とは言えないような怪我で済んでいたのでびっくりしました。
 賢治が少しびっくりした顔でサムを見ていましたが、元気なく腕の怪我を見つめるオスカーを引っ張ってその場から消えてしまいました。ちゃんと帰らないだろうなぁと思っていたので意外でした。
 オスカーと賢治が見えなくなると、サムはぺたんと地面に座り込んでそのまま倒れてしまいました。
 ぎょっとして駆け寄ると、私はサムを起こしました。輝と太陽がサムの肩を大きく揺すって、
「おい、しっかりしろ!!」
と怒鳴りましたが、サムは少し幸せそうな顔をして眠っていました。少しつらそうでしたがお兄様の言っていた副作用かと思って私は気にしない事にしました。
 輝がサムを背負うと、太陽が地面に落ちていた銃を拾い上げました。それが誰のなのかは分からなかったのですが、二つあるのでオスカーとサムのでしょう。一応回収するべきだと、太陽が考えたようです。
「輝、急げ」
「太陽、怪我開くぞ」 「知らねぇのかよ、オレはジェイソンよりも不屈なんだぜ」
 太陽が私の手を引っ張って走り出し、その後ろを追って輝が走って行きます。観光客が不思議そうにこっちを見ていましたが、気にしない事にしました。

 サムが目を覚ましたのは日本に帰ってからの事でした。
 空さんに薬の副作用だって言われたので、そのまま放っておくしかなかったんです。お兄様は
「死にはしないから大丈夫」
とかいい加減な事を言うし、サムはそんな事露知らず熟睡しているしで、凄く大変だったんですよ。それにいつも通訳してくれるサムが寝ているので帰るのは凄く大変で、トレジャーハンターよりもこっちの方が疲れたような気がします。
 サムはずっとお兄様の病院に入院していました。太陽が使っていたあの病室のベッドでひたすら眠りっぱなし。起きないから点滴をして何とか生きていたそうです。表情が凄く幸せそうだったので、そんな気は全くしなかったのですが。
 私と輝と太陽が毎日見舞いに行っては邪魔して帰ったりしていたので、サムが目を覚ました時ちょうど全員がそばにいられました。サムにとってはそれが一番嬉しい事だったのか、笑ってくれました。その笑顔は眩しいくらい素敵で、優しくて嬉しそうでした。
 サムは起きてまず私に向かって
「零、此処は何処?」
と寝っとぼけた事を言いました。まだ少し眠そうな顔をしていましたが、元気そうでほっとしました。
 見たら分かるでしょ、日本語でしゃべってる人しかいない病院だってと思わず笑ってしまいましたが、輝と太陽が大真面目に
「天国だぜ、天国! サム、死んじまったんだぜ」
とからかわれていました。でも冷静はサムは凄く真面目な顔で
「輝と太陽も俺と一緒に死んじゃったのか、全く、何が無敵だよ」
と二人の前で言いました。サム、そんなキャラだったんですか?
「サムが可哀想だから一緒に死んでやったんだぜ」
太陽はそんな馬鹿げた事を言って大笑いをすると、サムに抱きついて
「でもよかったぜ、サムちゃんと声出るようになったんだ」
とにっこりと笑いました。ちょっとくっつかないで、太陽。
「出ちゃ悪い?」
 サムは太陽を押しのけ輝の方に突き飛ばすと、私の肩をぎゅっと抱きしめてくれました。ああ、幸せ。
「零、酷いんじゃないの?」
「何がですか?」
「薬を無理やり飲ませるなんて、信じてたのにぃ」
ふくれっつらして、私から顔を反らして見せるサムはやっぱり子供っぽくて、少し可愛い気がします。輝と太陽は少し気味悪がっているようですが。
「許してください、あのまま放って行く訳にはいかなかったんですから」
「許さないよ、絶対」
 すると輝と太陽が
「二人してあちぃんだよ、全くよぉ〜」
と文句を言いながらサムを小突いて部屋を出て行きました。気を使ってくれたんでしょうか? それとも本当に暑苦しかった?
 サムはそんな二人にドアを閉めろと言って、それから点滴の針が刺さったままの右腕で私の腕を引っ張ると
「でも零はずっとそばにいて慰めてくれたから、キスしてくれたら許してあげてもいいよ」
とちょっと意地悪く笑って見せました。そして反対の手で私の髪を撫でて、そっと顔を覗き込みました。
 その行動にドキッとして、顔が真っ赤になったのを感じました。ちょっと、やめてください、恥ずかしい! でもそれは言えず(だって、無理に飲ませたのは事実ですし)、大人しくしているしかありませんでした。まだ、サムに嫌われたくないんですもの。いえ、これからもずっとサムの彼女で居たいから。
 サムは何も言わずに優しく笑って見せると、ぎゅっと私を抱きしめて
「もしかして、本気にした?」
と面白そうにくすくす笑っていました。真っ赤な髪がすぐ近くにあって大きな肩が凄く心地いい、此処にいると私は一人じゃないんだなぁとそう心から思えて、凄く幸せです。
「そのとおりですよ、本気にしちゃいました」
 そして私はサムをぎゅっと抱きしめ返して笑いました。



Fine.







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