スカイブルーのトレジャーハンターV
     〜優しいファラオの残したもの〜
         桜井もみじ☆


 私は教室の隅で大きくため息をつきました。
 真夏の日差しで暑い教室の窓際の席で三人のクラスメイトが大騒ぎしています。輪の中心にはさらさらの長い金髪の派手な女子、桜野さん。そのすぐそばでオレンジ色の少し長めの巻き毛の男子、輝さんと真紅の髪の男子、サムさんが同じように騒いでいます。
 輝さんは私が生まれる前から決まっていた婚約者。黒仁家は今にも潰れてしまいそうな状態だからと決まった事なのだそうですが、私や輝さんの意思は完全に無視されているの。私は小学生の頃から、輝さんと結婚するためだけに育てられたようなものなので、はっきり言って何のために私は生きているのか分かりませんわ。
 母や父には
「いい、零。あなたは黒仁家の大事な人なんだから」
といった言葉以外は掛けてもらった記憶はありません。正直、輝さんなんて好きではないので、大変迷惑しています。もし、輝さんが何かの事故で死んでしまったりしたらどんなにいいだろうなんて、何度となく考えました。そうすれば私は黒仁なんて鎖から解放されて自由になれるんですもの。
 でも私にはそんな事を口に出して言える親友がいません。輝さんが悪い女とつるんでいるとかいう理由で元々いた学校から転校させられたんですもの。私はもう、元の学校には戻れないでしょう。だから、親友とはもう二度と会えません。
 もう何度、輝さんの婚約者にされた事を、黒仁なんて家に生まれた事を恨んだでしょうか。私の全てだった親友や楽しかった毎日を失って、憂鬱な公立学校で過ごさなくちゃいけないなんて嫌で嫌で仕方がなかった。
 だから私は今も、輝さんのそばで私の気も知らずに笑っている桜野さんと言う存在が憎い。私の全てを奪った彼女の存在が……。
 何人かのクラスの女子達は私とは違った意味で彼女を憎んでいます。輝さんとサムさんはとてもカッコいいからと色目を使っている女子達はとても多いのだもの。そんな女子達を利用して、私は桜野さんを虐めています。そうするように母から言われてきたのだから。
 桜野さんは楽しそうに拳を高く突き上げて
「よっしゃ〜!!! そんじゃちょっと歌おっかなぁ〜♪」
とにっこりと笑っています。
 この前、トイレで水を掛けて脅しばかりなのに、彼女は全く気にしていないみたいです。あの時、私は彼女に
「次はこんなものじゃ済ましませんからね」
と脅しておいたのに。あの子、一体どんな神経してるのかしら?  楽しそうに笑った輝さんは鞄から楽譜の束を出して
「太陽、音楽室に行こうぜ。ピアノでも弾いてやるからよぉ」
と楽しそうに笑っています。そんな輝さんに向かって大きく手を振っている桜野さんはニコニコと笑って頷きました。
「いいぜ、サム行くぞ!!」
「はいはい」
 そんなところに担任の先生がやってきて
「残念だが三人とも、朝のHRには出てもらわないとなぁ」
と桜野さんを止めると
「歌なら、音楽会のソロを決めるテストの時に歌ってもらおうか」
と笑いました。
 クラスの男子達は桜野さんがちょっと可愛い顔をしていて強いからって彼女の味方をしているようです。先生の言葉を聴いて笑っています。女子達は少しむっとした顔でそんなクラスの男子達を見つめていて、私はその中で大きなため息をつきました。
「桜野、自慢の歌声を披露しろよ!!」
「はぁ? オレがそんな面倒な事をすると思ってんのか?」
「せっかくだからやれよ。応援するからよ」
 クラスの男子が楽しそうに笑いながら、彼女に向かって口々に言いました。教室中がざわざわと騒がしくなる一方、女子達は黙って桜野さんをじっと睨みつけています。
 私はクラスの女子達が悔しそうにため息をついて、拳をぎゅっと握り締め、私を見ます。一瞬ドキッとして、何か悪い事でもしたのかと思いましたがそんな事はなかったみたいで
「零ちゃん、歌は自信ある?」
と聞かれたので、私は黙って頷きました。
 一応、音楽教室に通っていましたから、それなりには歌える筈です。あんまり自信はありませんが、何とかなるでしょう。
「一応」
「絶対桜野さんには負けないでね」
 そう、近くにいた女子達は私に向かって口々に言います。私は意味がよく分からなくて、黙って頷く事しか出来ませんでした。
「どうしてですか?」
 私はちょっと躊躇いながら彼女達に尋ねました。
「毎年、音楽会では神風君がピアノなんだけどね、もし、ピアノとソロが男女だったらその二人は永遠に結ばれるっていうジンクスがあるの」
「桜野さんと神風君なんて事になったら……」
 小さくため息をついて、私は先生の前でニコニコと笑いながら飛び跳ねている桜野さんをじっと見つめて、勝たなくちゃと思いました。
 本当は勝ちなんて譲りたくて仕方がないんです。輝さんは嫌いだし、歌で負けてしまってそのジンクスが本当だったら、私は輝さんなんかと結婚する必要ないんですもの。でも、仕方がない事なんです。やらなくちゃ、私は母や父に期待されているのだから、失敗する訳にはいかないんだからと言い聞かせて頷きました。
「分かりました、私がソロの座をいただきます」

 そして、その日の音楽の授業。
 いきなりのテストだったので、好きな曲を誰よりも上手に歌わなくちゃいけなくなってしまいました。嫌だなぁと思いながら、私はピアノの前でつまらなそうに鍵盤を叩いている輝さんを見ました。
「で、何の曲? 知ってたら弾くけど……」
 そう言って私の顔をじっと見つめる輝さんはいかにも嫌そうな顔をしています。私は少し躊躇いながら、輝さんを見つめて音楽会の課題曲を言いました。ほとんどの女子はその曲でしたし、私はそれでいいかと軽い気持ちで言いました。
 それに、それなりに上手に歌えましたから。
 でも、突然でした。
 順番が回ってきた桜野さんは楽しそうに笑って輝さんに
「輝、アヴリル・ラヴィーン弾いて」
と言いました。
 仮にもテストなのに、洋楽ですよ。それも自信満々で。本当に、この子どんな図太い神経してるのかしら? それより、こんなにアホそうな子が英語の曲なんか歌えるのでしょうか?
 辺りがざわざわしているのに、桜野さんは構いもせず
「complicatedがいいなぁ」
とか言ってピアノの前まで歩いていきます。
「いいのかよ、洋楽だろ?」
 心配そうな顔で輝さんは桜野さんを見ました。
「駄目か?」
「歌えるのかよ?」
「オレの辞書に不可能という文字はねぇぞ!!」
 輝さんはため息をつきながらも
「アヴリル・ラヴィーンだな? ギターの方がいい」
とか言いながらスタンドに置いてあるギターを手にとって弾き始めました。
「これだよな?」
「おう!」
 元気よく返事した桜野さんは深く息を吸って歌い始めました。騒がしかった音楽室はしんと静まり返って彼女の歌声と輝さんのギターの音色だけが響き、クラスの人達は皆彼女の歌声に夢中になりました。私は一瞬、彼女には勝てる筈がないとさえ思いました。
 私の隣で楽しそうにそんな二人を見つめているサムさんが微笑みながら小さく歌っているのを見て、私は悔しくて口唇を噛み締めました。今まで歌で負けた事はなかったのにと思うと悔しくて仕方がなかったわ。
 結局、彼女がソロで、ピアノが輝さんと決まりました。サムさんは楽しそうにそんな二人に拍手をして
「太陽も輝も息ぴったりですごかったよ」
と笑って肩を叩きました。少し嬉しそうに笑った輝さんは恥ずかしそうに桜野さんの隣りに座って楽譜を見つめていました。それを覗き込んで無邪気に笑っている桜野さんは
「練習しようぜ」
と人の気も知らないで輝さんの肩をばしばしと叩いています。
 隣りに座っていた女子達が小さくつぶやきました。
「桜野さん、やっぱり神風君の事が好きなのかなぁ?」
「そうじゃない? 少なくとも、神風君は好きなんじゃない?」
「確かに、好きじゃなくちゃ神風君が一緒にいる筈ないもんね」
「大体、好きじゃなかったらピアノを引き受けたりしないよね」
「ジンクスの事もあるしね」
 私は黙ってそれを聞きながら、彼女を脅した時の事を思い出しました。
 掃除用具のデッキブラシを竹刀代わりに握り締めて振り下ろした時、彼女はそれを片腕で受け止めて鋭い視線を私に向けていました。
「お前ら、オレになんか恨みでもあんのか?」
そう言って、真っ直ぐ立っていた背の低い彼女の瞳は強い意志を帯びていて、それを見つめるのがとても恐ろしかったです。まるでライオンに睨まれた草食動物の気分でした。
 誰かがホースを彼女に向けて、水を掛けなかったら私はその場から逃げていたかも知れないわ。強い彼女の視線が怖かったの。でもやらなくちゃ、母はそうする事を望んでいるのだからと、私は彼女を真っ直ぐ睨みつけました。
「輝さんに近づくのはやめなさい。これ以上近づくのなら学校に来られなくしてやる」
 私は震えそうになる自分の声を必死で絞り出して、彼女に向かって怒鳴りました。この女さえいなければ、私はあのまま蒲公英中学で楽しくやっていけたのに。この女さえいなければ、こんな事しなくてすんだのに……。そう思うと憎くて仕方がなかった。だから、必死で彼女を殴った。
 汚い事だって事は良く分かっています。クラスの女子達とよってたかって、桜野さん一人を殴っているんですもの。頭から水を掛けて、デッキブラシで殴りつけて、輝さんには近寄るなって怒鳴って……。
 なのに、桜野さんは何事もなかったかのようにまだ学校に来ています。もう少し、痛めつけなくちゃいけないのかもしれない。そうは思ったけれど、次は前みたいに簡単にはいかないような気がするの。
 前だって、輝さんは彼女を抱きしめてしまった。近寄らせない為にした事だったのに、そんな事になるとは思っても見なかった。あの輝さんが彼女を抱きしめて、慰める筈なんてないと、そう思っていたのに。サムさんだってそう。ほかの女子だったら見向きもしなかった筈なのに。
 あれからクラスの女子達は彼女には勝てないと思い始めたみたいだったし、私には勝てそうもありません。一人で何したって、彼女には効きそうもないのだから。

 昼休み、サムさんは私が一人で読書している所にチェス盤を持って近寄ってきました。楽しそうに笑って、彼は木製のチェス盤を机の上に置いて、私の前の椅子に腰を掛けました。
「零、久々にチェスしない?」
「いきなりですか?」
「輝や太陽は弱いから相手にならないんだもん。いいでしょ?」
 無邪気に笑って、サムさんはチェス駒を並べ始めました。私もそれを手伝って、駒を並べました。それから、懐かしいなぁと思いながらじゃんけんをしました。勝ったのはサムさんでしたが、特に気にはしませんでした。
 昔、小学校に通っていた頃はいつもこうやって二人でチェスをしました。本当は持って行ってはいけなかったのですが、隠れて持って行っては遊びました。
 一度、強いと噂されていた先生の所にサムさんが挑戦状を叩きつけに行きましたっけ? あの時、職員室の中にいた先生達がびっくりした顔でサムさんを見ていました。それなのに、勝負はたったの5分で終わってしまいました。サムさんは意図も簡単に勝ってしまったから、先生は少し恥ずかしそうだったのを今も覚えています。
 むっとした顔で女子達がこっちを見ている事には気がついていましたが、それでも私はサムさんとチェスがしたかったから無視しました。今、この教室の中にいる人達の中で一番仲のいい人って、サムさんなのですから。
 サムさんは何も言わずに左端のナイトを動かしました。懐かしいなぁと思いながら、私はいつもと同じように真ん中のポーンを二つ前に進めました。静かな教室にいる男子達がチェス盤を覗き込んで不思議そうな顔をしました。
「パステル、勝てんのか?」
「まあね、零の手は大体分かってるし」
 すぐ近くで騒いでいる桜野さんと輝さんは飴玉ひとつを賭けてポーカーを始めました。何だか、ポーカーにしては安っぽすぎるような気がするのは気のせいでしょうか? めちゃくちゃ真顔で二人はカードを捨てては一枚取ったりを繰り返しています。
 サムさんは少し考えてから、クイーンの前のポーンを進めました。
「零にしては慎重だね」
「サムさんに負けたくないですから」
「ふ〜ん、その割には隙だらけだよ」
 サムさんが笑っているのを黙って見つめながら、どうせ勝てないしなぁと思いました。サムさんにチェスで勝てた事は一度もないんですもの。そう簡単に勝てる筈がありません。それに、どうしても勝ちたい訳ではないので、負けても別に構いません。
「いつもの零らしくないよ、昔の勝つ為なら手段を選ばないってやり方はやめたの?」
「何となくですわ、今日は五分以内に負けたりはしたくないんです」
 そう言って、私はまた少し考えてから駒を動かしました。まだまだサムさんは本気を出さないだろうと予想してでしたが、そんな事は全然なくて、私はたったの二分で負けてしまいました。
 チェス駒を並べ直しながら、昔よりも下手になっているなぁと思いました。もう少し長く出来た気がしたのに、今はたったの二分で負けてしまいました。
「俺は昔の零の手の方が好きだなぁ。今の零は守りばっかり気にしてて、隙だらけ」
「そうですか?」
「昔は意外な手を使うから先が見えなくて楽しかったから」
 サムさんは少し笑って、遠くを見ました。
 外では桜の木が風に大きく揺れて、生暖かい風が教室にも入ってきました。学校の周りに広がる一面の田んぼの稲が揺れて、いつの間にかそばに立っていた桜野さんの派手な金髪が大きく揺れていました。硬い私の髪は軽く揺れただけ。
「サム、勝てた?」
「まぁね」
 輝さんは黙って桜野さんの腕を引っ張って、教室を出て行きました。桜野さんが私の近くにいるのが嫌なんでしょうと、あまり気にはしませんでした。
 サムさんは怪しく微笑むと
「零、悩みがあるんだったら言ってね。友達なんだから」
と呟きました。昔と全く変わらない、優しいサムさんの笑顔はとても素敵でした。昔と違うのは身長と真っ赤な髪だけ。
 私はその言葉が少し嬉しくて、泣き出しそうになるのを堪えてチェス駒を見つめていました。

 その日、輝さんの家で私は空さんと話をしていました。
「零ちゃん、輝の事が本当に好きなの?」
 突然、空さんはそう言って私の顔を真っ直ぐ見つめました。大きな空さんの瞳は何で見透かされそうで少し怖かったけれど、私はそれを隠して返事をします。
「え?」
「俺には、好きでもないのに輝なんかと婚約させられてるように見えるから」
「そうですか?」
「うん」
 空さんは黙って外を見てから、少し笑って
「人生、一度きりなんだから好きじゃないなら結婚なんかしたくないってはっきり言ったほうがいいよ」
と言いました。私にははその言葉が少し痛かったわ。
 その通りなんですもの。好きでもないのに結婚なんて、今は平成の世だっていうのにと何度も思ったわ。こんなに広い世界なのに、私の未来はもうとっくの昔に決められてしまって、誰もが私に期待している。今更、結婚なんて嫌だとは言えない。
 両親ががっかりする顔は見たくない。父や母は私が結婚するのを本当に楽しみにしている。あんな顔だけの脳味噌スカスカ、ボクシング馬鹿の輝さんとの結婚を。
 私は大きくため息をついて
「私、どうして黒仁なんて家系に生まれたんでしょうか」
と呟きました。
 何処かから輝さんの弾くピアノの音と桜野さんの歌声が聞こえてきました。息ぴったりの二人の音楽はとても楽しそうで、明るくて、澄み切っている。私のように何処か汚れた薄暗い音楽なんかじゃありません。私もあんな歌が唄えたらいいのになぁと、そう思いました。
「きっと、零なら大丈夫だって神様が思ったんだよ」
 空さんは明るく笑って言いました。
 にっこりと笑いながら、私の肩をぽんぽんと叩いた空さんはとても優しかった。私の知っている空さんは輝さんと喧嘩ばっかりしていたのに、いつからこんなに仲良くなったのでしょうか。  これもあの、桜野さんの影響なんでしょうか?
「そうだったらいいのですが」
 私は一言そう、返事をしました。

 翌朝、私は学校に行く前に輝さんの家に寄りました。
 せっかくなので、少し話でもしようかと思ったんです。どうして私を避けるのか、直せる範囲であれば直して少しでも仲良くなれたらいいなと、そう思ったから。
 ですが、空さんに話を聞くと朝早く荷物をまとめて出て行ったとの事。どうやらエジプトへ行くらしいです。空さんも良くは分からないと言っていましたが、サムさんの所に行ったのは確からしいので、私は大急ぎでサムさんの家へ行きました。
 ですが、ついた時にはもうすでに其処には誰もいなかったので、あきらめて一度借りているアパートに戻りました。少し考え事をしながら、母に電話を掛けました。
 本当は掛けたくなんかありませんが、きっと桜野さんを連れて行くのでしょう? 其処に私が行かなかったら、母に何て言われるか……。言わなきゃ分からないかもしれないけれど、バレたりしたらどんなに怒られるか……。
 仕方がないから私は電話を掛けて訊きました。
 母は私に言いました。
「三人を追いなさい、すぐに車を用意するから」

 そして、私はエジプトに着きました。ルクソールという街です。何でも、観光の目玉は王家の谷のツタンカーメンの墓だと聞きました。全く興味はないですが……。
 サムさんが用意した飛行機はルクソール行きらしいと聞いたので大急ぎで乗ったのですが、結局追いつくまでかなりの時間が掛かりました。ついた時には昼の二時、暑い風が吹き抜けていきます。
 始めはテーベって何処の国よ? と思いながら飛行機に乗っていましたが、どうやらエジプトのようです。飛行機の窓から黄金の砂漠が何処までも続いているのを見てびっくりしました。
 空港を出ると砂漠の砂が混じった風に吹かれて、木々が揺れていました。太陽は高い位置にあり、とても強い日差しです。ギラギラと輝く太陽に照らされた砂っぽい国です。風は熱く、立っているだけでも汗が流れて止まりません。早速近くの店で水の入ったペットボトルを買って一気飲みしました。
 私の前を歩いている輝さんはぐっすり眠ったままの桜野さんを負ぶって、サムさんの後ろを追いかけて歩いています。
 私は少し考えながら、立ち止まりました。
「どうしたらいいんだろう」
 ついてきた所で、私は何をしたらいいのでしょうか? 今更桜野さんを追い返すなんて事は出来ないし、だからって彼女になにか言ってみたってどうにもならないのに。
「ねぇ、君もあの三人に用があるの?」
 突然、後ろから日本語で声をかけられました。訛りのない日本語でした。海外慣れしているようで、私のような日本から初めて出た人間ではないのが確かです。
 振り向くと、頭に少し小さめのシルクハットをかぶった何処にでもいそうな日本人が立っていました。黒のサングラスを掛けていて、少し大きめの白いシャツに黒のネクタイを締めています。ボタンは十字架をさかさまにした変な形をしています。年齢は私と同じくらい。顔には少し見覚えがあるような気がします。
「ああ、零ちゃん」
「誰ですか?」
 その男は私が誰だか分かっているようです。私は心当たりがないのに……。
「オレだよ、賢治☆」
 賢治って確か、小学校の時にサムさんと仲の良かった何処かのお金持ちの息子さんでしたっけ? 頭が良くて、サムさんとチェスで遊んでいた事はなんとなく覚えています。でもこんな顔でしたっけ?
 私はじっと彼の顔を見つめました。そういえば、なんとなく面影が残っているような気がします。ちょっと目つきの悪い所とか、腕の傷跡とか。それに何より、私の事を知っているんだし、多分そうなんでしょう。
「オレね、”HELL”って組織を作ってトレジャーハンターをやってるんだ」
 賢治さんは突然そう言ってにこっと笑いました。サングラスを外して笑いました。サングラスの下の顔を見ればすぐにやっぱり賢治さんだと分かりました。
「”HELL”って最近問題になってません? よくニュースに出てくる……」
「それそれ、最近サム君達に邪魔されて困ってるんだよ。手伝ってくれない?」
 彼はニコニコしながら、近くの川(どうやらナイル川のようです)を見ながらそう、言いました。さらさらとゆっくり流れていくナイル川を見ながら、私は少し考えました。彼の手伝いって、つまりは犯罪ですよね? 確か、”HELL”って泣く女の絵を盗んだり、阿修羅像を盗んだりしている筈でしょう? もしかして、手伝いってツタンカーメンの黄金のマスクを盗むとか?
 でも、よく考えてみると、私みたいな人にそんな凄い物が盗める筈はこれっぽっちもありません。きっと、手伝うって言ってもサムさん達の偵察でしょう。
「輝くんと太陽ちゃんの事で来たんでしょ? オレでよかったら手伝うからさ☆」
 一人でエジプトにいるのも心細いし、私よりは海外慣れしている賢治さんに少し頼ってみてもいいかなと、そう思いました。一人ではどうする事も出来ないんだし、彼なら、桜野さんに何をしたらいいかとか悪知恵が働きそうだと、自分に言い聞かせて
「私なんかでいいのですか?」
と私は尋ねました。
「もちろん、早速なんだけどね、サム君にこの謎を預かったって渡してくれない?」
 賢治さんは活字印刷で意味の分からない古代エジプト文字(何でしたっけ? これ)と、「ファラオは神殿で胸を張る」と書かれたメモを私に押し付けました。
「出来れば、オレと零ちゃんってつながりがバレない方がいいから、オレに脅されたって事にしといてくれる?」
「分かりました、これを渡したらいいんですね?」
「それともうひとつ、この謎の答えが分かったらオレに教えてくれる?」
 賢治さんはそう言って、ズボンのポケットから手帳を出してメールアドレスと電話番号を書くと
「ホテルの電話とかは駄目だよ、サム君は電気系統には強いから近くの公衆電話を使って」
と言って、近くにいた白人の男の人達を連れて手を振りながら町の中へ消えていきました。
 私は深呼吸をすると、メモをぎゅっと握り締めて駆け出しました。

「賢治も酷い事するよね」
 サムさんはそう言いながらメモを見つめました。
 いかにも怖い思いをしたって顔でサムさんにメモを渡して、適当な作り話をすると簡単に信用してくれました。同じ部屋で暇そうに寝ている桜野さんはメモを覗き込んでふ〜んとつぶやいています。
「何かな、この文字……俺、ヒエログリフは読めないんだけど」
 困った顔でメモを見つめたサムさんの肩を叩いて、桜野さんは自信満々で言いました。
「ラムセス二世のカルトゥーシュだよ」
「何それ?」
 輝さんが不思議そうに桜野さんの顔を覗き込みました。サムさんも興味深そうに桜野さんの顔を見つめました。私も少しびっくりしながらそんな桜野さんを見ました。
「古代エジプト人はファラオの名前を円で囲って端に線をつける形で表すんだよ。それをカルトゥーシュって言って、その中にはラムセス二世を表すヒエログリフが書いてある」
 桜野さんは笑ってサムさんの手からメモを取って
「それにしても分かりやすい謎だなぁ」
とつぶやきました。
「で、ラムセス二世って誰?」
 輝さんは桜野さんの方を揺すって尋ねました。さらさらと金色の髪が揺れました。
「簡単に言うと第十九王朝のファラオだよ」
 この子、一体どんな脳味噌しているのかしらと思いながら、私は彼女を黙って見つめていました。話によれば、テストは最悪だそうですし、絶対そんな事を知っている筈がないじゃないですか。サムさんの知らないような事を知っているなんてありえませんわ。
「謎、もう解けちゃったの?」
 サムさんはそう言って桜野さんの顔を覗き込みました。輝さんは少し暇そうに窓の外を見つめています。二人の会話なんてどうだっていいやとでも考えているのでしょうか?
「サムは何てファラオが何処の神殿で胸を張ってるんだと思う?」
「う〜ん、誰かはわかんないけど、有名だからカルナック神殿かな?」
「はずれ、カルナック神殿はアモン神を祭ってる。ファラオが胸を張ってる筈がない。どっちかというと胸を張ってるんじゃなくて頭を垂れてるのが正しいな」
 桜野さんは楽しそうに笑って、サムさんの方を叩きました。彼女はトレジャーハンターと名乗ってるだけあって、そういう事には詳しいようです。いかにも馬鹿そうだったのでびっくりしました。
「じゃあ、何処?」
「簡単だよ、祭られているものが神様じゃない神殿で、そこに書かれてるカルトゥーシュのファラオに限られたら、絞れてくるだろ?」
「全然わかんない」
「アブ・シンベル神殿だよ。二つの神殿で出来てるけど、大神殿で祭られているのはラムセス二世だ」
 彼女は笑って輝さんの肩を叩いて微笑みました。
「でも、胸なんか張ってねぇだろ」
輝さんがそう突っ込むと、桜野さんはサムさんのパソコンに何か打ち込んでアブ・シンベル神殿の写真を輝さんに見せました。サムさんも少し疑い深い目で彼女とパソコンを見つめています。
「輝、アブ・シンベル神殿の前に並んでるよっつの石像が誰か知ってるか?」
 輝さんは黙って首を横に振りました。少しむっとしているようです。あんまり機嫌が良くなさそう。
「これがラムセス二世だよ、胸を張ってんだろ?」
 桜野さんは輝さんの頭をぽんぽんと叩いて微笑みました。制服姿の輝さんはむっとした顔で画面を睨みつけました。
「違うかもしれねぇじゃん」
ふくれっつらの輝さんはパソコンの画面をじっと見つめてつぶやきました。
 すると桜野さんがパソコンの画面の左から三つ目の像の足元を指して
「此処にラムセス二世のカルトゥーシュが彫ってあるだろ? 即位名のウセルマアトラーで、だけど」
とにこっと笑いました。
 其処には確かにメモと同じ文字が並んでいました。

 ナイル川沿いの道を歩きながら、私は賢治さんに桜野さんが言っていた事を伝えました。彼はとても楽しそうにその話を聞き、
「ありがとう」
と言って、私を連れて飛行機に乗りました。
 どうやら桜野さん達よりは早くその神殿に着きたいようです。私もせっかくだから観光はしたかったので、大人しくついていきました。
 アブ・シンベル神殿は意外とすぐに見つかりました。ついたのは夕方で、観光客達はそろそろ帰り始める時間でしたから。少し離れた所には大きな川(これがナイル川だそうです)があり、陽の光りを反射して輝く所は本当に幻想的でした。
「何処かなぁ? 次の手がかりは」
「次って事は、宝物に辿り着くのはまだまだ先って事ですか?」
「その通り、そんな簡単に分かっちゃう謎なんて残さないよ」
 賢治さんはそう言って、辺りをきょろきょろ見回しています。現地の通訳を雇ったようで、ヒエログリフとかいう、読みずらい文字を訳させています。
「あ〜も〜、全然見つからないよ」
「そりゃ、当然だろ?」
 すぐ後ろから桜野さんの声が聞こえて、私と賢治さんは振り向きました。現地の通訳や、賢治さんの護衛みたいな人達もみんな。
「此処じゃねぇもん」
 桜野さんはにこっと笑い、真っ直ぐ私達を見つめました。
 一体いつ着替えたのでしょうか、彼女はかわいらしい白いドレスっを着ていました。彼女、いつもパンクなカッコで歩いてませんでしたっけ?
「太陽ちゃん、今日は派手じゃないんだね」
「今日は突然輝とサムに連れてこられたからな、サムのお母さんの趣味らしいぜ」
 彼女はそれから後ろを息も絶え絶えで追ってきたサムさんと、少しつらそうな輝さんを見ました。
「二人とも、遅い」
「この状態のサムをほっとけってのか?」
「だって、こいつら何か悪さするかもしれねぇじゃん」
 桜野さんと輝さんは言い合いを始めましたが、サムさんが二人を何とか止めたので黙りました。この二人、本当に仲がいいのかしら? だんだん、母や空さんの言う事が信じられなくなってきましたわ。
「で、何処なの? 次の手がかりは」
「下だよ、神殿は元々此処じゃなくて此処より下にあったんだよ。ダム建設で沈むから此処に移された」
 桜野さんは満足そうに胸を張ると、サムさんの方を叩きました。
「大丈夫か? 下、行くぜ」
「ええ?」
「謎解きには見に行かなくちゃいけねぇだろ?」
 すると、賢治さんは少し笑って言いました。にやりと怪しい笑みを浮かべています。
「太陽ちゃん、重要な事を忘れてるみたいだから教えてあげるよ」
「何だよ?」
「その元々あった場所はもう湖の下に沈んでて、跡形もないんじゃないかなぁ?」
「残念、古代遺跡ってのはなぁ、何年も崩れずに建っている為に超頑丈に作ってあるんだよ。水に沈んだくらいでは、壊れやしねぇよ」
 それから桜野さんはサムさんを引きずって
「よ〜し、早速潜ろうぜ!!」
と笑って拳を高く突き上げます。でも、もう暗いし、そう簡単には見つからないんじゃ……。
「あのさぁ、ダイビングって免許いるんだよ」
「持ってんだろ? 二人とも」
「残念ながら、ダイビングの免許を持ってるのは空兄だよ」
 桜野さんはすごく落ち込んだような顔をしながら
「じゃあ、素潜りだ!!」
とまたむちゃくちゃな事を言いました。
「誰が潜るの? 水着なんて持ってきてないよ」
「じゃあ、謎を解いてくれるって言うんだったら、オレが見てきてあげてもいいよ」
 突然、賢治さんはそう言って、私の肩を叩きました。
「ちょっとだけ手荒な真似するからね」
そうささやいてから、彼は私を押さえつけると
「解けないって嘘を言ったりしたらどうなるか、分かるよねぇ?」
と笑った。
「ちょっと、賢治さん! やめてください!」
 私は特技のお芝居でそう叫びました。裏切られたと思わせておいてもいいでしょうからと、私は少し大げさに叫びました。
「私の味方だったんじゃなかったんですか?」
「当然じゃん、そんな事したって何の特にもならないし」
調子に乗って、彼はお芝居に乗ってきてくれました。ラッキーっと私は大げさに喚きました。この際、おしとやかとかどうだっていいですわ。
 すると、サムさんはあっさり引っかかって
「ちょっと賢治、零を離してよ」
と桜野さんと輝さんを見て
「どうにかしてよ」
と言いました。
「どうせ、芝居だろ?」
「オレ、転校生が殺されても助ける義理ないし」
 最悪な二人ですわ。
 目の前で知っている人が殺されかけているのに、なんとも思わないんですか?
「もういい、俺が何とかするから!!」
 サムさんは呆れ顔で二人を睨みつけ、それから賢治さんを見ました。珍しく真剣なサムさんは
「俺には絶対解けないと思うけど、協力はする」
と言って私を見ました。
「そうこなくっちゃ!」
賢治さんが楽しそうに笑って、私を護衛に押し付けてサムさんに近づきました。
 私は少し悲しくなりました。
 桜野さんと輝さんは完全に私を見捨てているのに、サムさんだけは助けるって言ってくれた。なのに、私は桜野さんと輝さんの言うとおりお芝居をしているのよ。二人の関係をめちゃくちゃにする為に私は此処に来たんだもの。私には母を裏切る事なんて出来ないわ。兄も母も父も私に期待しているのに、がっかりさせたくない!
 母の姉の花梨とかいう人が、輝さんのお父様と結婚するのを嫌がって逃げてしまったからまた母に同じような思いをさせたくないの。私が本当に望まない事であっても、私は我慢しようってそう決めたのだから。

 真っ暗な湖から上がってきた賢治さんが持っていた防水カメラの写真を解読しようとした現地の人が分からないと首を振ってしまいました。
 これには流石の賢治さんもため息しか出なかったようで、髪から雫を垂らしながら肩を落としていました。サムさんも丸い目を見開いてその写真を見つめる事しか出来なかったようです。
「何だよ、ヒエラティックも読めねぇのか?」
 後ろから桜野さんがそう言ってカメラを引っ手繰ると、サムさんに紙とペンを借りて何かを書きました。どうやらヒエロ何とかっていう絵文字のようです。
「え〜っと、我が妻の為にの為にこれを残す?」
「ねぇ、何を書いたの?」
 サムさんは不思議そうにメモを覗き込んで言いました。私には何を書いているのかはさっぱり分かりません。大体、これは文字って言えるんですか?
「オレはヒエラティックを読む時には一旦ヒエログリフに書き直すんだよ」
「どうして?」
「ヒエログリフほどは詳しくないから」
 桜野さんはそれから笑って
「何だ、めちゃくちゃ簡単な謎じゃねぇか」
と言いました。メモとカメラを二人に返して、それからさっさともと来た道を引き返し始めました。
「太陽、ヒエラティックって何?」
「簡単に言えばヒエログリフの行書体だな」
 輝さんと桜野さんはもう帰る気でいるようです。呆然としているサムさんは私の腕を引っ張って逃げようとしましたが、すぐ近くにいた護衛の肩に気づかれて失敗しました。賢治さんは桜野さんと輝さんに向かって
「まったまった、零ちゃんがどうなってもいいの?」
と怒鳴りましたが、まるでその気のない二人は振り返って、面倒くさそうな顔をしました。
「オレはいいぜ、殺すんじゃねぇんだろ?」
「殺すかもよ」
「その女にはトイレで水をぶっ掛けられた事があるから、仕返ししてくれんだったらちょうど良いや」
 桜野さんはそれ以上、何も言わずに背中を向けて歩き始めました。
「太陽!!」
 サムさんが桜野さんの方を叩いて、私を見ました。
「いくらなんでもそれは酷いよ、零だって好きであんな事してるんじゃないんだから」
 一瞬、頭が真っ白になりました。サムさんだけは私の事を分かっていてくれたの? 私が輝さんの事を好きではない事も知っていたの? 私みたいな嫌な女の事を、あなたは見ていてくれたの? と。
「はあ?」
 いかにも馬鹿そうな桜野さんは黙って振り返ると、サムさんと私を交互に見て
「そうなの?」
とサムさんに向かって尋ねました。
「知らなかったの? 俺、小学校の時から友達だから分かるけど、輝の事なんか好きじゃないどころか、めちゃくちゃ嫌いなんだよ」
「マジかよ、サム?!」
 桜野さんを押しのけて、輝さんがめちゃくちゃうれしそうな顔でサムさんを見つめました。
「うん」
 私は少し躊躇いながらも、声を張り上げました。
「そんな事ありません!」
「あるよ、小学校の卒業式で話してくれたじゃん」
なんか、思い出したような……。確か、あの頃は一番仲が良かったサムさんと結構一緒にいたんです。だから、愚痴を言ったような気がします。
 輝さんがすごく嬉しそうに拳を高く突き上げて
「じゃあ、これで婚約なんてなかった事にしようぜ!!」
と一人で喜んでいます。
「分かったら助けてくれるでしょ?」
「おう、いいぜ」
 輝さんは笑って、賢治さんに向かって歩き始めました。目立つオレンジ色の髪が少し揺れて、強い瞳が私を一瞬捉えて、それから賢治さんに向けられました。
「悪いけどなぁ、オレは謎なんてさっぱり解けないから協力できねぇぞ」
「じゃあ、太陽ちゃんを説得してもらえたりしないかなぁ?」
「その必要はねぇぞ、でもな、はっきり言ってその次の謎には辿り着けねぇ」
「何でかなぁ?」
「我が妻の為にこれを残すってのはな、ラムセス二世の第一王妃の事を指してる。これってのが宝の事だろう」
「なんでそれが次の謎に辿り着けないの?」
「第一王妃はネフェルタリ、その墓に行けば何か分かる筈だけど、残念ながらネフェルタリの墓はぼろぼろだから見学禁止なんだよ」
「なるほどね、じゃあ、約束だから零ちゃんは返すよ」
 賢治さんは笑って私を突き飛ばすと、桜野さんの前まで近づいていきました。
「君って、敵にすると凄く邪魔だけど味方にすると凄く心強いよね」
「オレ、お前なんかの味方にはならないぜ」
 桜野さんは笑って、私の前に立ちました。
「オレはスカイブルーのトレジャーハンターだ、”HELL”には絶対に協力しねぇ!!」
そう言ってにこっと笑った彼女は白いドレスを風に流されるままにして、強い視線を彼に真っ直ぐ向けました。そして、そんな彼女のすぐ隣りに輝さんが立ちました。
「親友として言わせてもらうけどなぁ、お前、太陽の変な知識を悪用するつもりみたいだし、意地でも止めさせてもらうぜ」
「それは残念、一旦あきらめて退散させてもらうよ」
 彼はそれ以上何も言わず、仲間を連れてさっさと逃げていってしまいました。私はその背中を黙って見送り、それからサムさんに言われて、元のホテルへ戻りました。
 夜、一人になって考え事をしていると、なんだか少し、胸が苦しくなりました。
 私はあんなに真剣に私を守ってくれたサムさんを騙しているわ。桜野さんや、輝さんを騙しているのは構わないけれど、サムさんにだけは本当の事を知っていてもらった方がいいかもしれない。いいえ、サムさんを連れて日本に戻るのもいい。私はもう十分”HELL”を助けた筈。あちらが味方をしてくれているうちに、私は逃げるべきでは?
 すると、誰かがドアを叩いて、私の名前を呼びました。
 私は立ち上がるとカーディガンを羽織り、ドアを開けました。
「はい」
そう返事を返してドアを開けると、サムさんがにっこりと笑いながら立っていました。
 見慣れたチェス盤を片手に持っています。小学校の時、二人でいつも遊んでいたチェス盤です。角の塗装が剥げて、あちこちへこんでいましたが見慣れた懐かしいチェス盤です。
「またやらない? 輝と太陽は寝ちゃったんだ」
 サムさんはそう言って、チェス盤を私に渡しました。
 私は笑って頷くと、サムさんを部屋に入れて、紅茶を入れました。何度かサムさんの家に遊びに行った時も、こうやって二人で紅茶を飲みながらチェスをしました。
 そんな事を思い出しながら、私は紅茶をカップに注ぐと、少し考えてから、サムさんのカップの方に空さんにもらった睡眠薬を落としました。
 これ以上、サムさんにだけは危ない目にあってほしくない。今の私に出来る事は、こうやって少しの間サムさんを眠らせて、飛行機に乗せる事だけ。
 でも、それでいい。そうすれば、私は後になって後悔しない。サムさんに嫌われてしまったとしても、私は輝さんが桜野さんにしたようにサムさんを守る事が出来る筈ですもの。
 私は黙ってサムさんの前にカップを置きました。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
 サムさんはうれしそうに笑いながらカップを持ち上げて、ずずっとすすりました。真紅の髪が部屋の明かりで照らされて、すごく素敵に見えます。大きな青い瞳が柔らかい笑顔を浮かべました。
「零、何のつもりか分からないけど、そんな事しても無駄だよ」
「何でですか?」
 あれ? おかしい。薬がなかなか効かないわ。
「俺ね、何度もこういう薬を飲んでるから効くのも遅いし、効果もあんまりないよ」
「ええ?!」
「っていうか、輝と太陽は俺を黙って零の思うように連れまわしたりさせないから」
 私はびっくりして、サムさんを見つめました。あの薬、空さんが私にくれたとても強い薬だって話でしたが、そんなに効果がないってどういう事ですか?
「俺は不眠症だったんだよ、つい最近までね」
「どういう事ですか?」
「暗殺者につけられてたから、夜も眠れなくてね。こんな薬、毎日飲んでたんだ、これくらいじゃ効かないよ」
 それからサムさんは笑って立ち上がると、机の上の薬ビンを手に取りました。
「サムさん?」
「零、何考えてるの? 話によってはこれ、黙って飲んでもいいよ」
 私は少し考えました。
 サムさんには絶対に嘘をつきたくない。でも、口から出任せでも言わなくちゃ。納得させるような事を言って、サムさんを連れて日本に帰らなくちゃ。
「私は……私は桜野さんと輝さんの仲が良すぎると困るんです」
「それは分かってる、零がいくら嫌でも輝と結婚しなくちゃいけないんでしょ?」
「ええ、だから桜野さんを輝さんから遠ざける為にもサムさんを人質にしたいんです」
 サムさん、こんな嘘で納得するかしら? 絶対にないような気がする……。サムさんは頭もいいし、私が何を考えているのか分かっているのかもしれません。
 でもサムさんはにこっと笑うと、ビンを開けて4粒の薬を出して口に入れると一気に飲み込んでしまいました。それから残りの紅茶も飲んで
「分かった、いいよ」
とだけ言いました。
「サムさん?!」
 それって、ほとんど自殺行為に近い量じゃありません? この薬、きついんでしょ? 体がいくら馴れていたってそれだけですむような量じゃないでしょ?
 私は大急ぎでサムさんの顔を覗き込みました。
 サムさんはまだ真っ直ぐ立っています。よろよろと椅子に腰掛けると、少し楽しそうに笑って
「おやすみ」
と言い、眠ってしまいました。
 本当に大丈夫? とは思いましたが、此処には空さんもいないし、私にはどうする事も出来ません。エジプトのお医者さんって信用できないし、だからって、私に出来る事はサムさんを黙って見つめている事だけ?
 すると、突然ドアが蹴破られました。
 輝さんです。
 オレンジ色の髪が少し寝癖ではねていますが、いつもと同じ鋭く強い視線で私を見つめています。白い無地のパジャマが全く似合っていないけど、私は黙ってそんな輝さんを黙って見上げました。
「零、話は聞かせてもらったぜ!!」
 妙にテンションの高い輝さんは楽しそうに笑いながら、私を突き飛ばして、サムさんの顔を覗き込みました。
「おい、早く牛乳!!」
「え?」
「知らねぇのかよ? 吐かせるんだよ」
 輝さんはそう言ってサムさんを揺すると、引きずってトイレまで行きました。
「何で牛乳なんですか?」
「お前、本読まねぇのかよ?」
「物語でしたら読みますけど」
「兄貴の医学書には確か、こういう時にはとにかく吐かせろって書いてあった。確か、牛乳を飲ませた方がいい筈」
「残念だけど、その必要はないよ」
 サムさんはそう言って顔を上げると、輝さんの腕を振り払いました。
「さっきも言ったけど、俺はこういうの飲みなれてるんだってば。この薬は俺が飲んでたのよりも効果がないからこれくらいどうって事ないよ」
それからベッドに腰掛けると
「じゃあ輝、後で部屋に連れて行ってね」
と笑って、また眠ってしまいました。
 サムさん、一体どんな体してるんですか?! 睡眠薬に体が馴れてるって……。いくらなんでもおかしいでしょう? どんなに馴れてたって、こんな事って……。
「サム、自分で歩けよ」
 そうつぶやいた、文句ありげな輝さんの顔は少し怖かったです。

 翌朝、サムさんは何事もなかったような様子で出てきました。昨晩私の部屋に忘れていったチェス盤を返してから、私はサムさんをじっと見つめて
「サムさん、大丈夫なんですか?」
と尋ねました。
 寝ボケ眼の桜野さんは黙ってサムさんの部屋のソファーに座って眠ってしまいました。相変わらず髪の毛だけはさらさらと揺れています。寝癖なんて全くついていないようです。
 輝さんは面白がって、そんな彼女のほっぺたを突っついて、ニコニコと笑っています。
「何が?」
 サムさんはそう言って私の顔をじっと見つめました。
「昨日、あんなに飲んでいたのに」
「ああ、あれ? なんともないけど」
 やっぱり、この三人って危険人物なんじゃないでしょうか? 野放しにしていて、本当に大丈夫なんでしょうか? そのうちとんでもない事件を起こしそうです。
 輝さんは楽しそうに笑いながらテレビをつけて、適当にニュースを見始めました。
「零、太陽にはあんまり構わないで。あれでも一応女の子だから」
そう言って、サムさんはテレビを見ました。どうやら自分の事よりもずっと桜野さんの事を心配しているようです。正直、あの子が輝さんに何の興味も持っていないのであれば、放っておきたいのですが……。
 私は黙って頷きました。サムさんはそれを見て満足そうに笑っていました。私にはその笑顔の意味がイマイチよく分かりませんでしたが、気にしない事にしました。
「あれ?」
 サムさんは突然は立ち上がってテレビを真っ直ぐ見つめました。ソファーで眠ったままの桜野さんを起こさないように、ソファーに腰掛けて
「輝、ヤバいんじゃない?」
とサムさんは言いました。
「何で?」
「英語、わかんないの?」
「おう」
 サムさんは小さくため息をついて、輝さんの方を叩きました。私にも英語は全く聞き取れなかったのですが、サムさんはがっかりしたような顔をしています。
「HELLが昨日の夜にネフェルタリっていう人の墓を荒らしたらしいよ」
「それって、昨日太陽が言ってた墓だよな?」
「確かね、きっとまた何か仕掛けてくるよ」
 サムさんは桜野さんの方をそっとゆすると
「太陽、起きて」
と言いました。
 桜野さんはむくっと起き上がると
「輝、サム、今日はクフ王のピラミッド見に行こうぜ」
と楽しそうに言いました。この子、そんなもの見てうれしいのかしら? 私はピラミッドよりもツタンカーメンの黄金のマスクが見たいんですけど。
「はあ?」
「駄目? じゃあ、ラムセス二世のミイラ見に行こうぜ」
「お前、一体どんな神経してるんだよ」
 私は黙って彼女の様子を見ていましたがサムさんが楽しそうに微笑む顔を見ていると、彼女の事なんかもうどうだっていいと思いました。輝さんの事はしばらく忘れていたいんですもの。せめて中学生の間だけは自由に恋愛したいと思ったんですもの。
 輝さんはさっきまでサムさんが座っていた椅子に座ると、じっと私の顔を覗き込んで
「零、帰れよ」
と真顔で言いました。いつもみたいに、ついてくるなっていう顔ではありません。真面目に危ないから帰れって言っている顔です。
「どうして?」
「邪魔なんだよ、また人質になるくらいだったら帰れ」
 それから、黙って立ち上がると部屋を出て行ってしまいました。私は意味も分からずにそこに座ったまま、そんな輝さんの出て行ったドアをただじっと見つめていました。今の私にはそうする事しか出来なかったから。

「ねぇ、太陽」
 サムさんが突然桜野さんに言いました。
 私は輝さんに引っ張られて、道を歩いていました。珍しく、私について来いと言っているので、大人しくついていく事にしました。
 ナイル川沿いの道を真っ直ぐ歩いていると、いろんな人達とすれ違いました。現地の人達から買った指輪をはめて、なんとなく遠くを見ているとサムさんはケータイの画面を見つめました。
「なんだよ?」
 桜野さんがサムさんのケータイの画面を覗き込みましたが、覗き見防止シートが邪魔でよく見えなかったようです。私も後ろからをちら見したのですが、何を書いているのか全く分かりませんでした。
「我が神殿の上の丘へ行け 大好きな君の為に未来永劫残るよう祈りを込めて……だって」
「アブ・シンベルだな」
 桜野さんが笑って空を見上げると、さらさらと髪が揺れました。彼女は黒いドレスを着ていて、いつも付けている剣のペンダントをしています。白いドレスよりもこっちのほうが似合っている気がします。
「どういうことだよ」
 輝さんは不思議そうに彼女に尋ねました。
 いつもと同じ白いシャツに下駄のカッコで、輝さんは楽しそうです。彼は絶対、私なんかといるべきではないんだと思いました。きっと、桜野さんといるのが一番幸せなんでしょう。そうでないのなら、輝さんが女の子といる時にこんなに笑ったりしない筈だから。
 私にとって、そんな人はいないのかもしれないけれど。でも、いつかきっと出来ると思います。つらい事があると必ず良い事もある筈だから。少なくとも、今はそれを信じていたい。
「我が神殿っていうのは二つあるけど、多分アブ・シンベルだよ」
 桜野さんは笑って、輝さんを見ました。
「さぁてと、”HELL”を止めに行こうぜ」
 そう言って笑った彼女は私とは違って、きらきらと輝いていました。真っ直ぐな強い視線と、つやつやと輝く金髪が日の光りを反射して輝いて、まぶしかった。私はそんな彼女を真っ直ぐ見つめられませんでした。

 ホテルを出ると、賢治さんは私達を待っていました。私を見てから少し笑って、桜野さんの顔を覗き込みました。
「太陽ちゃん、次は何処?」
そう言って、賢治さんは桜野さんの肩をぽんぽんと叩きました。  桜野さんは黙ってその手を振り払うと
「また何かの脅しか?」
と低い声で彼に尋ねました。
「まぁね」
 すると彼は何人かの仲間に命令して、私達の周りを囲ませました。
「ねぇ、太陽ちゃん。皆の事を死なせたくないでしょ?」
「誰も死なねぇ」
「そうかな?」
それからこそっとポケットから銃を出すと、桜野さんの胸に押し当てて
「君、死にたいの?」
と笑いました。
 輝さんは相変わらず冷静に辺りを見回しています。サムさんはそんな輝さんを黙ってみながら、ポケットに手を押し込みました。何をしているのかなぁ?と考えながら、私は辺りを見回しました。
 近くにいる人達は見て見ぬフリをしながら離れて歩いています。人通りも多い訳ではありません。砂をのせた熱い風が吹き抜けて、頭の上では太陽が強く輝いているだけ。助けは期待出来そうにないです。
「賢治、忘れてるんじゃないのかなぁ?」
 サムさんは笑ってそういうと、ぼうっと立っていた私を突き飛ばして掌に収まるくらいの大きさの拳銃を構えました。輝さんは桜野さんを突き飛ばして、自分も地面に伏せました。
 サムさんは凄い勢いで銃を撃って、私達を囲んでいた賢治さんの仲間の足に怪我をさせて、真っ直ぐ銃を賢治さんに向けました。
 どうやら撃たれた人達は皆かすり傷程度だったようですが、サムさんの強い視線にびっくりして何も言わず、逃げ出してしまいました。
「俺は早撃ちが超得意だって、忘れてるよね?」
「でも今の君は絶対に人を殺したりしないでしょ?」
「手が滑って急所に当たっちゃうかもよ」
 サムさんはにっこりとさわやかな笑みを浮かべて私に手を貸しました。私はありがたくその手を借りて立ち上がりました。おでこをぶつけたらしい桜野さんが額を擦りながら起き上がって、輝さんはそんな桜野さんを無視して、賢治さんを見ました。
「これで形勢逆転だな」
 ため息をついた賢治さんは黙って俯きました。
「サムくん、教えてよ」
 しばらくしてから、彼はそう言いました。私とテーベの街で始めて会った時と同じ黒いシルクハットを人差し指で上げて、私に 向かってウィンクをしました。
 私は仕方がないのでサムさんの手首を手刀で叩いて銃を奪いました。本当はこんな事したくないけれど、こうすれば賢治さんが桜野さんの事をどうにかして輝さんから遠ざけてくれる筈だから。
「次は何処?」
 賢治さんは自信満々な様子でサムさんの顔を見つめました。

 私は賢治さんに引っ張られてアブ・シンベル神殿の前に立っていました。桜野さんはむっとした顔でハンカチで隠れた銃を突きつけられたまま、のろのろと私のすぐ後ろを歩いています。サムさんは黙って一番後ろを賢治さんと歩いています。
「ねぇ、太陽ちゃん。宝は何処にあるの?」
「目の前にあるじゃねぇか」
 彼女はそういうと、真っ直ぐ湖を指差しました。
 ちょうどは陽が傾き始めていて、湖は茜色に染まっていきます。私の影は長く伸びて、少し離れた場所にある神殿の足元まで延びています。空に浮かんだ紫がかった雲がすごくきれいです。
「え?」
 賢治さんはそう言ってあたりを見回しましたが、起こった顔で彼女の肩を少し乱暴にゆすりました。
「何処? 何処にあるの?」
「この景色だよ、アブ・シンベル神殿が日の出の時と日の入りの時の景色が宝なんだよ」
「なんで? 何処かに黄金が埋まってるんじゃないの?」
「そんなものが未来永劫残る筈ねぇだろ? いつまでも其処に大切な人の為にあってほしいから、ラムセス二世は黄金じゃなくてこの景色を残したんだ」
 彼女は笑って、サムさんと輝さんを見て
「目に焼き付けとけよ、誰にも奪えなかったファラオの残したものだぜ」
と言いました。神殿を見上げて小さく頭を下げて、それから笑った彼女は其処にはいない、ファラオを見ているようでした。
 賢治さんは信じられないような顔をして、彼女の肩をもっと強くゆすぶりました。
「何処だよ? 隠してるんだろ?」
「隠してねぇよ、本当にこれが宝だよ」
「嘘つくな」
それから、賢治さんはサムさんの銃を真っ直ぐ私に向けました。
「本当の事を言わないんだったら零ちゃんの命はないよ?」
 私はびっくりして嘘でしょ? と彼を見つめましたが、視線は強く殺気が混じっています。本気で私を殺すつもりです。桜野さんが何も言わないのであれば、彼は躊躇いもせずに引き金を引くでしょう。私はまだ、まだ死にたくない。まだやりたい事が沢山あるのに、死にたくないっ。
「ちょっと、賢治さん?!」
「動くな、もう君に利用価値はないんだから」
 彼はそれだけ言うと、引き金に指をかけて
「言うの? 言わないの?」
と桜野さんに向かって怒鳴りました。
「ああ、そうかよ」
 彼女はにやりと微笑むと真っ直ぐ歩いて行って賢治さんの耳元に口を寄せました。賢治さんは銃を下ろして、彼女の方に意識をそらしました。そのとたん、桜野さんは賢治さんの鳩尾を思い切り殴りました。
 それを合図に輝さんは私を引っ張ってしゃがませるとすぐそばにいた賢治さんの仲間に回し蹴りを食らわせて銃を奪い取ると、それをサムさんに向けて投げました。
 サムさんはそれを握ると同時にすごい勢いで引き金を引きました。どれもかすっただけだったようで、辺りの人達は皆逃げて行ったようです。
 賢治さんは咳き込みながら私に向かって銃を向けました。私はいきなりだったので動けず、ただその銃口を黙って見つめている事しか出来ませんでした。
 その時でした。桜野さんが賢治さんに体当たりして銃の軌道を変えました。それから、何も言わずにその銃を捥ぎ取って、私を背にして真っ直ぐ彼を見つめました。彼女は肩から少し血を流していました。
「桜野さん、どうして?」
 私が沿う彼女に尋ねると、彼女は少し笑って言いました。
「オレは目の前で殺されようとしてるヤツがどんなヤツであろうが、見捨てる気はさらさらねぇんだよ」
少し冷たい夜風に髪を揺らして、彼女は拳銃を放り投げて笑いました。それから、彼女は賢治さんを睨みつけて
「お前、いい加減覚えろよ、オレは無敵の桜野太陽だぜ? 銃弾なんぞにゃぜってぇ負けねぇ、スカイブルーのトレジャーハンターだってな!」
と胸を張って言いました。
 その声に笑って、おうっとサムさんと輝さんが返事をしました。

 それからというもの、私は桜野さんとすごく仲良くなりました。サムさんとはずっと仲良くなれた気がします。輝さんの事はやっぱり好きじゃないけれど、友達にはなれた気がします。
 私は自分の意思をはっきり持とうと決めました。
 まだ輝さんの事を親には言えないけれど、私が誰よりも大切だと思うサムさんと、これからもずっと一緒にいたいと思ったから。桜野さんの事は嘘をつく事にしました。空さんにも頼んだので、もう大丈夫だと思います。
 エジプトから帰ってきて、嫌だった筈の空色中が好きになれました。明るく変な桜野さんと頭の良いサムさんと脳味噌はスカスカだけどなかなか良い男の輝さんが、今はそばにいてくれるから。
 クラスの女子達は不思議そうな顔で私と桜野さんを見ていましたが気にしない事にしました。気にしていたらそれこそきりがないんですもの。それに何より、輝さんが桜野さんと仲が良い理由も分かったのだから。
 
 そして、音楽会の当日。私は輝さんの家へ行きました。一緒に学校に行こうと、そう思って。すると、輝さんの家の前にはサムさんと桜野さんがもう来ていて、輝さんは部屋でピアノを弾いていました。
 せっかくだからと、私達は四人で歌を歌いました。桜野さんが楽しそうにピアノの前で声を張り上げているのを空さんが面白そうに見ていて、輝さんは小さく歌いながらピアノを弾いて、サムさんはお箸を振って、私はそんな三人を見ながら少し歌いました。
 楽しかった。初めてです、こんなに楽しいと思ったのは。やっと、自由になれたような気がしました。黒仁とか、婚約者とか、全て忘れて笑えたのは初めてだと思います。私がいつも抱えていた悩みも、大嫌いだった輝さんと桜野さんの事も、全てなくなったような気がしました。
「太陽、今日の音楽会は完璧だね」
 サムさんが桜野さんの肩を叩いて、そう言いました。
「おう!」
 彼女は眩しく輝く金色の髪を揺らして、そう返事を返しました。まるで空で輝く太陽のように名前の通り、その笑顔は輝いていました。

 そして、その日の音楽会で彼女は完璧に歌を歌いきりました。眩しいスポットライトを浴びて、彼女はニコニコと笑いながら歌を歌って、楽しそうに鍵盤を叩く輝さんの横顔を見ながら、私は笑って歌いました。
 賞とか、順位とか、どうだってよかった。ただ、今はこうして精一杯この歌を歌いたい。
 終わって真っ先に桜野さんは輝さんと抱き合って笑いました。先生達もそれを止めはしませんでした。私はサムさんと笑いながらそれを見て、二人の笑顔を目に焼き付けていました。

 その日、午後から私はサムさんと二人で帰りました。桜野さんは輝さんと打ち上げをすると言って、先に帰ってしまいました。楽しそうに笑って
「オレ達陽気なトレジャーハンタぁ〜♪」
と歌っている二人を黙って見送って、私はサムさんと歩いていました。
 サムさんは優しい笑顔を浮かべながら、田んぼの中の道を歩いていきます。真っ赤な髪がとても目立ちますが、サムさんらしくてとてもよく似合う色でした。まるで赤葡萄のワインみたいな赤。とても深くて素敵な色です。
 私は大きなサムさんの背中を追って歩きながら、空を見上げました。雲ひとつない青い空です。頭の上から陽が降り注ぎ、水田から吹く風が少し冷たく、心地良いわ。
「ねぇ、零」
 サムさんはそう言って立ち止まりました。
 すぐ其処にはサムさんの家が見えています。その少し向こうにある輝さんの家の前で空さんが楽しそうにガーデニングをしているのも見えます。なのに、サムさんはじっと空を見上げたまま、黙って立っています。
「はい?」
「訊きたい事があるんだけど良い?」
 少し恥ずかしそうなサムさんはそっぽを向いたまま、私に言いました。
「何ですか?」
「恥ずかしいからはっきり言いにくいんだけどね」
 サムさんは少し躊躇いながら、空をまた見上げて
「例えば、七夕の夜に織姫と彦星は会えるじゃん」
と言い、また少し恥ずかしそうにうつむきました。
「もし、零が織姫で俺が彦星だったら、零は天の川を渡って会いに来てくれる?」
 もしかして、これって告白……ですか? ただ、聞いているだけ? 私はなんと返事したら良いのでしょうか? でも、嫌じゃない。むしろ会いに行きたい。
 私は少し考えてからサムさんの恥ずかしそうな顔を真っ直ぐ見つめて
「当然です」
とはっきり言いました。
 胸がすごく苦しいけれど、私はサムさんの顔を真っ直ぐ見つめたまま目を反らしませんでした。今目を反らしたら一生後悔するような気がしたから。
 サムさんは公園の方に真っ直ぐ歩いて行ってベンチに腰掛けると、嬉しそうに笑いました。真っ赤な髪が顔を隠してて、表情は良く分からないけれど凄く嬉しそうな声でした。
 私はサムさんの隣りに腰を下ろして
「どうしたんですか?」
と尋ねました。
 サムさんは少し顔を上げて、私を真っ直ぐ見つめました。
「それじゃあ、キスしても怒らないよね?」
 それからサムさんは優しく私を抱きしめて、口唇に深く深くキスをしました。



      Fine.




うわぁ〜、出来最悪ですね。
すいません。
いつかきっと書き直します。



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