スカイブルーのトレジャーハンターU
  〜忘れられた正義の神へ〜
      桜井もみじ☆



俺はため息をついて外を見ていた。
太陽に照らされて、空色町はすっかり夏模様。ぬるい風に揺れる葉桜に止まっていた大きな黒い鴉は鳴きながら羽撃いて、ギラギラと輝く太陽に向かって行く。
ひんやりと冷たい机の上には自分の鞄と飴の包み紙があった。俺は飴の包み紙をそっと握りつぶして鞄の奥底にしまった。傷だらけの通学鞄が日光を反射して輝いた。
すぐ近くで金色の髪の女子とオレンジ色の巻き毛の男子が大騒ぎをしている。
どうやら俺が隠し持ってきた飴の取り合いらしい。レモン味とグレープ味の事でもめているらしい。二人は今にも殴り合いケンカを始めそうな勢いで、互いに拳を握り、鋭い視線で睨み合っていた。
「もっ、二人とも黙っててよ」
 俺は立ち上がって、そんな二人の手から飴を一つずつ没収した。それと同時に二人は俺に向かって声を張り上げる。
「サム! 輝がレモン味を横取りしやがった!!」
「じゃんけんしたじゃねぇか!」
「三回勝負だって言ったじゃねぇか!」
「そんな話聞いてないぜ」
二人はまだそんなケンカを続けている。俺は黙って二つの飴を口に放り込んで
「飴はもうないから、ケンカはやめて」
と呆然と俺を見つめている二人に言った。それから包み紙をズボンのポケットに押し込んで、二人を自分の中で一番鋭い筈の視線で睨みつける。
「ひでぇ!! オレの飴!!」
「もうありません」
俺はそう言ってから元の席につき、ムキになって騒いでいる女子を横目で見ながら少し笑った。こんなにしょうもない事でムキになれるんだなぁと思うと面白かった。
彼女の名前は桜野太陽。つい一週間に転校してきたばかりだ。前の学校の青いセーラー服に長いさらさらの金髪が印象的な女の子。短いスカートを翻して可愛い笑顔でにっこりと微笑む彼女にホレた男子も、このクラスには沢山いるらしい。
ただ、男みたいな口調でしゃべる上にケンカがめちゃくちゃ強い。何かを守る時に握る拳はどんなものにも負けはしない。俺も彼女の拳に何度も助けられたから、それだけははっきり言える。 彼女の自慢の金髪はつい三日前に行ったドイツで染めた。変装のつもりだったみたいだけど、逆に目立っている。はっきり言って、変装にはなっていない。
太陽と俺の親友が神風輝。輝はオレンジ色の肩につく長さの巻き毛で、すらっと背が高くかなりカッコいい。腹筋はぱっくり割れていて、ボクシングがめちゃくちゃ得意。此処、空色町周辺では『空色中の亀田』で通っている。制服の水色のカッターシャツが良く似合う。
さわやかに微笑む輝にホレた女子もこのクラスには沢山いるけど、俺にしてみれば絶対外見に騙されているとしか思えない。だって、天然ボケだし、キレたら半殺しにされるし、女子の事はバレンタインの日にチョコレートを沢山くれるいい人だとしか思っていない。まあ、太陽の事だけは別だと思うけど……。
俺は話すほどの事じゃないけど、日本人の母さんと二人暮らしだ。アメリカ人の父さんは大きな会社の社長で、忙しく走り回っている。なのになぜか両親の仲はめちゃくちゃ良くて、毎日メールをしている。内容は見たくない。
俺は輝より少し背が高くて、筋肉がない。運動は全く出来ないけど、射的だけは得意だ。一応ハーフなので、それなりに目立つ。ただ、そのおかげで俺は六カ国語は話せて、父さんに凄く感謝している。
輝が膨れっ面で俺の前のイスに腰掛けて
「サム、お前はそんな男だったのか……」
とめちゃくちゃ真顔で呟いている。食べる事しか考えてないのか、全く……。
 たかが飴一つの事で其処まで言われるなんて思っていなかったから、面白くて俺は笑ってしまった。
「輝、イギリスではレディファーストが常識なんだからね」
俺は輝にそう忠告してから、太陽をちらっと見た。さらさらの髪は完全に顔を覆っていて表情は全く分からない。でも、怒っているらしいって事は何となく分かった。
「コイツ、レディか?」
「失礼だなぁ、オレはれっきとした女だぜ!」
俺は小さくため息をついた。
先生が教室に入ってきて二人に向かって大声で怒鳴っているけど、二人の耳には届いていない。呆れた顔でため息をついた先生に代わって、
「二人とも、先生が来たから早く座って」
と手を引っ張って、席に着かせる。
まだぶつぶつと文句を言っている二人の耳元で
「放課後に美味しいもの食べさせてあげるから黙ってて」
と囁くと、二人はあっさり黙ってしまった。
美味しい物って言っても、紅茶と貰い物のクッキーの事だったんだけど、二人はそんな事、気にも留めていない。この二人にしてみれば、菓子パン一つで満足なんだから、別に構わないんだろうけど。
俺は幸せそうに微笑んでいる太陽と輝から前に視線を戻した。先生は黒板に何かを書いた。何かなぁと思いながら黙って見ていると、『黒仁零』と黒板には書かれていた。
俺はドキッとして輝をちらっと見たけど、輝は全く気がついていない様子で幸せそうな顔で微笑んでいた。さっきまでのケンカを忘れて仲良く笑っている太陽と輝はまだ黒板の文字に気がついていない。
俺は前を見た。
ちょうどドアを開けて黒髪をポニーテールにした、新品の空色中学の制服をきちんと着こなした女の子が入ってきた所だった。大きな漆黒の瞳は真っ直ぐ輝を見つめていた。
俺は彼女の事をよく知っていた。
名前は黒仁零、輝の婚約者でめちゃくちゃ負けず嫌いの同級生。隣りの蒲公英町の私立中学に通っている根っからのお嬢様で、特技が剣道と合気道、好きな物が抹茶味のキャンディだって事も。 何で知っているかというと、俺と輝が小学校の間は零と同じ私立の学校に通っていたからだ。輝の家は昔の地主で輝はその跡取り息子って事になっている。本人はやる気なしで、トレジャーハンターとボクシングにしか興味がないけど、そういう事になっている。
俺はたまたま親に言われて通っていたけど、其処で輝と知り合った時には既に零が婚約者と決まっていた。昔はもう少し仲がよかったんだけどなぁ、この二人。
彼女は先生が何か言おうとするのも完全に無視して、真っ直ぐ輝の前まで歩いて行くと
「輝さん、その髪は一体なんですか?」
と鋭い口調で言い放った。
ざわついていた筈の教室はしんと静まり返り、輝の前の席に座っていた太陽は不思議そうな顔をしながら零の顔をじっと見つめる。
「お前、何で此処に?」
「もちろん、転校してきたんですわ。貴方が彼女を作ったとか空さんから聞きました」
輝は小さく毒ついた。
零は黙って太陽を見た、長い髪が反動で揺れて、さらさらと大きく靡く。
「貴方が桜野さん?」
「そうだけど……」
不思議そうな顔で零を見上げた太陽の長い金髪が陽の光を反射してキラキラと輝いた。
零は太陽の髪を一房握ると、
「こんな髪の色の女と付き合っているなんて、私、輝さんの趣味を疑いますわ」
と言って、そのまま髪を思いっきり引っ張った。顔をしかめる太陽の耳元で、零は何かを囁くとそのまま輝を一度睨みつけて、先生に言われた通り、俺の席の前に座った。
 
朝の会が終わると、輝は俺と太陽を引っ張って立ち入り禁止の屋上に突っ走った。俺はついて行くのでやっとだったから、輝がどんな顔をしていたのかは分からなかったけど、太陽によるとかなり深刻そうな顔をしていたらしい。
屋上のドアを閉めてすぐ、太陽は心配そうな顔で輝をじっと見つめた。いつもの何倍も優しそうな表情の太陽の乱れた髪は一度首を振っただけで元通り整った。
まだ息が上がっていたけど、俺はそっと輝の顔を覗きこんだ。 目立つオレンジ色の髪の下で、輝らしくない途方に暮れたような表情が見える。輝が何を考えているのか、俺にはすぐに分かった。きっと、零が太陽に何かしかけてくるだろうからって事だろう。輝が心配しなくたって、太陽がそんなに簡単に零の口車に負けて泣いちゃったりはしない筈だって、俺はよく知っていたから、輝の方が心配だった。
「輝?」
「太陽、あの女には気をつけろ」
「はあ?」
不思議そうな顔をした太陽は偉そうに胸を張って柵の前に腰掛けた。それから俺と輝の手を引っ張って、近くに座らせると、にこっと微笑んだ。
「言っとくけど、オレはあの程度の女に負けたりしねぇぞ」
「それでも」
「あんなムカつく女なんかに負けて堪るかよ」
そう言った太陽の強い目は俺が知っている誰よりも強い瞳だった。その目を見て、俺はほっとした。大丈夫、太陽は絶対に零なんかに負けたりしないって確かめられたから。

その日、明後日行われる『武道大会』の種目を決める事になった。種目は四つ、空手、柔道、剣道、合気道だ。輝は何をやっても強いから、何でもいいとか言っているけど、本当は空手がしたいらしい。俺は何にも出来ないから、輝と一緒の所にしようと様子を見ていた。
太陽はなぜか男子に混じって、
「オレ、剣道がいい!!」
とか騒いでいた。先生もあえて無視していたけど、女子達は結構怒っているみたいだった。零が何かを仕組んだらしい。
で、結局俺達三人は余った剣道になった。なぜか、太陽は男子の種目で出る事になってしまった。俺は少し心配していたんだけど、太陽はその方がいいと思っているみたいだった。ドイツであった事を思えば、太陽が女子の種目で出ちゃったら、絶対ぶっちぎりトップになっちゃうのは目に見えていたから。
零は輝の様子を見て、剣道を選んだ。何か嫌な予感がするけど、俺は凄く無力だから何も出来ない。責めて、太陽のそばから離れないように気をつけようと思った。

放課後、太陽は帰る前にトイレに行くと言って、俺と輝に鞄を押しつけ走って行ってしまった。久々に輝と二人になったから、俺は何となく
「輝、零の事はどうするの?」
と聞いてみた。輝は小さなため息をついて
「兄貴に言って追い返してもらう」
と呟くように言った。
零は何人かの女子達とわいわいがやがや騒ぎながらトイレに入って行った。
「何で零が嫌いなの?」
生温い風が吹き抜けて行く。輝の巻き毛が小さく揺れた。ミザリーだけが入った鞄を手に握って、輝は遠くを見る。
「あの女、しつこいんだよ」
鬱陶しそうに輝は呟いて俯いた。俺は黙ってそのそばに立っていた。輝は最近ずっと明るかったのもあって余計に暗く見えた。 明日は土曜日、せっかくなので奈良公園に行ってみようと計画していたから、鹿と戯れて元気を出してもらおうと俺は思っていた。
時計をちらっと見た。太陽が入って行ってから十分が経っていた。おかしいなぁ、遅過ぎる。輝は黙って俯いたまま、悲しそうな顔をしていて、太陽が帰って来ない事を忘れてしまっているみたいだし……。
俺は輝の肩をぽんぽんと叩いた。輝は少し顔をあげて
「何だよ?」
と言った。
「太陽、遅くない?」
「確かに……」
今頃思い出したのか、輝は壁にもたれるのをやめて、トイレの方を見た。トイレからはちょうど、零達が出て行った所だった。
俺は目を凝らした。零のスカートは少し濡れているようだ。何かあったのかもしれないと思った瞬間、輝は鞄を放り出し、猛スピードでトイレに向かって走っていた。俺は太陽と輝と自分の鞄を持って、輝の後ろを追いかけた。
輝は女子トイレの前で立ち止まった。
追いついてすぐ輝に言われて耳をすませると、中から誰かの嗚咽が聞こえてきた。間違いない、この低い声は太陽だ。
俺は鞄をその場に置くと、中から慌てた様子で出てきたクラスメイトの女子の肩を叩いた。
「何があったの?」
「桜野さんが……」
輝はその先を聞かずに、躊躇わずにトイレに入って行った。
「太陽がどうしたの?」
「……水、掛けられて」
俺は彼女にありがとうと言ってから走って中に駆け込んだ。
太陽は泣いていた。ずぶ濡れで、床に座り込んで泣いていた。青いセーラー服はぐっしょりと濡れていて、さらさらの髪は顔にべったりと張り付いていた。輝がそんな太陽の前にしゃがみ込んで、途方に暮れたような顔をしていた。
近くにはデッキブラシとホース、バケツが散らばっていて、床だけでなく、壁もぐっしょりと濡れていた。
俺は太陽を見てすぐに
「先生を呼んで来る」
と行ってその場を離れようとした。でも、すぐにズボンの裾を掴まれて、立ち止まった。太陽だった。
「オレなら、平気だから……」
そう、擦れた声で囁いた太陽は強くズボンの裾を握り締めていた。俺はそんな太陽の前にしゃがみ込んで
「太陽が平気でも、俺は平気じゃない」
と囁いて、太陽の髪をそっと撫でてからトイレを出た。

廊下は早くも人垣が出来ていて、先生も駆けつけていた。俺は一番近くの担任に向かって声を掛けた。
「先生、太陽が……」
「パステル、何があったんだ?」
「虐めみたいです」
俺は先生と一緒に輝と太陽のいた場所に戻った。ゆっくりとした歩調で中に向かって歩いている間、俺はどうしようと思っていた。
あの太陽が泣いちゃったのだから、余程の事があったに違いない。輝が責任感じちゃって、太陽の事で零と大ゲンカしそうだ。 中に戻ると、太陽は輝の腕の中で泣いていた。小さな声をあげて、輝の背中に伸ばした手は小さく震えていた。いつもは大きく見える小さな背中は、蟻よりもずっと小さいと感じた。
俺は立ち止まって、太陽と太陽を抱きしめている輝を見下ろした。ずぶ濡れの金髪が背中に張り付いている太陽は震える小さな腕を輝の背中に伸ばして、シャツをぎゅっと握り締めている。そんな太陽の背中をそっと叩きながら、厳しい表情で輝は黙っている。
トイレの中には太陽の嗚咽だけが響いて、濡れた半透明の窓からは生温い風と夏の香りが入ってくる。ギラギラと輝く太陽が少し傾きだし、空は少し赤く染まり始める。
先生は黙っていた。
太陽の小さな背中をじっと見つめながら黙って突っ立っていた。少し悔しそうな横顔を黙って見つめながら、俺はため息をついて太陽と輝の隣りにしゃがんだ。
「二人とも、保健室いこう」
輝は黙って頷くと、太陽を見た。輝も太陽と同じようにぐっしょりと濡れた制服姿だった。小さな細い腕が輝の背中に向かって伸びているけど、それは離れたくないと言っているかのように力一杯握られた拳がシャツを引っ張っていた。
俺はそっと太陽の肩を叩いた。
太陽はそれに気付かない。
先生は途方に暮れたような顔をして、俺達三人をじっと眺めていた。
すると、輝が突然太陽の腕を乱暴に振りほどくと、涙でぐしょぐしょの顔を力なくあげる太陽をそっと抱き上げた。優しいような、厳しいような、複雑な表情を浮かべた輝は
「保健室、行こう」
と太陽に向かって囁いた。

太陽はしばらく泣き続けた。輝にぎゅっと腕を回して、苦しそうな嗚咽を時折あげながら泣いていた。
「桜野さん、何があったの?」
保健室の先生は優しい口調で太陽に向かって言った。まだ輝から離れたがらない太陽は返事をしなかった。
「あなた、神風くんを投げ飛ばして机を二、三個吹っ飛ばしたって言うのに、女子達に虐められた程度で泣いちゃうの?」
輝は一瞬、苦しそうな顔をした。
自分の事をきっと責めているんだろうって事は何となく分かった。太陽が虐められたのは自分のせいだから、本当は太陽から離れなくちゃけないんだけど、零の言いなりになっているみたいで嫌なんだと思う。
俺は自分が凄く嫌になった。
こんな時でも、俺は黙って立っているだけ。気の利いた言葉を何一つ言えずに、黙って見ている事しか出来ない。俺はそんな自分に腹が立った。
「桜野さん、虐められたから傷ついたんじゃないんでしょ?」
先生は笑って、俺と輝を見た。太陽が少し顔をあげた。
「負けてしまった事が悔しくて、泣いているんじゃないの?」
輝は太陽を見つめた。
太陽は黙って小さく頷いた。さらさらの髪は半分乾いていた。セーラー服もほとんど乾いていた。
「オレ、どんな人数の団体にケンカ売られても負けた事がなかったのに……」
そう太陽は小さく囁いた。震える声はとても小さくて、窓から入ってくる静かな風にも掻き消されてしまいそうだった。
「もう少しだけ、泣かせて」

翌日、太陽はとても元気に俺の家まで歩いてきた。さらさらの金髪を風に靡かせて、赤いミニスカートに半袖の派手なTシャツを満足そうに着ている。手にはいつもの茶色のトランク、首には剣のペンダント。昨日、輝におんぶされて帰ったとは思えないほどだ。
輝はそんな太陽を見て安心したらしく、いつもと同じ優しい笑顔に戻っていた。
俺はそんな二人を連れて輝の兄、空兄の車に乗ると辺りを見回した。今の所、何処にも零はいないらしい。チャームポイントの長い黒髪は見当たらない。輝もそれを気にしているのか、窓から辺りを見ている。
一時間くらい車を走らせて奈良市に入った頃には太陽はぐっすり眠っていた。その隣りで暇そうに外を見ている輝も少し眠そうだった。
俺は何気なく空兄に
「あとどれくらい?」
と尋ねた。
「もう少しだよ」
「兄貴、零の事を助けたりしてねぇだろうな?」
「大丈夫、俺も邪魔だと思ったから助けてないよ」
空兄はそれっきり黙り込んでしまった。俺は少しだけ、零が可哀想な気がした。

奈良に着くと太陽は目を覚ました。さらさらの金髪を揺らしながら、奈良公園の中を走り回って笑っていた。輝は幸せそうな顔をしながら、鹿を撫でていた。
そんな二人を見て、俺はほっとした。大丈夫、太陽も輝もいつも通りだから、と。柵に腰掛けて暇そうに景色を眺めている空兄の隣りで、俺は昨日届いた“HELL”からのメールを印刷した紙をじっと見つめていた。
まだ誰にも話していないけれど、また賢治からの挑戦状らしい。其処には興福寺の国宝、『阿修羅像』の事と、『忘れられた正義の神が宝の地図の守り手だろう』という言葉が書かれていた。
俺にはイマイチ分からなかったけど、多分『忘れられた正義の神が宝の地図の守り手だろう』って謎掛けなんだと思う。正義の神って何なのか、さっぱり分からないけど、多分、阿修羅像の事をなのかなぁ? と何となくの予想だけしている。
ぼうっとしながら遠くを眺めていると、突然何かが俺の背中をつついた。びっくりして振り向くと、其処には鹿がいて濡れた鼻先を俺に押し付けながら俺をじっと見上げていた。
「何? 鹿せんべいは持ってないよ」
俺はそう言って鹿を見つめたけど、鹿はそれでも俺を見上げたままじっとしていた。
大きな鹿だった。角は切られていてなかったけど、切られた跡が残っていた。濃い茶色の毛は意外とごわごわしていて固く、首の後ろを撫でようと伸ばした掌にちくちくと刺さった。
輝と太陽が駆け寄ってきて、俺に鹿せんべいを押し付ける。
「ちょっと二人ともっ」
「サムも遊ぼうぜ、せっかく来たんだし♪」
明るい太陽の声が帰ってきて、輝はそんな太陽の腕を引っ張ってその場を走って逃げ出した。二人の楽しそうな笑い声が辺りに響き、二人を囲むように鹿が集まっていた。
俺はせんべいを半分に割ると、そっと目の前の鹿に差し出した。鹿は黙ってせんべいをぱくぱくとあっという間に食べてしまった。可愛いなぁと思いながら俺は鹿の背中をぽんぽんと撫でてもう半分を差し出した。それを食べ終わると、鹿はそそくさ離れて行った。俺はそんな鹿の大きな背中を見送った。
その時だった。
突然、ドンと鈍い音が辺りに響き、後ろから俺の耳のすぐそばを銃弾がかすめて飛んで行った。すぐ近くで鹿と遊んでいた太陽はさっきまで俺の背中を鼻先でつっついていた鹿の血に濡れて金色の髪を深紅に染めていた。そのすぐそばにいた輝も白いシャツを血で紅く染めて立っていた。
辺りにいた人は悲鳴をあげながら県庁の方に向かって逃げて行く。さっきまで沢山の鹿がいた筈の公園には俺と輝と太陽しかいない。
俺はゆっくりと振り向いた。
賢治が拳銃を握って立っていた。大きな黒いサングラスを掛けていたけど、すぐにそれが賢治だと分かった。拳銃は真っ直ぐ俺に向けられていた。
「何のつもり?」
「此処に来たって事は謎を解いたって事なんでしょ? 」
「まだ何もやってない。それより、鹿が何だか分かってる?」
「神の使いなんでしょ?」
「昔は鹿を殺したら」
「生き埋めにされたんでしょ? 知ってるよ」
賢治はにっこりと微笑んで、ずるずると座り込んでしまった太陽を見た。同時に銃口は太陽に向けられた。
「悪いけど、君は邪魔だから死んでもらうね」
輝が太陽の名前を呼ぶけど、太陽は顔をあげただけだった。輝はそんな太陽に向かって真っ直ぐ駆け出していた。
俺はそんな輝を見てとっさに駆け出し、賢治の腕をそらせようと腕を掴んだ。その瞬間大きな銃声が響いて、反動で銃が跳ねた。俺は無様にしりもちをついて、賢治を見た。
賢治は銃を持ってその場を逃げようと、既に走っていた。
「春日大社でまた会おう」
逃げ足だけは早く、何処かから来た黒いワゴン車(ナンバープレートはない)に乗って逃げて行ってしまった。
遠目からだったけど、確かに見えた。ワゴン車のドアから覗く茶色く錆びた仏像の姿を。間違いない、国宝の阿修羅像だった。 俺は太陽を見た。輝が心配そうな顔をしながら太陽の肩を揺すぶっていた。ぐったりした太陽のほっぺたには銃弾が擦ったような、小さな傷があった。

「大丈夫、大した傷じゃないからほっとけばそのうち跡形もなく治るよ」
空兄はそう行って、部屋を出て行った。
今回は輝の親が所有するホテルの一室を借りている。もともと高級ホテルだから、かなり広いし一室なのに何部屋も連なっている。俺はそんな部屋を見て凄いなぁと思いながら、太陽を見た。  乾いた血に塗れた太陽はソファーの上に寝かされている。とりあえず帰ってから鹿の血で何かの病気になっちゃいけないからと注射を打ったけど、それっきり寝かせたままだ。
ソファーのすぐ近くの小さなテーブルに腰掛けて、輝はテレビの電源を入れた。阿修羅像が何者かに盗まれた事と、奈良公園の真ん中で銃撃事件が起こって、鹿が殺された事が報道されていた。 俺は黙って輝を見た。
「なぁ、アイツの言ってた謎って何の事だよ?」
「ああ、話そうと思ってたんだ」
俺は輝にメールを印刷した紙を差し出した。輝は黙ってそれを見てから、俺をギロッと鋭い視線で睨みつけた。オレンジ色の巻き毛が逆立つんじゃないかってほどの殺気を感じて、俺は目を逸らした。
「何で言わねぇんだよ」
「ゴメン、あとで話そうと思って……」
「此処まで来る間、めちゃくちゃ暇だったのにか?」
輝は珍しく怒っていた。滅多な事では怒らないのに、凄く怒っていた。それもそうだ、事前にちゃんと話しておいたらこんな事にはならなかったんだから。俺は少し後悔しながら、輝の顔を真っ直ぐ見つめた。
「ゴメン」
「で、忘れられた正義の神って何だよ」
「分からない」
俺はそう言って、輝の隣りに座った。
太陽の頬に貼られた大きな絆創膏は、窓から入ってくる風に揺れる髪に撫でられている。少し青白い太陽の顔は難しそうな顔をしていた。
「調べとけよ」
「ゴメンゴメン、多分、其処に書いている阿修羅像の事だと思って」
俺は少し笑った。
輝が笑っていたからだ。柔らかい風に巻き毛を踊らせながら、くすくすと笑っていたのだ。
「珍しくメールの内容を信じたんだ?」
「まぁね、賢治も見つけて欲しいからこんな事、書いてるんだと思ったから」
「ふ〜ん」
そう言って、また笑った輝の横顔を黙って見ながら、俺は考えていた。
きっと賢治も何か考えがあるに違いない。太陽を殺したら宝探しに影響が出るのにも関わらず殺そうとしたり、メールにわざわざ阿修羅像についての資料を載せたり、何か怪しい。もうこの場所の事もバレているかもしれない。
俺はぼうっとしながら太陽の方を見た。
太陽は怯えた目を俺と輝に向けて、今にも泣き出すんじゃないかって顔をして座っていた。さらさらの金髪は鹿の血で固まっていた。
「あなた達、誰? 此処何処?」
震える高い声が部屋に響く。太陽の言葉とは考えられないほど甲高くて、小刻みに震えている。そして、近くにあった空兄の竹刀を握り締めて、めちゃくちゃ振り回し始めた。
輝は立ち上がって、太陽に近づいた。容赦なく太陽は竹刀を振り下ろした。乾いた音が響き、俺は一瞬目をそらしたけど、輝の心配そうな声で無事だと分かって顔をあげた。顔をあげた時、輝は竹刀と片手で受け止めて、真っ直ぐ太陽を見つめていた。
「どうしたんだよ、太陽」
その声に少し戸惑いながら、太陽は竹刀をゆっくりと下ろした。少しほっとしたような顔をしていた。
「わたしの事、知ってるの?」
囁くような口調で、太陽はそう言った。

太陽は一時的な記憶喪失らしい。
空兄の話によると、太陽が銃で撃たれた事を忘れたいと思ったから、記憶を無意識の領域に追い込んでいるらしい。何かのきっかけがあれば思い出す筈だけど、無理させるのは良くない。そっとしておけばそのうち思い出すって言われた。
今の所、太陽は俺と空兄の事を少し警戒しているみたいなので、警戒されていない輝が太陽の面倒を見る事になった。太陽もその方が安心らしくて嬉しそうだったけど、輝は少し悲しそうな顔をしていた。
太陽は無邪気な笑顔を浮かべながら輝といろんな話をしていた。せっかくなのでと空兄が買ってきた和菓子を食べて幸せそうに微笑んだ太陽はさらさらの金髪を可愛らしく払って、緑茶と一緒にゆっくりと食べている。輝はそんな太陽の隣りで暇そうに部屋の外を眺めている。
俺は幸せそうに微笑んでいる太陽の隣りに腰掛けて
「太陽、俺の事分かる?」
と尋ねた。太陽はにこっと微笑んで頷いた。
「サムくんでしょ? さっき、輝くんが教えてくれたよ」
俺はそのしゃべり方に戸惑いながらも
「そっか、良かった」
と笑い返した。
輝は躊躇いもせずに太陽の肩をぽんぽんと叩いてにっこりと微笑んだ。とりあえず無事だったからいいかって思っているみたいでほっとしたような顔をしていた。
「なぁ、太陽は忘れられた正義の神って何だと思う?」
「何、なぞなぞ?」
太陽は笑って輝を見ると、緑茶をすすって満足そうに笑って言った。
「阿修羅でしょ? 元々正義の神様なんだけど、帝釈天が力ずくで阿修羅の妹を奪っちゃってから、何て事するんだぁ〜って怒って戦ううちに赦す心を忘れちゃって、戦闘神になっちゃったって言われてるらしいよ」
やっぱり、太陽は記憶があろうがなかろうが太陽である事に変わりないんだなぁとまじまじと思いながら、俺は輝と顔を見合わせた。輝はぎょっとした顔で、太陽の顔を覗き込み
「どうしてそんな事を知ってるんだよ?」
と尋ねた。太陽は笑って首を振って
「知らない」
と笑っただけだった。

太陽が満足そうな顔をして、部屋のベッドで眠っているのを確認してから、俺は輝と二人で話をしていた。
「春日大社、行く?」
「行っても良いけど、太陽の事どうする?」
「心配だし、今回は遊びにきたんだから行かなくてもいいと思うよ」
「オレもそうは思うんだけどさぁ、やっぱり盗まれた阿修羅像の事も心配なんだよ」
すると、部屋のドアが開いて空兄が入ってきた。
「軽い睡眠薬を用意してやるから、さっさと行って来いよ」
そういって空兄はにやりと笑って、輝の肩を叩いた。輝とは違うストレートヘアの空兄はいつもと全く違う、雰囲気の笑顔を浮かべながら笑っていて、正直怖かった。
「そのかわり、飲み薬しか用意しないからな」
意地悪そうに笑って部屋を出て行った空兄の大きな肩は少し震えていた。
輝は何も考えていないような顔をしながら、満足そうに笑って
「行こうぜ、チャンスだろ」
と元気よく拳を突き上げる。俺はそんな輝の笑顔を見ながら、黙って頷いた。
それからしばらくして、空兄がコップと小さな薬瓶を持って部屋に入ってきた。それを黙って輝に押し付けて、俺の腕を引っ張って部屋から出ようときびすを返す。
「兄貴、これどうするんだよ?」
「自分の頭で考えろ」
それ以上、空兄は何も言わなかった。きょとんとした顔の輝は、俺が部屋を出る前に振り向いた時に助けを求めるような目を向けていた。
「空兄、何が目的なの?」
俺は部屋を出てから空兄に尋ねた。奈良公園がよく見えるっていう評判のホテルだから窓から見える景色は凄くいいし、空調設備も整っている。輝の親って凄いなぁと思いながら、真っ直ぐ空兄を見据える。
「なんか企んでるんでしょ?」
「企んでるよ、面白い事をな」
空兄はそれからその場を離れて行った。
俺はドアの前にしゃがむと、ドアの下の隙間から中の様子を伺う事にした。物音は全く聞こえなかったけど、輝が太陽のそばに座っているのが、俺の位置からでも見えた。
輝はベッドに腰を下ろしてから太陽の髪をそっと撫でて、小さな声で
「ゴメン、いつも守れなくて」
と囁いた。何処か悲しそうな声の、静かな口調だった。俺はそんな輝を見た事がなかったから、少しドキッとした。それからすぐに輝は薬をじっと見つめてから、太陽を見つめた。
太陽は小さな寝息を立てるだけ。小さく寝返りをうって、輝の腕に甘えるような仕草をしているのが何となく見える。細い腕が毛布からはみ出していて、輝のすぐそばにあった。
輝は何も言わずに空兄が輝に押し付けたコップと薬を見た。それを黙って手に取ると、少し躊躇いながら薬を口に放り込み、コップに手を伸ばした。俺は何をするのかなぁ? と思いながらそんな輝の様子を黙って観察していた。
だんだん姿勢がつらくなってきた。ドアの下の隙間から中を見るのはしんどい。這いつくばっていると、首が怠くなってきた。でも、その場を離れたくはなかった。
輝は何も言わず、太陽の髪を撫でたかと思ったら、そのまま唇に黙ってキスをした。輝がそんな事をするとは全く予想していなかったので、ドキッとした。輝の表情は思ったより優しくて大人っぽかった。

俺はそのまま部屋を離れた。
輝の意外な行動にびっくりしながら、やっぱり好きだったんだなぁと何となく考えていた。そうでもなくちゃ、輝が零に虐められてる女の子を抱きしめたりしないから。あの天然ボケなりに太陽の事を大切にしているんだと思うと、少しだけ嬉しいような気分になった。
一番広い部屋の窓際で、空兄は暇そうに遠くの景色を眺めていた。輝と全く違う真っ直ぐ下に伸びた髪は陽の光を浴びて輝いていた。
「あいつ、どんな顔して出てくるかなぁ〜」
何処か嬉しそうな表情で、空兄はそう呟いた。

輝はそれからすぐに部屋を出てきた。
いつもと何ら変わらない顔をしていたので、空兄は少しつまらなそうだったけど、何も言わずに車を出してくれた。助手席に座って空兄のCDを流す輝を疑わしそうな目で見つめる空兄を見ながら、俺は一人でくすくすと笑っていた。
輝は俺と空兄をむっとした顔で睨みつけていたけど、そのうち気にするのをやめてしまった。春日大社について車から降りた輝は少し楽しそうに空を見上げて笑っていた。
それから俺と輝は二人で春日大社の中を歩く事にした。空兄はそのままホテルに真っ直ぐ戻ったから、帰りはまた空兄に迎えに来てもらう事になった。輝が空兄の携帯の番号をちゃんと知っているかを確認しなかったけど、まあ大丈夫だろうと勝手に判断して歩いた。
緩やかな坂が続く砂利道は、滑って結構歩きづらい。参道の砂利道を囲むように続く雑木林を横目に見ると鹿がぽつぽつと見られた。ケータイを向けて写真を取っている観光客が沢山いて、せっかくの場の雰囲気が台無しになっているような気がした。街の中とは打って変わって、不思議な雰囲気の涼しい敷地に音もなく枯れ葉が散っていく。風なんか吹いていないのにと不思議な気分になりながら、俺は真っ直ぐ道を歩いた。
しばらく行くと、沢山の灯籠が並ぶ場所に出た。まだ参道らしいけど、歩くのに早速疲れてきた。
「なぁ、サム。大丈夫か?」
輝の心配そうな声に黙って頷き、俺は一旦立ち止まって息を整える。汗が頬を伝って地面に落ちたのが見えた。
輝は遠くを見つめていた。いつもよりちょっとだけ大人びて見える輝の横顔は、いかにも太陽の事を心配しているって表情をしていた。
難しそうな顔をしている輝は俺の視線に気がついて、俺を真っ直ぐ見つめる。
「どうかしたか?」
「ううん、何でもないよ」
俺はとりあえずそう言って、また歩き始めた。
赤い建物はまだ見えない。何処までも果てしなく続いているような長い参道を黙って睨みつけながら、俺は輝の後ろを真っ直ぐついて歩いた。
「あ、やっと来た?」
どこからともなく声がして、俺と輝は顔をあげた。
目の前には賢治が二人の外国人を引き連れて、鹿にせんべいをあげているのが見えた。まだ少し小さい鹿はそんな賢治にぴったりとくっついている。
「賢治!」
 俺は思わず賢治を睨みつけた。
「あれ、太陽ちゃんとか言う子、来てないの?」
「昼寝してたから置いてきた」
輝は俺を押しのけて、賢治を真っ直ぐ睨みつける。それを見た外国人は賢治の前に立つ。どうやら輝が危険人物だって事は分かっているらしい。二人は英語で
「俺はあのオレンジ頭、お前は赤い方な」
とか言っているのが聞こえる。
「賢治、阿修羅像を盗んだんでしょ? 返して」
「お宝が見つかったら返すよ」
「宝物は全ての人の為にある、歴史を知る為にある物だとか言ってた人の言葉とは思えないね」
俺はそう言って、輝の腕を引っ張ってその耳元で囁いた。
「あの二人、素手みたいだよ」
「何で分かるんだよ」
「あんなちっこいのに武器使う必要ないって英語で言ってる」
輝は微笑むと、拳を握って駆け出した。
「あ、ちょっと!!」
俺が止める間もなく、二人の外国人はボコボコになってしまった。観光客達が不審がっているけど、その二人が武器を持っているのを見て、辺りはざわめき始める。
「さてと、阿修羅像は何処なんだよ」
「秘密♪」
賢治はそう笑うと、輝の肩を叩いた。意地悪く笑う賢治の視線は俺の後ろに向けられた。そしてその視線の方向から
「輝さん」
という、聞き慣れた声が聞こえたのだった。
「げっ……零」
輝の最悪な表情を見て、俺は吹き出しそうになるのを堪えて、零を見つめた。
手には土産物屋で買ってきましたって感じの木刀が握られていた。いくら輝でも、木刀を持った零相手に勝てる筈がない。零は剣道の天才とか呼ばれちゃってる蒲公英町の坂本龍馬なんだから。
「輝さん、空さんから聞きました」
「何を?」
とぼけた顔をしながら、輝は真っ直ぐ零を見つめる。輝自身は嫌っているオレンジ色のカッコいい巻き毛が、樹木の間から差し込む光りを反射して輝いた。
一筋の風が二人の間を吹き抜けて行った。ざわざわと木が揺れて、樹木の茶色い葉が堕ちて行く。また辺りがしんと静まり返った。
「あの桜野とかいう男勝りの小娘を抱きしめたとか」
「そんなの人の勝手だろ? テメェに指図される筋合いはないね」
はっきりとそう言い切った輝は真っ直ぐ零に近づいて行く。俺は銃がないと凄く無力なので、黙ってそんな輝を見つめていた。
「もうこれ以上、太陽に近づくな」
「あら、あなたが大人しく神風家を継ぎ、あの小娘から離れればいいだけの事じゃないのかしら?」
 そう言った零は輝の首筋に木刀を当てた。つやつやの黒髪が揺れた。恐ろしいほど冷酷に、零は輝を睨みつける。彼女の手の中にある木刀は鈍い輝きを放つ。ぎりっと木刀を押さえ込む音がした。
「悪いけど、オレは太陽から離れるつもりはさらさらねぇ。お前みたいな女のいう事に従う気も全くねぇ」
けろっとした顔の輝はにこっと微笑んで、前に歩きだした。木刀を振り上げて、輝に殴りかかろうとする零を真っ直ぐ見つめて、それを片手で受け止める。バシッと軽快な音が響いた。その後すぐに、輝が木刀を力づくで奪い取って遠くへ放り投げた。
「オレはお前みたいな卑怯者に手加減しない」
そう言った輝を見て零は木刀に手を伸ばした。でも、俺がその前に木刀を拾い上げて
「零、輝の言う通りだよ」
と言って笑った。

零はそのまま逃げ出した。
どうやら時間稼ぎをしていただけらしくて、輝はそんな零を黙って見逃した。太陽に会う前よりも随分成長したんだなぁと思いながら、俺はそんな輝の横顔を眺めて笑った。
それからすぐに、いつの間にか消えていた賢治の姿を探した。座り込んで怯ええる外国人二人は輝が脅すと簡単に賢治の行き先を教えてくれた。
その二人の話によると、春日大社の林の中らしい。大きな樫の木が生えているから、その根元を掘り返しているだろうとか言われた。
俺と輝はあんまり警察とかに関わりたくなかったから、さっさとその場を離れた。かなり見られていたけど、輝を怒らせたら酷い目に遭うと思ったらしい観光客は何も言わずに道を開けてくれる。
俺と輝は大急ぎで言われた方向へ向かって走った。歩きづらい林の中の木の根に何度も躓きながらやっとの事で着いた場所には賢治が座っていた。なにやら古びた対の剣を持っていた。何か書かれているけど、遠くて読めない。
「サム君、中国語は読める?」
「何となくなら……それより阿修羅像!!」
俺はそう言って賢治に近づいた。賢治はズボンのポケットの奥から飛び出し式のナイフを取り出して、俺の首に押し当てる。
「読んでくれる? 何書いているのか、俺には分からないから」
賢治はそう言って、ニヤッと微笑んだ。抹茶キャンディの匂いがする息を吐き掛けて、輝を見つめる。
「変な事考えないでね、その時にはサム君が死ぬと思って」
俺はむっとしながら、その対の剣を見つめた。何かか書かれている。
片方には『阿修羅に対の剣は宝の場所を示す物』と書かれていて、もう片方には『宝は神の使いが住む山にある』と書かれていた。
俺はそれだけ賢治に教えた。
賢治にはきっと分からない。昔から歴史じゃなくて、宝の価値だけに惹かれるトレジャーハンターだったから、細かい知識なんか持っている筈がない。その宝に価値がある理由なんかどうだっていいんだもん。
俺は真っ直ぐ輝を見つめた。
輝は様子を伺いながら、その剣をじっと見つめている。俺が嘘でもついていると思っているみたいだけど、俺が真顔で頷くと、事実なのかとあきらめたような顔をした。
「ありがとうサム君、また用があったら来るよ」 賢治はにっこりと笑って、また何人かの大人達に連れられて剣を持ったまま、歩いて帰って行った。そんな賢治の背中は俺の知っている賢治とは全く違う、大人びた背中だった。

輝は何も言わずに俺の隣りに座っていた。何処かつらそうな顔をしている。空兄が今度はどんな馬鹿な事を零に教えるのか気が気じゃないのだろう。空兄はそんな輝の反応を見ておもしろがっているのに……。
「ゴメン」
突然、輝は言った。暗い顔をした輝は俯いていた。
「何が?」
「守れなかったから」
ぽつりと呟いた輝は悔しそうに拳を握り締めていた。
「あれは俺が悪かったんだよ、輝が気にする事じゃない」
「俺がもっと強かったら、ちゃんと助けられたのに……」
輝はそう言って拳をぎゅっと握り締める。
いつも強いから気がつかなかったけど、輝は太陽とか俺とかを守れなかった事を気にしているらしい。太陽が零に虐められた時の事とか、俺がさっきみたいな目にあった事とか、小さな事だけど、重なっちゃったから、輝なりに気にしているのだ。
俺は少し躊躇いながら
「輝は十分強いよ」
と笑った。今にも泣き出しちゃいそうな顔をしている輝はやっぱり悔しそうに拳を握り締めている。
輝は黙って顔をあげると、公園内の鹿を黙って見つめた。あの時、賢治が撃った鹿はもう処分されてしまって何処にもいない。埋められたのかは分からないけど、それをも守れなかったと嘆いているように、俺には見えた。
顔をあげるともう空兄は来ていた。暗い顔をしている輝を不思議そうに見つめている。窓を開けて、俺を見る。声には出さないけど、
「何があったんだ?」
って目で語っている。 俺は仕方がないから何も言わずに空兄から目をそらし、輝になるべく優しく
「帰ろう、太陽が起きちゃう前に」
と言った。

「輝くん、酷い!!」
太陽は少し怒った顔で輝に向かって言った。空兄の残して行ったメモを見て、勝手に何処かで美味しいものを食べていたと思っているらしい。
空兄にちょっとだけ感謝しながら、何処から調達してきたのか柿の葉寿司をありがたく使わせてもらって輝と太陽を二人にすることにした。
相変わらず女の子口調の太陽はそれを食べながら、輝のそばで笑っている。少し戸惑いながら、輝は太陽の様子を伺っている。 俺は同じ部屋にいるけど、あえて二人を無視してパソコンを弄っていた。もう何年か使っている古いノートパソコンだからちょっと調子が悪い。情報とかいろいろ整理しながら空きを作っていた。
 太陽はそれを不思議そうな顔で眺め始めた。輝もそんな太陽と一緒にジロジロと見ている。無邪気な二人の表情に、俺は少し躊躇いながら
「二人とも、そんなにジロジロ見ないでよ」
とはっきり言った。でも二人は気にしていない。
「何してるの?」
 太陽はそう言って画面を覗き込んだ。どうせ見たってメニューは全部英語だから太陽には多分読めないと思うんだけどなぁ。
「空き容量を作ってるんだ」
 二人は顔を見合わせてニコニコと笑いながら俺を見ている。どうやら、画面の英単語がどういう意味なのかを話しているらしい。記憶があろうがなかろうが、二人の仲はいつもとなんら変わらない。笑顔で二人は俺を見つめている。
 俺はパソコンを閉じると
「何?」
と二人に尋ねた。
 太陽はニコニコと笑って首を横に振った。それから何も言わずに輝の肩に凭れた。
 少し恥ずかしそうな顔をして、輝は太陽の顔をちらっと見た。急に優しそうな表情をして、輝はにこっと微笑んだ。輝の首筋に掛かる太陽の髪が少しくすぐったそうだ。
 きっと、今の太陽を学校に連れて行ったらモテるだろうなぁ。今の太陽はいつもの乱暴な口調じゃないし、大人しくて何処からどう見たって女の子だから。まさか、ドイツで賢治の顔面に殺人キックをお見舞いしたなんて、誰も信じないだろうし……。
 俺は少し考えてから太陽に
「太陽は神の使いが住む山って何か分かる?」
と尋ねた。
「若草山じゃない?」
 太陽はニコニコと微笑みながらそう答えた。輝が
「ホントかよ?」
と尋ねると、にっこりと自慢気に微笑んで頷いた。
「うん」

 その日の夕方、太陽がお昼寝しているのを見た俺は輝を引っ張って廊下に出た。
「今のうちに行こう」
「何処に?」
「若草山だよ、賢治に先を越される前に」
「でも太陽はどうするんだよ?」
「このまま寝かしといたら良いじゃん。起こさなかったらいつまでだって寝てるよ」
 輝は心配そうな顔で黙ってしまった。
 やっぱり太陽が心配なんだよね? 連れて行った方が記憶は早く戻る筈だけど、また太陽が怪我する筈だし。何を考えているのか分からないから、無茶ばっかりするし……。
「じゃあ、空兄と一緒に車で待っててもらう?」
 俺はそう、悲しそうな苦しそうな顔をした輝に尋ねた。急に俯いて苦しそうな顔をした輝は黙って頷いた。
「そうする」
力なくそう答えた輝は少しつらそうだった。
 すると突然ドアが開いた。びっくりして、俺は少し後ろ 下がったけど、ドアから顔を出したのは太陽だった。まだ少し寝ボケているみたいだったけど、目はぱっちりと開いていた。
「また私の事、置いていくの?」
 太陽はそう言って、輝の顔を見上げた。さらさらの髪にはやっぱり寝癖なんて全くついていなくて、悲しそうな目をしていた。 「輝くんとサムくんはまた私の事を一人にするの?」
 輝が苦しそうな顔をして、太陽を見た。それから少ししゃがむと
「頼むよ、怪我させたくないんだ」
と囁く様に言って、その髪をそっと優しく撫でた。優しい口調だったけど、何処か厳しいような、不思議な響きだった。
「私、一人になるの嫌」
 太陽はそう言って、俺と輝を順番に見つめた。今にも泣き出してしまいそうな顔をして、太陽は輝の服を引っ張った。
「お願い、私も連れて行って」
 すると、空兄が走ってきて
「じゃあ、車で俺と待っていよう」
と太陽の肩を叩くと、輝を引っ張って一階へ向かって階段を駆け下りて行った。俺はまだ少し納得していない様子の太陽を連れて、車に乗った。

 若草山に着くと、やっぱり太陽は輝から離れてくれなかった。輝が何を言っても聞かないから、空兄に言われて連れて行く事にした。仮にもあの太陽だし、そんなに簡単には怪我しない筈だと、空兄からも言われたし、俺はその言葉を信じる事にした。
 山の頂上まで上ると(俺はすでに息が切れて、しゃべる事すらままならなかったけど)、太陽はひょこひょこと歩いて鹿の前にしゃがんだ。
「サム、太陽のそばにいろよ」
 輝はそう言うと、真っ直ぐ外国人を連れた賢治のいる方向へ向かって歩き始めた。俺は太陽のすぐそばに立ったまま、そんな輝を見ていた。
 太陽は突然立ち上がった。
 何も言わずに賢治の顔を見つめて、苦しそうな顔をしていた。もしかして、何か思い出したのかなぁ? と思いながら、俺は太陽を見ていた。太陽はやっぱり何も言わず、穴が開くほどじっと賢治を見つめている。
「ああ、輝くん」
 賢治はにこっと笑って、輝の肩を叩いた。
 鬱陶しそうに、輝はその手を振り払った。それから一度こっちを振り返って太陽を見た。少し優しそうな輝の笑顔を太陽は見ていたのか、俺には一瞬分からなくなった。太陽はまだ目を見開いて、真っ直ぐ賢治を見つめている。
「遅かったね、邪魔しに来たの?」
 賢治はそう言ってズボンのポケットに手を突っ込むと、銃を出し、輝に真っ直ぐ突きつけた。躊躇う様子は全くない。それどころか、いつでも撃てるようにと引き金に指を掛けている。
 少し驚いた顔の輝は、何も言わずに銃を見つめている。流石の輝も、こうなるとどうしようもないらしい。いつもみたいに太陽がスキを作ってくれる様子もない。
 俺が何とかしなくちゃと、焦ってはみるけどいい案は全く思いつかない。チェスだったらこういう時どうする? クイーンが取られちゃって、チェックメイト寸前だったら……。俺だったらチェックされる前にチェックメイトする。
 とはいえ、此処には戦力が輝しかいない。銃を持っていないプロモーション前のポーンである俺と、戦う記憶を失ったクイーンの太陽と、銃を突きつけられてどうする事も出来ないナイトの輝。こんなの、チェックメイトどころかステイルメイトにもドローにも持ち込めない。
 俺は考え続けた。
 もし今此処で、太陽に武器を持たせてまた戦える状態にすれば勝ち目はある。今すぐにでも輝を助けに行かせて、チェックメイトに持ち込める。
 もし、今俺がプロモーション出来たとして、ナイトかビショップになれたら、駒を減らす事が出来る筈。何か武器を探してクイーンじゃなくてもいい、何かにプロモーション出来たら……。
 駄目だ、俺が使える武器なんて銃だけ。日本じゃ銃なんか持ってちゃいけないからないし、大体、あったとしても輝は捨て駒にしなくちゃいけなくなる。輝を捨て駒なんて絶対に駄目。
 ……となると、後は太陽にミラクルを起こしてもらう事しか出来ない。今此処で、この状態をどうにかする事が出来るのは太陽だけ。太陽ならどんなに強い相手だって、顔面に殺人キックを決めて、敵のキング(この場合は賢治かな?)をチェックメイトに追いやる事が出来る。ルールは全て無視して、チェックメイト出来る無敵のクイーンだから。
 俺は太陽を見た。
 太陽は真っ直ぐ賢治を見つめている。視線は何処かいつもと同じような強い視線で、拳をぎゅっと強く握り締めている。
 記憶は戻ったんだろうか? 何も言わずに真っ直ぐ立っている太陽の背中はさっきよりも少し大きい気がする。
「サム、ちょっとだけでいいから気を引け」
 図太く低い、いつもの太陽の声だった。
 記憶戻ったんだ、と嬉しくなると同時に、俺は声を張り上げて叫んだ。自分の右側を指さして
「あああああああああああああああああああああ!!!」
と。
 その瞬間、太陽は駆け出した。
 俺と太陽の方を見た輝は二カッと笑って、賢治の銃を弾き飛ばした。それから凄い勢いで賢治を殴り飛ばした。太陽はそんな輝を囲んでいた外国人の集団をばさばさとなぎ倒していく。まるで日本刀を握った女侍のように、太陽は強かった。
 二人はすぐに賢治達を振り払った。
 俺はほっとして、そんな二人のそばに走った。逃げていく賢治の背中に太陽は大きな声で
「次は命がないと思え!!」
と悪役そのものの台詞を浴びせた。

 その後、山から出てきた大量の古文書を俺達は博物館に持って行った。まあ、オークションなんかは出来ないし、気にはしなかった。お金にならない事は初めから分かっていた事だし。
 輝は太陽と誇らしげな顔をしながらダンボールに一杯の古文書を係りの人に渡していた。俺はそんな二人と肩を並べて、凄く嬉しかった。
 いろんな事があったけど、今回は無事、宝物を守れたし。  そうそう、阿修羅像は傷ひとつなく戻ってきたそうだ。捨てられていた車から無傷で発見されたらしい。俺達はテレビでその事実を知った。
 その後ずっと、俺達は三人で剣道の特訓をした。俺はすぐ疲れてやめたけど、輝と太陽は帰るまでずっと竹刀を握り続けていた。  

 そして、空色中では武道大会が始まった。
 当然ながら、俺は一回戦で敗退。輝と太陽は特訓の成果か、難なく予選は突破した。零は女子達を蹴散らして(流石、蒲公英町の坂本竜馬)一気にトップ。
 輝は最終予選の時に零に負けてしまったから、其処までだった。それに比べて太陽は難なく最終予選も突破してしまった。  空色中の剣道部は太陽以下だったのがショックだったのか、皆悔し涙を流していた。
 太陽と零の試合は一番最後までやっていたので、見ている人はめちゃくちゃ多かった。始めは緊張していた太陽も、輝の応援で元気になった。
 そして、太陽は奇跡の一本を取った。
 審判の先生の合図で竹刀をいつもと同じように握った太陽は剣道じゃ絶対に使わないような太刀筋(どうやらマスク・オブ・ゾロで出てきた太刀筋らしい)であっさり零の竹刀をかわして、余裕の一本を取ったのだ。
 しんとした体育館の中に太陽の大きな声が響いた。
「めぇ〜ん!!」
そのあと響いた軽快な竹刀の音に、輝は大喜びしていた。

 俺と輝と太陽はその後の表彰式をサボった。輝は三位、太陽は一位だったのに、もったいないよとは言ってみたけど、二人は嫌がって出なかった。
 屋上に上がって三人で並んで空を見上げていると、楽しそうな声が体育館から聞こえてきた。俺達を探しているらしい、先生達の声も。
 でも、俺は嬉しかった。
 太陽は元気になったし、輝も笑っている。前よりもずっと仲良くなれた俺達はやっぱり親友なんだなぁって、心から思った。
「なぁ、輝」
「ん?」
「約束どおり転校生には勝っただろ? アイス奢れよ」
 輝は笑って頷いて
「また今度なぁ」
と道着姿の太陽の肩を叩いた。
 金色の長い髪がさらさらと揺れて、太陽はその髪を振り払う。強い漆黒の瞳は真っ直ぐ空の太陽を見つめて、首に吊るした(自称)お守りの剣のペンダントをぎゅっと右手で握り締めた。
「じゃあ、今日はうちにおいでよ、紅茶とクッキーでお祝いしよう」
 俺はそう言って、二人の肩をぎゅっと抱いた。
「よっしゃぁ〜!!!」
 太陽がにっこりと笑って声を張り上げた。髪の毛が俺の首筋をくすぐった。
「歌おうぜ、勝利の歌だぁああああああ!!」
そして、輝と太陽は仲良く声を張り上げて歌い始めた。
「オレ達陽気なトレジャーハンタぁー♪ どんなときぃも絆は固い〜♪ どんな事があったってぇ〜仲間と一緒なら乗り越えられるぅ〜」
 俺は一緒になって歌いながら、すぐ隣りにいる太陽と輝の肩をもっと強く抱いた。無敵のトレジャーハンターだから、二人はまた無茶して怪我するだろうけど、でもやっぱり仲間だから、どんな事も必ず乗り越えられる筈。大切な親友をこれからもずっとずっと大切にしていこうと、そう心に決めて俺はまた声を張り上げた。
「スカイブルぅーのトレジャーハンタぁ〜 空色中ぅのトレジャーハンター♪」
 無敵の俺達、スカイブルーのトレジャーハンターだよね? ずっとずっと、永遠に……。



Fine.





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