スカイブルーのトレジャーハンター
      燦々と降り注ぐ陽の下で
         


 私は大きなため息をつきました。
 というのも、蒲公英学園一の問題児である太陽が元プロボクサーの先生と決闘をする事になったからです。太陽が先生に負けた時は髪を黒に染めるっていう、そういう決闘です。
 太陽は目立つ青いセーラー服のまま、ボクシング部が使っている体育館横の武道場に居ます。クラスメイト達が見ている前で、太陽は堂々と立っています。ああもう、せめて服を着替えたらどうなんですか? 女の子がスカートでケンカだなんて……。(それも超ミニのスカートで)
 私は自分のと、押し付けられた太陽の革鞄を持ったまま武道場の隅に立っていました。
 先生は薄い白の体操服に黒の短パン姿。片手にはヘッドギアまで持っていて、手はテーピングでがちがちです。ギラギラした目を太陽に向けて
「桜野、約束だ。先生が勝ったら髪は黒に……」
としつこく言っています。
 私は半ば呆れながら太陽を見ていました。
 だって思いません? 先生は一度オリンピックに出た事もあるって言うボクサーですよ? いくら太陽が無敵だからって無事とはいかないでしょう。輝とはケタ違いだと思います。
 でも太陽は自信満々。さらさらと髪を揺らして先生に人差し指を指し宣言しました。
「オレは負けねぇっ!!」
 先生も半分呆れているようで、太陽を黙って見つめています。ま、いいかと呟き、ヘッドギアを太陽に投げ渡すと
「桜野、怪我するといけないからつけなさい」
とそう静かに言いました。
「ヤなこった。なめてんじゃねぇぞ」
 太陽は怒鳴ると、ヘッドギアを武道場の端に立っているボクシング部の生徒に投げつけました。そして大声を張り上げて
「掛かってきやがれっ!!」
と先生に向かって怒鳴って見せます。
 辺りのクラスメイト達がこそこそと太陽が負けると噂しています。実際私もそう思いながら太陽を見ています。
 すぐ隣りに立っていたクラスメイトの前田さんが私に
「黒仁はどっちが勝つと思う?」
と小さく尋ねてきました。
 私は少し考えてから、やっぱり太陽は無敵だからとそう答えました。近くに居た人達がええっと言っていますが、私は気にしない事にしました。やっぱり太陽には勝ってほしいから。
 先生は少し迷いながら太陽にルールを説明しました。淡々と静かな口調です。ルールはこう。
 太陽がボクシングを知らないから、どちらかがギブアップ、またはノックアウトするまでのものとする。ボクシングのルールにのっとって、三分間のラウンドを3まで行うものとする。レフリーとジャッジはボクシング部が行う。
 この場合、太陽がかなりの不利になる事に先生は目をつけています。年齢の差を考えたとしても、太陽が勝つ為にはノックアウトするしかないんです。だって、ボクシング部は先生を勝たせたい筈だから、太陽にはかなり不利な審判になると思います。
 でも太陽はそんなのお構いなし。気にもしていません。
 ボクシング部の部長(同じクラスの日暮さん)が一人立ち上がって、何処から持ってきたのかは知らないけれど埃をかぶったゴングを鳴らしました。
 太陽は急に走り出すと、のんびりと構えていた先生の背後に回って強い回し蹴りを背中に遠慮なしに食らわせました。そして思い切りよろめいた先生のお尻を蹴っ飛ばし、倒れた背中に体重の乗った重そうなパンチを食らわせました。
 太陽は少し下がってから、よろよろと立ち上がった先生の鳩尾に重い拳をめり込ませました。
 先生はその一撃が相当効いたのか、床に倒れて意識を失ってしまいました。
 その瞬間、太陽は狼のように雄叫びを上げて拳を突き上げました。しんと静まり返っていた武道場にその声は響き、辺りは急激にざわめきました。
 その間たったの二分で、太陽は私に飛び切りの笑顔を見せました。とても嬉しそうな笑顔だったから、私は少し誇らしかったです。何より、太陽が本当に強かった事を証明したんですから。
 私は太陽の所に走って行くと、タオルを押し付けて大笑いしました。
「もっと引き伸ばさなくちゃ面白味に欠けますわ」
「あの先生がこのオレをなめたから悪いんだぜ」
 太陽は自信満々でそう笑ってから、私の手を引っ張りました。
「早く病院に行こうぜ」
「ええ」
 私は笑って太陽の後ろを黙って追いかけました。

 病院では輝が病室でオスカーと大富豪をして遊んでいました。もうすぐ手術だっていうのに、輝は家で遊んでいるみたいな態度です。ちょっとは怖がったらどうなんですか、全く。
 輝は清潔そうな白い長袖のパジャマ姿でベッドにちょこんと座っています。左眼には白い眼帯、手にはトランプを持っています。
 その正面に座っているオスカーはサムのTシャツと派手に破けたGパン姿で、ベッドの隣りにある椅子に腰掛けています。チラッと覗く胸の大きな傷が、少し怖い気もします。
 太陽は輝に嬉しそうに先生との決闘の事を話しました。太陽なりに気遣っているんでしょう。家では輝の目の怪我は自分のせいだって気にしてんばかりいたんですもの。
 イギリスから帰ってすぐ、病院に直行した輝の目は完全に潰れているそうです。腐りかかった目を抉り出す手術を今日の夕方にするそうで、昨日から入院しています。特に動揺する事もなく、輝はその事実をあっさりと受け入れてしまって、周りが逆に輝を心配しています。
 空さんは此処最近、輝を避けるようにしているそうです。輝が私にそうぼやいていました。確かに空さんが避けるのも分かります。だって、私もチラッと見ましたけど、とてもじゃないけど恐ろしくって直視出来ませんよ。ホラー映画なんて可愛い方だと思いますわ。
 でも輝さんは心配なんてしてほしくないそうです。私にそう言った輝さんはとても苦しそうな顔をしていて、私はびっくりしました。きっと本心は自分にしてみたらどうって事ないのに、周りが心配しすぎている、そういうものなんでしょう。心配そうな顔をされた時の輝の目がとてもつらそうでした。
 サムはオスカーの後ろで新聞をのんびりと読んでいました。オスカーとは少し違う服を着ています。でもやっぱり、サムはカッコいいです。紳士っぽいというかなんというか……。
 オスカーは昨日、本当に機械が埋まっているのかどうかというのを調べる為に同じ病室に入院しているそうです。どんなに調べても、心臓には機械どころか金属すら埋め込まれていなかったそうです。ちゃんと事実が分かったおかげでオスカーはとても元気になりました。
 昔と同じ、仲のいい二人が笑っているのを見るととてもほっとしました。だって、一時はお互い殺し合いのような戦いをしてきた敵同士だったんですよ。もう元には戻れないのでしょうかと、私はちょっと心配していました。心配なんてする必要も無かったようですが……。
 お兄様が見慣れない白衣姿で病室に入ってきました。後ろには逃げようとしているのか、もがいている空さんも居ます。
「輝くん、調子はどう?」
「めっちゃいいぜ」
 二カッと笑った輝は親指を立てて笑います。左目を覆っている眼帯が痛々しくて、私は少し躊躇いました。
 だって、目が見えていないって事はとても大きな事じゃないですか? そうでしょう? それなのに、あんなふう笑われたらどう接したらいいのか分からなくなってしまいます。
 でもお兄様はにこっと笑い返して
「じゃ、そろそろ一本目の麻酔をかけてもいい?」
と点滴の袋と注射器をベッドに作りつけの机に置きました。
 輝は笑って頷くとパジャマの袖をめくって、少し不安そうにお兄様を見上げました。さっきまでの余裕そうな表情は嘘みたいに崩れて、注射を見るのも少し躊躇っているようでした。
 お兄様は少し考えてから輝の手をそっと取って、空さんを見ました。まだ逃げ出そうとしているらしかったのですが、お兄様はそんな空さんに黙って注射器を渡しました。
「泉、俺は嫌だぞ」
「輝くんは空がお望みだよね?」
「そりゃあ……嫌ならいいけどさ」
 輝が珍しく、空さんに不安そうな視線を向けました。いつもだったら、どんな事があっても空さんにだけは心配をかけさせたくないと意地を張るから、こんな顔をする筈が無いのに……。

 空さんも輝の視線に気が付いたのか小さなため息をついて、黙って輝の腕を取りました。
「輝、横になってろよ」
「何で?」
 輝がそう言って空さんを見ました。
「まだいいじゃん」
「医者の言うことは聞くんだよ」
 空さんは何も言わずに輝を寝かせると、注射を打ちました。手早くささっと。
 輝はすぐ隣りで、心配そうに見ていた太陽の顔を見ました。
 太陽は輝の目を見てからというもの、ずっと自分を責めています。輝があんな酷い怪我をしたのは自分が弱いからだ。自分が弱いから、輝を助けるのが遅れて左眼を失ったんだ、と。
 昨日も自分の部屋で一人、泣いている事を私は見ていました。でも、どうしても掛ける言葉が見つからなくて、見ている事しか出来なかったんです。太陽があまりにも苦しそうで、あまりにも自分に腹を立てていたから。
 輝自身は太陽をどう思っているのでしょうか? 自分の怪我や、周りについて。聞いたところであの鈍感男が隠さずに話してくれそうも無いから私は聞きませんけど、太陽にくらいは本心を話したらいいのに。
 だってそうでしょう? 輝が一番信用している親友が太陽なんですもの。誰にも話さないから自分だけで抱えきれなくなって、時々爆発してしまうのが輝なんです。爆発する前に誰かに話せばいいのに、大事な人には心配を掛けさせたくないし関係の無い人には話す必要なんて無いと考えているんですもの。すぐに爆発しちゃいますわ。
 でも、そんな輝が珍しく言いました。
「なあ、太陽」
「何だよ?」
「寝るまで手を握っててくんねぇ?」
 きっと、輝の精一杯の甘えだったんだと思います。輝がそんな子供みたいな事をいうなんて、余程怖いんでしょう。信じられないくらい強がりなのに、自分の弱みをさらすような真似をよくしたなぁと感心しちゃいました。
 太陽はそんな輝の甘えに気が付いたんでしょうか? それともただ、希望に応えてあげたかっただけなんでしょうか? それは分かりませんが、にこっと微笑んで輝の手をぎゅっと握ってあげました。
「おうっ!」
 太陽はそう返事をしました。
 その瞬間、輝がとても嬉しそうに笑いました。白い腕が少し弱々しかったですけれど、でも確かに其処に居るのはいつもと同じ輝だって分かったから、凄くほっとしました。
 サムとオスカーも同じ気持ちだったようです。輝の顔を覗き込んで笑いました。オスカーはどっちかというと、ニヤニヤした感じの笑顔でしたが、輝は気がついていないみたいでした。
 お兄様は空さんに何かを囁くと、時計をチラッと見て
「じゃあ、輝くん。オレは着替えてくるからね」
と手を振って病室を出て行ってしまいました。

 空さんは点滴の用意をしながら輝に話し掛けました。
「輝、退院したら焼肉しような」
なんて話し掛けたらいいか、空さんは思いつかなかったんだろうなぁと思います。じゃなきゃ、太陽でもないのに焼肉の話なんてします? まずしないですわ、絶対に。
 輝はそんな馬鹿みたいな会話でも空さんに話し掛けてもらえたのが相当嬉しかったみたいで、ニコニコしながら頷きました。
「オレは兄貴のだし巻き卵が食べたい」
 輝って、そんな安っぽいものが食べたかったんですか? せっかくのお祝いなんだから、もっと豪華な事を言ったらいいのに。ほら、伊勢海老とか鯛とか……。太陽だったら言いかねないですけど、一度でいいからキャビアが食ってみたいとか。
 まあ、確かに空さんの料理が美味しいっていうのは何度か聞いた事がありますよ。輝が何度か嬉しそうに話しているのを聞いた事があります。でも、あえてのだし巻きって……。
「だし巻きかぁ、よし任せとけ!」
 空さんはにこっと笑って頷きました。そのついでに点滴の針を何の脈絡もなくぶすっと突き刺しました。
「いってぇ」
「大人しくしてろよ、じきに薬が効いてくるから」
 その言葉どおり、輝はすぐにぐっすりと眠り込んでしまいました。結構不安そうな顔をしていた割には、なかなか安らかな寝顔でした。
 
 私達は手術室の前の長いすに座って待っていました。心配で仕方が無い様子の太陽がどうしても待つと聞かなかったんです。
 気持ちは分かりますけど、かなり遅くなりそうだと聞いていたので私は何度か止めたんですよ。でも、聞かないから私も一緒に待っているんです。  心配そうに頭を抱えている空さんが、ぶつぶつと何かを呟いています。何の事だかよく分かりませんけど、多分自分を酷く責めているようです。手当てが早かったらこんな事にはならなかったとか、やっぱり警察に届けるべきだったとか。
 私はその隣りで黙っている事しか出来ませんでした。仕方が無いじゃありませんか。こうなってしまったんですもの、どうにも変えられやしません。例え、私が何処かの王国の女王だったとしても。
 何時間も座って待っていました。
 オスカーとサムが元気の無い太陽を元気付けようと話し掛けていましたが、とうとう諦めて黙り込んでしまいました。
 今にも泣き出しそうな顔をした太陽は、手術室のドアをじっと睨みつけて黙っているだけ。太陽なりに堪えているのは分かります。太陽の目はとても強く、真っ直ぐとした鋭いものだったんですもの。自分は強いと言い張っている時のと同じ、悲しそうで同時に何処までも純粋な目。
 私は顔を上げて太陽が睨んでいる手術室のドアに目をやりました。太陽が急にさっきまでとは違う目をしたからです。何かが起こったんだと、そう思ったんです。
 実際その通りでドアのランプは消え、疲れきった顔をしたお兄様がひょっこり顔を出しました。充血した目を右手で擦って、空さんの前まで歩いていきます。
 不安そうに俯いていた空さんは、まだ気がついていません。頭を抱えたまま動きもしません。
「空、終わったよ」
 お兄様はそう言って、空さんの肩を叩きました。優しい笑顔を浮かべて、お兄様は空さんの顔をじっと覗き込みます。
「どうだった?」
 顔も上げずに、空さんは言いました。
 なんだかつらそうな横顔に私はびっくりして、サムとオスカーを見ました。二人はニコニコしているだけ。少しは心配したらどうですか? 全く。
「大丈夫、思ったよりも腐敗が進んでたから時間が掛かったけど問題なく終わったよ」
「もう会えるか?」
「少し待って、すぐ部屋に移すから」
 お兄様は着替えてくると言って、足早に手術室の方へと走っていってしまいました。
 空さんは輝が相当心配だったんでしょう。戻って来た時の幸せそうな寝顔を見たとたんほっとしたのか倒れてしまいました。お兄様が着替えて出てくるなり、大きなため息をついて全くと頭を抱えました。

 夜、今日は輝についているとお母様に電話をして、どうしてもと言って聞かない太陽と病院に居ました。サムとオスカーも一緒に居ると言ってくれて、とても心強かったです。
 太陽は輝が目を覚ますまでは起きてるとか言っていたくせに、一番乗りで眠り込んでしまいました。お兄様が持ってきてくれた毛布を太陽の肩に掛けて、私はサムと二人で廊下に出ました。オスカーは気を利かせてくれたのでしょう、太陽についていると笑って言ってくれました。
「オスカーとはどうですか?」
「まあまあかな☆」
 サムはにこっと笑って、私の肩に腕を回しました。
 とても暖かい腕で、私はとても嬉しかったです。だって、心地が良かったんですもの。本当はずっと前からこうして欲しかったんだけれど、太陽もオスカーも居たから言い出せなかったんです。
 私はその腕に凭れて、目を閉じました。このままずっと一緒に居られたらいいのに。いつか、お母様は太陽の言葉で言えば『マジギレ』して私を輝とくっつけようとするでしょう。
 輝は私を親友だとしか思っていません。私もそう。はっきり言ってあんなボクシング馬鹿を結婚相手として見る事なんて出来ません。輝も思っている筈です。自分は太陽しか愛せはしないと。
 サムはどう思っているんでしょうか? 私を一時期だけのものだと思っているんでしょうか? 私だけが勝手に愛しているだけなんでしょうか? 何かあったら私の味方をしてくれていつかは二人で暮らしたりしたい。そう望んでいるのは私だけなんでしょうか?
 私はぼうっとそんな事を考えていました。
 聞きたいですよ。もちろんですわ。でもそんな事を聞くなんて、サムを信じていないみたいじゃないですか? だから言えないんです。
 サムは静かに幸せそうな顔をしているだけ。私の前でだけはあんまり話さないサムが、私には時々信じられなくなってしまったりする。裏切っているみたいな気分がして嫌ですけど、でもそうなんですもの。
 その時でした。サムが急に私をぎゅっと抱きしめました。真っ赤な髪から甘いシャンプーの香りがして幸せな気分になります。
 でもサムはそんなつもりじゃなかったようです。低い鋭い声で言いました。
「賢治が此処に何の用?」
 かなり低めの鋭い声で、私は急に不安になりました。サムの背中に腕を回してぎゅっと強く抱きしめると少しは安心するかとも思ったのですが、そんな事はちっとも無くて逆に腕が震えだしました。
「友達のお見舞いに来たんだよ」
 賢治さんはいたって普通の声でそういいました。
 此処に居る、昔の友達は友達の目をナイフで貫いて拷問したのに、どうして此処へ来られるんですか? 生理的に人を憎むのは初めてです。
 サムが静かに言い放ちました。
「此処には賢治が……サタナエルがお見舞いに来るべき相手は居ない筈だけど」
 多分、サムもオスカーに聞かれたくなかったんでしょう。オスカーが賢治さんの所から逃げてきたも同然なんですもの。オスカーが賢治さんに殺すと脅されていたのも事実。怯えたっておかしくはありません。
 けれど、オスカーはにこっと微笑んで部屋から出てきました。笑顔でサムと私に手を振って見せたんです。
 私にはオスカーに恐れなんてモノが微塵も無い事を信じられませんでした。
 確かに、心臓に機械を埋め込んでるから従わなかったら殺すって脅されていたのがうそっぱちって事がオスカーにはかなり救いだったのかもしれませんよ。でも、輝を目の前で拷問した筈じゃないですか。私だったら絶対に笑って会えませんわ。
 でもオスカーは笑って私の前を通り過ぎ、賢治さんの顔を覗き込みました。それはそれは強い目を向けたオスカーが、凄く心配そうなサムの背中をぎゅっと抱きしめて、私は行かないでと囁きました。サムに何処へもいって欲しくなかったから。
「賢治、俺の事を騙してたのは何で?」
「冗談のつもりだったのに、オスカーが本気にしたんだよ?」
「当然でしょ? 俺は確かに死んでたんだもん」
 オスカーは賢治さんの手をぎゅっと握って見せました。逃げるなといいたいんでしょうか? でも、私はそんなオスカーを見ていられませんでした。
「ごめんごめん」
 少しも悪びれる様子もなく、賢治さんはそう笑って謝りました。オスカーとは本当に遊んでいただけなんだって、本当にただの冗談を言って謝っただけみたいな、そんな言い方でした。
「オレはお見舞いに来たんじゃないよ、賭けをしようって提案に来たんだ」
 賢治さんはにっこりと笑って見せると小さな写真立てに入れられた古い紙が見えました。茶色く荒いその紙にはいかにも古代エジプトですといった感じの字と絵が描かれていました。
 オスカーがそれを読む声が聞こえます。
「日が昇り没する場所が臨める、考古学者の聖なる丘から見えし沈まぬ星こそ宝の道標」
 意味不明なんですけど……。大体、日が昇り没する場所って何ですか? からかうのもいい加減にして下さいよね。
「この謎を先にスカイブルーが解く事が出来たら、”HELL”としてトレジャーハンターをするのはやめるよ。」
 賢治さんはいたって真面目な口調でそういいました。静かで優しいその声に私はギョッとしましたが、サムは真面目な顔をして賢治さんを見つめます。
「で、”HELL”が勝ったら?」
「輝とオスカーを返してくれるかな? もちろん、今度は逃げられないように本物の機械を埋め込むつもりだけど」
 オスカーが賢治さんを睨みつけました。さっきまでの余裕は消えています。間違いありません。絶対にキレたりしない筈のオスカーが怒っています。
「まあ、勝てる気がしないんならいいけどね。所詮、スカイブルーの友情ってその程度のモノだって訳だしさ」
 賢治さんはにっこりと笑って、オスカーの顔を見つめました。そして静かに囁きました。
「どうせ、スカイブルーにはオスカーの居場所なんて無いんでしょ? 大人しく戻ってきた方が身の為だと思うけどね」
 その瞬間、私にはオスカーが何をしたのかが分かりませんでした。いきなりサムが私を突き飛ばし、オスカーに向かって走って行くのが分かりました。理由は分からないけど、サムの焦り方が尋常じゃないのは確かです。
 顔を上げて二人を確認すると、今にも泣き出しそうな顔をしたオスカーが拳を握って立っているのが見えました。賢治さんは口を切ったのか口の端を手の甲で拭い、真っ直ぐオスカーを睨みつけました。今にも殴りかかりそうなオスカーの左腕をサムが押さえつけて叫んでいます。
 私は立ち上がると、オスカーの顔をじっと見つめて言いました。
「オスカー、あんな相手を殴っても拳が痛いだけですわ。言わせておきましょう」
 オスカーがようやく我にかえったのか、拳を解くとサムにしたがって病室へと引き返しはじめました。
「へぇ〜、オスカーは逃げるんだ? 中途半端な考古学の知識しかないんだもんね、スカイブルーにはただのお荷物か」
 私はまだ言おうとしていた賢治さんの鼻に思い切り蹴りを入れてやりました。つらそうに泣きじゃくっているオスカーの代わりというつもりではないですけど、それでもこれくらいしなくちゃ気が済みませんわ。
「その賭け、請けてたつよ」
 サムが立ち止まって、賢治さんに言い放ちました。本気なのとオスカーが不安そうにサムを見つめますけど、サムはそれを完全に無視しています。
「その代わり、スカイブルーが勝った時には”HELL”を解散、賢治は二度とトレジャーハンターしないって誓ってもらうよ。もちろん、オスカーが信仰してる筈の『サタナエル』にね」
 賢治さんはにやりと微笑むと、立ち上がって囁きました。
「じゃあ、賭けは明後日の日没からでいいね?」
「上等だよ」
 サムはそう答えて、オスカーの肩をそっと叩きました。サムはゆっくりと病室の方へと戻っていきました。私はそんな二人の後ろを追いかけて、病室に入ると同時にドアを閉めました。迷惑なのは分かっていましたけど、力一杯閉めました。今まさに物にあたりたい気分でしたから。
 私は満足とばかりに鼻を鳴らすと輝の方に目をやりました。
 ドアのおかげで太陽と輝は目を覚ましたのか、黙って私とサムとオスカーを見つめていました。輝の痛々しい顔の包帯がちょっと怖かったです。
 輝は急に左眼に手をやると、痛そうに顔をしかめて、太陽に何かを言いました。私にはよく聞き取れなかったのですが、太陽が慌てて病室を飛び出して行った所からして、何かあったのでしょう。
 オスカーについてるサムのかわりに、私は輝のベッドに腰掛けて尋ねました。
「どうしたんですか?」
「痛い」
 情けない声でそう呟いた輝は、つらそうに包帯に手を掛けました。普通だったら外すべきじゃないので止めたのですが、輝は聞きませんでした。
 眠そうな顔をしたお兄様が太陽に引っ張られて病室に来る頃には、左眼を覆っていた包帯を外した輝が私の持っていた手鏡でまじまじと左眼を見つめていました。
 私はどうしても輝を直視できなくて(だって怖かったんですもの)、そっぽを向いている事しか出来ませんでした。まさか包帯を付け直そうなんて勇気のある行動は出来なかったんですもの。
 お兄様は真っ直ぐ輝に近寄っていくと
「どうしたの? 痛む?」
と尋ねて、輝の顔を覗き込みました。どうして平気なんですか? と思いながらも私は黙って静かに目をそらしていました。
「痛い、めちゃくちゃ痛い」
 輝は泣き出しそうな声でそう言いました。太陽が心配そうな顔をして、私の肩に手を掛けました。さらさらと髪が揺れて、私はびっくりしました。
「見せて」
 お兄様が白衣のポケットから小さなペンライトを引っ張り出すと、それで輝の目があった筈の場所を照らしました。
「大丈夫、痛み止めが切れただけだよ」
 お兄様は優しく笑って見せると、お兄様を追ってきたらしい看護婦さんに声を掛けて痛み止めを持ってくるようにと伝えました。全然焦ってなんかいなくて、やっぱり医者なんだなぁと思いました。
 輝も痛み止めの注射(看護婦さんに打ってもらった)が効いてくると落ち着いたのか、大人しくオスカーとサムの話に気が付きました。さっきまで私も焦っていて分からなかったのですが、どうやらオスカーは余程ショックだったのか賢治さんの事でまだ泣いているみたいです。
 輝と太陽が急に二人を見て
「どうしたんだよ? 何があったんだよ?」
と優しく尋ねました。
 大分と落ち着いた様子のオスカーが、涙声で
「サムが信じられない賭けを受けたんだよ」
とかなり怒った様子で言いました。やっぱり、”HELL”へは何があっても戻りたくないんでしょうか。
「確かにさぁ、あんな事を言われて引き下がれないけど俺が一番苦手な古代エジプトの謎を引き受けるし、あんな酷い条件飲むし……」
「だから、古代エジプトは太陽が一番詳しいってば」
 オスカーがむっとした顔でサムを睨むと、その肩を思い切り突き飛ばしました。
「俺はね、今まで自分より古代文明に詳しい人をプロの考古学者以外に見た事が無いの。俺より詳しいって言う訳?」
「絶対オスカーよりも太陽の方が詳しいから」
 太陽は不思議そうな顔をして、オスカーの顔をそっと覗き込みました。さらっと金色の髪が揺れて、オスカーがそんな太陽の目にくぎ付けになってます。
「オスカーの知ってる限り、この謎は解けないんだ?」
 太陽はそう言って、オスカーの手の中にあった写真たてをつつきました。よく見ると日本語やアルファベッドなんてものは其処に書かれていません。其処にあるのは絵文字だけ。
「日が昇り没する場所が臨める、考古学者の聖なる丘から見えし沈まぬ星こそ宝の道標……ね」
 自信満々の太陽がそれを読みました。ヒエログリフでしたっけ? 太陽ってスゴイ。
「簡単じゃねぇか。日が昇り没する場所ってのは古代エジプト人が呼んでいた、クフ王の大ピラミッドの事だ。其処が臨める考古学者の聖なる丘って言ったら一つしかねぇじゃねぇか」
 オスカーがきょとんとした顔で太陽を真っ直ぐ見ます。
「聖なる丘だよ?」
「だから、アブ・シールの大丘だよ」
「考古学者のファラオなんて居る筈無いじゃん」
 オスカーがそう俯いて太陽に言いました。明らかに動揺してます。そりゃあ、今までプロ以外には負けた事の無いその知識で解けない謎を目の前で(言ったら失礼ですけど)馬鹿っぽい太陽があっさり解いちゃってるんですもの。
「それが居るんだよ、古代エジプトの最初の考古学者『カエムワセト』だ。其処から見える北極星を道標だって言ってるんだろ?」
 太陽はそう言い切ると、輝の顔を見て
「なあ、そうだろ?」
と同意を求めましたが、輝は呆然と太陽を見つめるだけで何も言いませんでした。
「だから言ったじゃん、絶対大丈夫って」
 サムの言葉に、オスカーは黙って頷くだけでした。

 翌日、検査の結果が相当良かったのか、輝は退院の許可が出ました。まあ、空さんが医者だからっていう事もあるんでしょうけど。
 輝は朝からテンションが異常に高く(痛み止めが効いてるみたいで)、晩御飯はだし巻きと夏なのにキムチ鍋だとか言っています。空さんも輝がご機嫌だからか、何も反論はしませんでした。
 あんまり元気が無かった太陽も、輝が明るく話し掛けているうちに自分を責めるのはやめたようです。いつもと同じ、仲のいい二人に戻っていました。
 空さんに明日どうしてもエジプトに行かなくちゃいけない用事があると、輝はまだ話していないようです。むしろ話したくないみたいなので、明日が心配です。
 太陽と輝が大騒ぎしながらオスカーとしゃべっているので、私はサムにそれを話しました。話したらちょっとは楽になるかと思って。
 サムは言いました。
「明日は俺と零と太陽だけで行くつもりだよ」
「どうして?」
「あんな埃っぽい所に怪我人の輝を連れて行ける? オスカーだってしばらくは母さん達と一緒に居た方がいいに決まってるもん」
 私はびっくりしながらそれを聞いていました。前を歩いている三人は気が付いていないですけど、こんなの知ったら輝は自分も連れて行けって聞かないだろうし、オスカーもサムについてくるに決まってます。
 サムが言っている事は間違いなんかではありませんし、何より輝とオスカーの事を考えてあげる限り、それが一番いい事に決まってます。二人が怒るのは目に見えてますけど、流石に追っては来ないでしょう。
「零、深夜三時を過ぎたら太陽を起こして俺の家に向かって歩いて、いいね?」
「でも其処からどうするんですか? 電車だって無いですよ」
「分かってるよ、一番早い始発に乗る。どうせ太陽はなかなか起きないだろうし、俺だってオスカーにバレないように家を出なくちゃいけない。俺が何とか家を出てから落ち合ったらちょうどいいくらいの時間になる筈だよ」
 サムはにこっと笑って見せると、私の手をそっと握って小さなメモを渡しました。
「いい? 絶対に二人に気づかれないようにしてよ」
「はい」
 私はそのメモをこっそりとポケットの奥にしまっておきました。オスカーが一瞬こっちを見たような気がしたけれど、気のせいでしょうと気にも留めませんでした。
「おい、零」
 急に輝が私とサムの間に割り込んできて言いました。サムがめちゃくちゃ鬱陶しそうな顔をしているのに、輝はあえて気が付かないフリをしています。
「今、何を隠したんだよ」
 オスカーも私の後ろに回ってきて言いました。
「隠しても無駄だよ、見せて」
 輝に手を押さえられて、その間にオスカーが私の服のポケットに手を突っ込んでメモを探し始めました。
「放してください」
「ヤだね」
 輝はそう言って笑うと、オスカーがメモを探り当てて広げました。輝が私から手を離すと、サムに向かって突き飛ばし、オスカーの所に走っていきます。
 仲間はずれにするなと一人で騒いでいた太陽が輝の背中に飛びついてメモを覗き込みました。
 輝が半ば呆れた様子で太陽をおぶると、オスカーがそのメモを二人に見えるようにちらつかせました。
「俺と輝は置いていくって訳?」
「へぇ〜、怪我人はお荷物ってか?」
 輝が太陽を下ろすと囁きました。
「輝には理由があるじゃん。俺なんか無いんだよ?」
 オスカーが怒って言いました。
 太陽がそんな二人の腕を引っ張って落ち着けといいますけど、二人は聞く耳もたずです。
「太陽は関係ねぇだろ、黙ってろよ」
「そうだよ、邪魔だから静かにしてて」
 二人が太陽に向かってそう怒鳴ったとたん、太陽が突然二人に向かって怒鳴りました。
「いい加減にしろっ!! ちょっとは考えたらどうなんだよ、そのデッカイ頭の中には何も入ってねぇのか、ああ?」
 太陽の怒鳴り声で輝もオスカーも静かに黙ってしまいました。ぷちんと切れた状態の太陽が二人に向かって大声で怒鳴ります。
「サムと零がお前ら二人の事を考えてそう決めたんじゃねぇか。荷物だ何て誰が言った?」
 輝とオスカーが顔を見合わせて、静かに首を横に振りました。太陽の言う通り、確かに私もサムも二人を荷物だと思ってこう決めたんじゃないんですもの。そんな事、思ってもいませんでしたから。
「オスカーはやっと帰って来た所じゃねぇか、一人で家に居るお母さんとしばらくは一緒に居てやらなくちゃいけねぇんじゃねぇのかよ?」
 オスカーは黙って俯きました。そして同意したのか、小さく頷きました。
「輝もだぜ、そんな大怪我して退院した所なのに埃っぽいエジプトなんかに行かせられる訳ねぇだろ。泉兄にも言われたんじゃねのかよ? 『当分は大人しくしてる事』って」
 輝も大人しく俯くと、静かに頷きました。
「分かったら偉そうな口きいてんじゃねぇよ、大人しく留守番してろ」
 二人は不服そうな顔をして太陽を見ましたが、太陽はまさに鬼とか修羅と言ったっておかしくないような顔で二人を睨みつけていたので、それ以上は何も言いませんでした。
「まあまあ、太陽ちゃん怒らないで」
 何処から聞いてたのか、お兄様がひょっこりと病室のドアを開けて入ってきました。今は白衣を着ていません。今から帰る所なんでしょうか?
「輝くんだったら、空が一緒って条件付で行かせてあげてもいいよ。ただし、一日三回は必ずこの目薬を点す事」
 お兄様はそう言って、小さな目薬のボトルを紙袋にそっと入れて渡しました。
「いいの?」
「いいよ、サボらずちゃんと点すんだったらね」
輝は満足そうに微笑むと、紙袋をぎゅっと握り締めました。
「オスカーも、お母さんに話して許可を貰ったらいいんじゃない?」
「泉兄、サイコー!!」
 オスカーは嬉しそうな顔をしてお兄様に抱きつきました。若干鬱陶しそうに頷いたお兄様は書類を机に置くと
「そういえば、空は?」
と輝に尋ねました。
「見てねぇけど」
「まだ寝てるのかな?」
 お兄様はそう言いながら、また病室を出て行きました。
 二人が馬鹿騒ぎを始めるのを黙って眺めながら、私は少し不安そうな顔をした太陽の横顔を眺めていました。暖かいサムの腕の中で……。

 翌日、早速エジプトまで来た私達はカイロからレンタカーに乗って一時間ほどの所にあるアブ・シールへと来ました。
 現在のエジプトは真夏の夕方。もう少ししたら空に星が昇りはじめる時間です。
 さっきから助手席でぐっすりと眠っている輝に悪戯して喜んでいる太陽がオスカーと二人で騒いでいます。一番後ろの席から見てる限り髪をおだんごにして遊んでいるみたいです。
 太陽が小さなトランクを開けて中をごそごそと探し始めました。お目当てのものが見つかったのか、にかっと笑って、オスカーにそれを渡しました。太陽の妹さんの荷物の中から出てきた真っ赤な口紅でした。
「太陽もオスカーもいい加減にしときなよ」
 サムがそう二人に言いました。私も
「そうですよ」
と言いましたが、二人はまるで無視。
 太陽は輝の唇にそれを塗りつけると、堪えきれなかったのかぎゃはははと笑い始めました。太陽を押しのけて輝の顔を覗き込んだオスカーもおなかを抱えて笑い始めました。
「ヤバイって太陽!!」
「ヤバすぎだって」
 太陽が本当に嬉しそうに笑っていたから結局私もサムも何も言いませんでしたが、オスカーは息が出来ないほど笑っていたので 流石に輝も起きてしまいました。
 輝が二人に
「何なんだよ?」
と言って振り返りました。
 その時ばっかりは私も笑ってしまいました。オスカーの事を言ってられないくらい、おなかを抱えて笑いました。
 だって、何気に似合ってたんですもの。真っ赤な唇で、少し崩れかけたおだんごヘアに細い三つ編みが二、三本流れて、一瞬本当に女の子かと思っちゃうほど。かなり眠そうな顔をして、気持ちが悪そうに口を拭いました。
「ああ、待てよ。拭いてやるからさ」
 太陽がそう言って、メイク落としのウェットティッシュを引きずり出し、乱暴に輝の口を拭きました。
 オスカーが文句ありげに太陽の肩を叩き
「駄目じゃん、そのままにしとかなくちゃ」
と笑いました。意味不明と言いたそうな顔をして、輝が二人を交互に見ました。
私は少し呆れながら、輝に持ち歩いていた手鏡を投げ渡しました。小さな物ですし、キャッチボールなんかには結構自信があったんですもの。それに私の知ってる輝は反射神経もなかなかのものですから、絶対に取り落としたりはしないから。
 輝はいつもと同じように鏡を受け止めようと手を伸ばしました。反応はとても早いものでした。でも、鏡は輝の手に上手く納まらず、床に向かって落ちていきました。
 それを見ていたオスカーがさりげなくそれを受け止めて、ひょいっと輝に差し出しました。オスカーは黙って鏡を受け取った輝に
「次は気をつけなよ」
と優しく笑って見せました。
 その瞬間、輝がとても悲しそうな顔をしているように見えました。気のせいかとも思いましたが、オスカーの隣りで不安そうな顔をしていた太陽を見ている限り、私の見間違いって訳ではなさそうです。
 私が何か言おうと、身を乗り出した時でした。空さんが
「到着だ」
と車を止めました。結局私は何も言えないまま、サムと車を降りる事しか出来ませんでした。
 車を降りたのは砂漠の真ん中でした。高い丘があって、いかにも作業中といった感じの人達が辺りをうろうろしています。皆エジプトの人のようです。
 太陽が目をきらきらさせながら空を見上げました。星が昇るの画楽しみで仕方が無いんでしょう。何故かはよく分かりませんが、太陽はエジプトが大好きみたいなので。
 輝はぼうっと空を見上げて呟きました。
「スゲエ、ピラミッドが見える」
 私はサムと並んでその場所から空を見上げました。砂漠の砂にだんだんと沈んでいく太陽が辺り一面を茜色に染め上げて、だんだんと薄暗くなっていきます。幻想的なその風景をじっと見つめながら、私は輝の肩をたたきました。
「太陽の所に行ってきたらどうですか?」
 輝は少し寂しそうな顔をして太陽を見ると、黙って首を横に振りました。
 太陽はちょうどオスカーと二人で話しこんでいました。コンパスとにらめっこをしながら北極星の位置を探しているようです。同じ考古学馬鹿だからでしょうか、二人はとても仲良さそうでした。
 多分、私が輝の立場だったとしても同じ事をするでしょう。だって、とてもじゃないけど話に混ざれるような雰囲気じゃないんですもの。北極星がどうしたとか、太陽神がどうしたとか、超マニアックな話題で盛り上がっているみたいなんですよ。信じられます? あの二人、考古学者にでもなるつもりなんでしょうか。
私は黙ってそんな二人を眺めていました。隣りでぼうっと空を眺めている輝が、急に呟きました。
「沈まない星って、本当に北極星の事なのかよ」
 何処か不安そうな顔をした輝が空を見上げて言いました。オスカーと太陽が急に輝を見ました。
「当たり前じゃん、北極星っていうのは一年中見える星なんだから」
 オスカーが輝の顔を見て言いました。かなりこの説には自信があるようです。
 その時でした。
 太陽が急に輝の肩を叩いて
「そうだ、違う」
といいました。
「違うって……」
 不安そうな顔をしたオスカーがそう呟いて、太陽の顔を覗き込みました。輝は不安そうに太陽を見ています。
「どんな星だって昼になれば大空の海に沈んじまうじゃねぇか、この謎が指しているのは違うモノだ」
「それって何?」
「ギザの三大ピラミッドだ」
 オスカーと輝がはあ?と言った顔で太陽を見つめます。実際に訳が分からないサムと私は傍観しているしかありません。大体、ピラミッドって建物じゃない。星なんかじゃありません。空に浮かんだりしないし……。
 でも太陽は超真面目な顔で続けます。
「聞いた事ねぇか? ギザの三大ピラミッドはオリオンのベルトの三つの星と場所が一致するんだ。昼が来ようと嵐が来ようと、決して沈まない星だ」
 サムとオスカーが顔を見合わせて、空さんを見ました。空さんはとっくの昔に移動する準備が整ったとでもいうかのように運転席で待っています。
「早く乗れよ、ギザだろ?」
 空さんの言葉に太陽が早く乗れよと輝をせかしました。
 ギザへと走りながら、太陽は説明してくれました。何とか理解できた私が略すとこんな感じです。
 古代エジプト人は天体を神様として信仰していたそうです。考古学者は宗教施設として見ますが、天文学者がピラミッドの構造を見るというのが天体観測の為の施設だったんじゃないかという事。ピラミッドのある位置に重ね合わせると、オリオン座が当てはまってしまう。
 つまり、この謎の沈まない星はギザの三大ピラミッドで、ピラミッドの方向を指しているというのです。太陽の説だと、おそらくピラミッドのすぐ近くにある、別の沈まぬ星の事なんじゃないかという話です。
 オスカーはその案を少し難しく考えているようです。少なくとも、自分はそんな話を聞いた事が無いと言っているからです。確かに、太陽以外にそんな話を聞いた事がある人は居ませんでしたから。
 太陽はオスカーにこう反論しました。
「だって、その説は考古学者達が異説としているモノなんだぜ。でも、この説じゃないんならどうしてサタナエルがあっちに居ないんだよ?」
 確かにその通りです。もし、本当に太陽の勘違いか何かでそんな説が無いのなら、どうして賢治さんはアブ・シールに居ないんでしょう。太陽の言っている事が間違いではないようです。
 そして、大ピラミッドの前につきました。
 空さんは面倒だから此処で待ってると、車の中でエジプト観光の本を出して、読み始めました。仕方が無いから置いていこうと決まって、太陽がピラミッドではない場所へと歩いていくのを黙って追いかけていました。
 大ピラミッドはちょうどライトアップ中か何かで辺りが騒がしく、観光客にまぎれて歩く事が出来ました。私に英語が聞き取れる筈も無かったのですが、オスカーとサムの話では音と光のショーだそうです。ピラミッドについての解説をしていると教えてくれました。
 スフィンクスの前で立ち止まった太陽が、じっとスフィンクスを見上げて複雑そうな顔をしました。
 スフィンクスのちょうど足の手前で、太陽がスフィンクスの顔を見上げます。巨大な顔は遠い場所をじっと見つめています。堂々としたその姿は不思議でした。
「どうしたんだよ?」
 輝がそう太陽に話し掛けました。
「多分、この謎は絶対に解いちゃいけねぇモノだと思うんだよ」
 太陽はそう呟くように答えると、スフィンクスの顔を見ました。
 その顔にはなんだか不安そうな色が浮かんでいて、思わず私は太陽を疑ってしまいました。いつもはあんなに自信満々なのに、そんな顔をしてしまってはこっちが不安になりますわ。
「はあ?」
「ピラミッドはパンドラの箱って言われてて、開けちゃいけないって言われてるんだよ。そのピラミッドが指している存在はアトランティスの生き残りが作った物かもしれないって言われてる。そんなパンドラ、暴いちゃっていいのかよ?」
 太陽は不安そうに俯き、大きなため息をつきました。さらっと揺れた金髪を黙って眺めていた輝が
「でも、解かなくちゃいけねぇだろ?」
と言い、静かにスフィンクスを見上げました。
「オレは詳しくないけど、なぞなぞを出すんだろ? どんな謎だろうと、謎ってのは解けるモノなんだよ」
 輝の言葉に、太陽が少し笑いました。
「それもそうだな、解いちまおうぜ」
 すると、誰かが笑っていいました。
「遅かったね、太陽ちゃん」
 地元の人っぽい誰かを連れている賢治さんがスフィンクスの中から出てきて言いました。どうやら、ずっと中に居たようです。今日は薄汚れた白いシャツに大きなつばのある帽子をかぶっています。ズボンは珍しく動きやすそうなジーンズです。
「君なら迷わず此処に来そうだと思って待ってたんだけど、思い違いだったみたいだね」
 賢治さんはそう言って、太陽と輝に近寄っていくとにっこりと笑って見せました。
「ま、頑張ってね」
 そう言って、賢治さんは外へと向かって出て行きました。
 太陽が急に考え込み始めました。
「もしかして、此処じゃねぇのか?」
 輝が不安そうに太陽を見ていましたが、結局太陽が考えこむのを黙って見ていただけで何も言いませんでした。
 太陽はしばらく考えた挙句言いました。
「そうか、此処じゃないんだ……」
「はあ?」
「ピラミッドが指しているのはスフィンクスだけど、スフィンクスじゃない。ウサギだ」
 不思議そうな顔をしていた輝は太陽を覗き込み、は?といいました。
「スフィンクスは獅子だ。オリオン座の足元にはウサギがいる。ウサギが獅子の近くに居る筈がない。大きい何かの後ろに隠れてるはずだ」
 太陽はそう言って、駆け出しました。何処へ行くのか分からなくて、黙って追いかけていると太陽はカフラー王のピラミッドの裏で立ち止まりました。
 そしてピラミッドを見上げて言いました。
「ウサギは物陰で怯えてる」
誰も見ていないのをいい事に、太陽はピラミッドを登り始めました。
「太陽、ちょっと待ちなよ」
 サムがそういうのも聞こえていないのか、太陽は真っ直ぐ上を目指して登って行きます。それも結構なスピードです。
 輝が追ってピラミッドに登り始めましたが、太陽は結構下の方で止まって辺りを見回し始めました。ちょうど地上から5メートルくらいの地点です。
「太陽、何やって……」
「輝、オレ高所恐怖症だったの忘れてたぁ」
 太陽がそんな微妙な地点で泣いていると、オスカーが急に私の腕を掴みました。
「ヤバイって、あの二人」
「え?」
 オスカーはピラミッドの周りを歩いていたらしい賢治さんを指差して言いました。
「拳銃持ってるよ、二人を殺す気だ」
 残念ながら、私の目にはそんなに細かく見えないんですけど。しかも暗いし。
「何処?」
 サムが急にオスカーを押しのけると拳銃を何処から出したのかは分かりませんけど構えて、賢治さんが居るとオスカーが居た方角へ向けました。
 二人が何をしているのかは分かりませんでしたけど、太陽は私達の声を無視してしゃがみこむと、石の一つをじっと睨みつけました。何をしているのかは分かりませんでしたが、危ない事に変わりないので、オスカーが急に登り始めました。
「二人して何やってるの?」
「ウサギ、見つけた」
 満足そうに微笑んだ太陽が、輝とオスカーにガッツポーズして見せました。凄く嬉しそうな笑顔を浮かべていて、まるで世紀の大発見でもした人みたいな顔をしています。
 オスカーと輝が急いで太陽を抱えようとしましたが、太陽がまだだと騒いで逃げようともしません。それどころかまだ探さなくちゃいけないんだと騒ぎ始めました。
「太陽、何やってるんだよ」
「古代エジプトはシンメトリーが基本だ。反対側にも必ずある筈だ」
 太陽がそう語っていると、賢治さんが何人かの大男達を引き連れて其処まで上っていきます。それも太陽の所に向かって直進で。かなり早いので、早く逃げなくちゃと私は怒鳴ってみましたが、太陽は暴れるだけ。
 オスカーが私の声でそれに気がつき、太陽の耳元で怒鳴りました。
「死んだら宝どころかこれから先の発見も見届けられないでしょ? 早く」
 輝が一番早く追いついてきた大男の顔面を蹴り飛ばそうと向かっていきます。慎重に、でも急いで連中を蹴落とさなくちゃと思っているのでしょう。その顔は真剣そのものでした。
「輝は下がって」
 オスカーがそう言って太陽から目を離しました。
 どういう意味なのかは私にもすぐに分かりました。
 輝の蹴りは掠る程度のものでしかなく、思い切りからぶってしまったからです。多分、左眼が見えていないからいつもの感覚で蹴っても当たらないんですわ。オスカーは輝が怪我してから長い間一緒だったからそれを知っていて、輝の危険をすぐに察知したのでしょう。
 一方太陽は、その瞬間をチャンスとばかりに正反対の方角へ向かって駆け出しました。そのウサギとか言うものを探すつもりなんでしょう。
 オスカーは迷わず輝に向かって言いました。口調は鋭く、怒鳴っているような声です。
「太陽を連れて早く降りて、いいね?」
「でも……」
「今の輝は足手まといだよ、早くして」
 オスカーはそう怒鳴ると、輝を突き飛ばして大男三人を相手しようと振り向きました。
 流石に人数が多過ぎますよ。しかもあんな足場の悪いピラミッドの上でなんて……。あそこから落ちたら大怪我しますわ。
 私は近くに落ちていた石を手に握ると、二メートルほど登って、オスカーを殴りつけようとしていた男に向かって投げつけました。女の私の力なので、怪我なんて事はありえませんが、少しはオスカーを助けられるんじゃないかと思ったんです。
 サムは銃を撃ちもせず、どうしていいのか分からないといった顔でぼうっと立っています。
 オスカーはもちろん、世界遺産であるピラミッドに銃痕を残すなんて出来なかったんでしょう。もちろん、私と違ってサムには武道の経験が無いのですからピラミッドに登っていってどうこう出来る訳でもありません。どうする事も出来ないから、助け方を必死で考えているというのが本当の所でしょう。
 オスカーは人数的に”HELL”に負けてしまっていました。次第に追い詰められて、ピラミッドから落ちそうになっていました。石を投げて助けようかとも思ったのですが、オスカーに当たる可能性もかなり大きかったのでどうにも出来ませんでした。もしそれがオスカーに大怪我をさせてしまったりしたらマズイじゃないですか。ピラミッドから落ちるなんてレベルじゃ済みません。
 オスカーは最後の一発とばかりに殴られて、私の居る辺りまで落ちてしまいました。どさっと背中から落ちる音が聞こえて、私はお急ぎでオスカーのところまで行きましたが、オスカーは意識を失っていました。
 大男と賢治さんは真っ直ぐ太陽と輝の方に向かって歩いていきます。私には何も出来ないと思ったのでしょう。実際太陽や輝と違って、私に出来るのは簡単な合気道と剣道ですもの。竹刀が無くちゃ私はとても無力なんですもの。
 太陽は必死になって何かを探しているし、輝はそんな太陽を下ろそうとはするのですが、聞きません。どうしても探さなくちゃいけないんだって、そう叫んでいます。
 私はもう駄目だと目をそらしました。二人はもう助からないに決まってる。ピラミッドから落とされて大怪我をするか、”HELL”に連れて行かれてしまうと思いました。
 でも、その瞬間でした。
 ピラミッドとスフィンクスの方から聞こえてくる騒がしい音楽に紛れて、銃声が三回響きました。それは小さく辺りに響く音にかき消されそうになりながら、でも確かに響き渡りました。
 いつの間に上ったのでしょう。サムがオスカーの居た筈の場所に立って銃を構えていました。
 その銃口には足に怪我をした大男と、一人呆然と立っている賢治さんが居ました。確かに其処から賢治さんを撃てば絶対にピラミッドには当たりません。間違ってもサムの銃の腕は天才級なんですから。
「太陽と輝に近寄るのはやめてもらえる? 怪我したく無いでしょ?」
 ”HELL”に付いていた筈の大男達は足を引きずりながらピラミッドを駆け下りていきます。死にたくないとばかりに焦った顔で賢治さんを見捨てて行きます。
 サムの視線からして、相当怖かったに違いありません。だって、サムの視線は間違いなく出来上がった当初のピラミッドの頂上と同じように鋭くとがっていたんですもの。
 太陽は嬉しそうな声をあげて、地面を眺めています。何かを見つけたようです。言葉にならない雄叫びのようなものを発しながら、地面を眺めています。キラキラと輝くその目を見ながら輝が呆れぎみなのも確かに見えます。
 一つの事に夢中になると太陽には何も見えないんでしょう。輝とオスカーの声は多分太陽に届いても居なかったんでしょうから。銃声だって聞こえなかったみたいですし……。
「あ〜あ、残念。オレも何があるのか見たかったなぁ」
 賢治さんはそう言いながらゆっくりとサムの方に向かって歩いて行きます。サムが降りろと目で示し、私はとてもほっとしました。
 意識を失ったままのオスカーの頭を抱えて、私は輝を見ました。太陽を諦めて、こっちに向かって降りてきます。ゆっくりとですが、真っ直ぐと近づいてきます。
 確かに、あんな状態の太陽を連れて降りるのはまず不可能でしょう。間違っても太陽ですから、そう簡単にやられるとも思えませんし、放っておいても大丈夫でしょう。銃で撃たれるとか、そんな事が無い限り、何があっても怪我はしません。(たぶん)
「零、オスカーは?」
「目を開けません」
 私がそういうと、輝はオスカーのほっぺたを何度もひっぱたいて
「おい、しっかりしろよ」
と言いましたが、オスカーは何も言いませんでした。それどころから、ちっとも身動きしません。
 賢治さんはサムに銃を突きつけられたまま、黙って立っています。どうやら観念したようです。手下に逃げられちゃったのが大分とショックだったようです。
 オスカーだったら賢治さんをほったらかしにして逃げたりしなかったでしょうね。殺されると思いこんでたんですもの。どの道死ぬんだったら、出来るだけの事はやろうなんて考えていたに違いありません。
 太陽が何かを紙にメモしています。真剣すぎて、本気で今の状態が理解出来ていないんではないでしょうか。
「輝、賢治を捕まえといてくれない?」
 サムが賢治さんを睨みつけながら言いました。輝は黙って頷くと真っ直ぐピラミッドを降りはじめました。輝はゆっくりと賢治さんの居る場所まで向かっていきます。
 輝がピラミッドから降りると私はオスカーが心配で、オスカーの名前を呼びました。名前を呼べば気が付くかもなんて思ったんです。
 少なくとも、今の私に出来るのはそれくらいじゃありませんか。オスカーが本当に死んでしまったら、サムが悲しみますわ。私はサムに悲しい思いをして欲しくないんです。
 しばらく呼んでいると、オスカーがようやく目を開けました。
「いたた……」
 オスカーは無事って訳ではなかったようですが、ちゃんと起き上がれました。それには流石にほっとしました。だって心配だったんですもの。
 太陽はようやく、調べ事が終わったのか我にかえったのか、辺りを見回しました。さっきまで其処に居た筈のオスカーが居なくて、変わりに銃を握ったサムが立っているんですもの。余程びっくりしたんでしょう。何も言わず呆然としています。
 輝が賢治さんを押さえつけ、サムを見上げました。もう、銃を下ろしてもいいよと言う意味だったんでしょう。サムはほっとした顔をして、太陽の方へゆっくりとでも急いで走って行きます。
「太陽、もういいね?」
「おう」
 太陽がそう返事をしてにっこりと笑いました。でもすぐに下を見てサムに飛びつきました。ちょっと太陽、私のサムから離れてくださいよね。
「ああっ、高い……」
 太陽が泣き出しそうな顔をするのを見てサムは大きなため息をつきました。いい加減にしてよねと言いたそうな顔をしていました。
「降りるよ、謎は解けたの?」
 サムが太陽の顔を覗き込みました。優しい口調だったのですが、明らかに怒っているのが顔に表れています。
「手がかりは見つけたけど……」
 太陽は不安そうに下を見下ろしました。そんな高い訳ではないんですよ。だってこんなに高いピラミッドの下から五メートルの位置なんですもの。
 普通に考えれば一番大きいクフ王のピラミッドの頂上まで登った訳では無いんですもの。怖いなんて、普通に考えると思いませんわ。私は高所恐怖症なんて全然分かりませんけど、確かに天辺まで登れば少しは怖いと思います。
 太陽は何とかサムに言われて私の居る二メートルくらいの地点まで下りてくると、やっとオスカーに気が付いたのか心配そうに駆け寄ってきました。
「大丈夫かよ」
 オスカーは首を横に振りました。私は其処でようやく気が付きました。オスカーのこめかみの辺りから大量に血が流れ始めていたんです。私からはちょうど見えない位置でした。
 サムがそれを見てすぐに、オスカーの頭に着ていた薄手のシャツを押し付けました。
「オスカー、押さえてて」
 サムはそういうと、私と太陽に言いました。
「輝のトコに行って、賢治を見張ってて」
 そして、軽々とオスカーの体を背負うとひょいひょいとピラミッドを降りて、車の方向まで走っていきました。
 サムは上半身裸だったんですけど、後ろ姿がとてもカッコよかったんですよ。やっぱり頼れる所とか、あの早い判断とか……。もうカッコよすぎてオスカーの事なんか完全に忘れてしまいましたわ。
 サムが行ってしまうのを見届けると、私は太陽とゆっくりと降りると輝の所まで歩いていきました。輝は片手で賢治さんの両腕を押さえつけて、暇そうにしていました。確かに、左眼が見えていなくてもこれくらいは出来ますよね。仮にも輝なんですから。
「悔しいなぁ、オレも解ける自信があったんだけど、先越されちゃったなぁ」
 賢治さんはニコニコしながら太陽の顔を眺めています。太陽はメモとにらめっこしながら少し考えています。
「分かったよ、負けを認めるよ。だから謎について教えてくれる?」
「やなこった」
 太陽がそう言った瞬間でした。
 誰かが輝の髪を掴んで賢治さんから引き離しました。痛そうに叫んだ輝は砂の上に放り出されて、左眼を押さえました。
 それが誰なのかは分かりませんでしたが、間違いなく賢治さんが新しく雇った仲間なのは確かです。小柄ですが、いかにも出来そうな体をしていました。何で分かったのかって? ボタンを留めていない白いシャツを着ていたからです。腹筋がぱっくりと割れています。 彼は面白そうに輝に言いました。
「怪我してるからって、此処までふぬけっちゃっては神風らしくないね」
 何処かで聞いた事のある声でした。誰なのかは思い出せないですが、この発音からして絶対に日本人で、しかも同じ位の歳の筈です。
 輝が痛そうに顔をあげると、その方は汚い事に輝の手の上から左眼を思い切り殴りました。
 流石に訳が分からないようで輝が叫び声をあげますが、太陽は賢治さんを助けようと手を伸ばした誰かに気を取られて輝に気が付いていません。
 私は迷わずその汚い事をする男の後頭部に回し蹴りを決めてやりましたわ。そして殴ろうと拳を後ろに引きました。でも相手の反応は確かに早く、さっさと避けられて返り討ちにされてしまいました。
 殴り方を見ている限り、この方は間違いなく輝と同じボクシングが得意の筈です。とんとんとジャンプして殴りかかってきたのが分かったんですもの。まあ、輝でしたら私なんかに大人しく蹴られる事はありませんけど。
 でも、この方が私の相手できるような相手でないのは確かでした。拳は重く、鳩尾に食い込んできたそれはは息も出来なくなるほどでしたから。輝や太陽のよりも重いかもしれません。受けた事が無いから分かりませんけど。
 私はぼうっとしていく意識の中で砂に倒れこみました。輝がその方に殴りかかっていくのが見えたのが、私の最後の記憶でした。

 目を覚ますと私は車の中に居ました。どうやらサムが運んでくれたようです。サムの暖かい手が私の手を握っていてくれるのを感じて安心しました。
 前を見ると、たいした事は無かったらしいオスカーが頭にぐるぐると包帯を巻かれて二つ前の助手席に座っているのが見えました。痛そうに目を押さえている輝と太陽がすぐ前の席に居るようです。
 心配そうな顔をしている太陽が、私に気が付いて
「大丈夫か?」
と声を掛けてくれました。
「はい」
 私はそう返事をして、サムを見ました。
 めちゃくちゃ疲れた顔をして、眠ってしまったようです。私の頭をひざに乗せて、寝息を立てています。シートに凭れた頭が少し揺れました。
「サム、めちゃくちゃ心配してたんだぜ」
 太陽がそう言って、笑いました。
「そうですか、なんだか心配をさせちゃったみたいで……」
 私は起き上がると、サムの髪をそっと撫でました。サムは気持ちがよさそうに微笑んで、私の手に甘えているみたいです。
「オスカーは大丈夫なんですか?」
 この質問には太陽ではなく空さんが答えてくれました。
「大丈夫。頭は血管が多いからちょっと怪我しただけでもかなり血が出るんだよ。たいした事は無いよ」  その言葉を聞いたのでしょう、サムが余程安心したのが目に映るように分かりました。私も特になんともありませんでしたし、サムの心配が無くなったから眠ってしまったんでしょうし。
 太陽は言いました。
「謎も解けたぜ、明日また皆に教えるよ」
 明るいその言葉に安心して、私はサムを見ました。本当に良く眠っているので、起こしたいけど起こせません。可愛い顔して寝ちゃってるんですもの。

 ホテルは空さんがガイドブックで調べておいてくれたらしい、なかなかきれいなホテルに入りました。
 眠っていたサムはオスカーが運んでくれました。私は黙ってその後ろを歩きながら、来てよかったなぁと思いました。だって、サムと二人部屋なんですもの(ラッキー♪)。
 今晩はオスカーに付いていた方がいいかもしれないと空さんはオスカーと同じ部屋(ちなみに私とサムの居る部屋の隣り)に入っていきました。
 仲良く晩御飯を食べに出かけた太陽と輝を見送ってから、私は部屋でのんびりとテレビを見る事にしました。凄く暇だったんですもの。サムを起こさないようにと小さな音にして、おなかがすいたと目を覚ます筈のサムを待っている事にしたんです。やっぱり、一緒に食べたいし。
 サムは一時間くらいして、やっと目を覚ましました。気持ちがよさそうに辺りを見まわして、私に気が付くと、ベッドから出て私の隣りに腰を下ろして笑いました。
「二人部屋?」
「ええ」
 サムは幸せそうに笑って、電話を取ると
「何食べる?」
と優しく笑いました。私は何でもいいよと笑って答えました。

 翌日、朝の五時に太陽と輝に起こされました。二人は少しでも早くピラミッドに行きたいと言い張っているらしく、眠そうにしていたオスカーが分かりやすく説明してくれました。賢治さんより先にやらなくちゃいけない事があるんだとかなんとか言ってるそうだと。
 サムはすぐに起き上がると、ぼうっとした頭で起きようとしている私の髪をそっと撫でて
「どうする? 此処で寝てる?」
と私に尋ねました。もちろん、意地でも起きるつもりでしたが、昨日の疲れからか、瞼が重くて起きられそうもありませんでした。
 太陽と輝が耳元で大騒ぎしてくれなかったらきっと一日其処に居た筈です。眠くて死にそうだったんですもの。
 何とか起き上がって、朝から元気な空さん(昨日は結局車の運転以外は何もしてないから元気)に言われて、ルームサービスの朝ご飯を食べました。寝ボケていたので味はなんとなくしか覚えていません。でも美味しかったです。
 朝ご飯はパンとサラダとコーヒーでした。オスカーに言われて生野菜の入っているサラダは食べませんでした。生野菜は下痢をする可能性が高いんだとか……。
 サムは余程眠かったのか、パンをごみ袋にと持ってきたらしいビニール袋に二つつめて
「行く途中で食べる」
と言い、さっさと支度を始めました。
 太陽は朝からパンを五つも食べて、オスカーの目を点にさせていました。私もはじめて見た時はそんな反応しましたよ。最近は見慣れてしまってなんとも思わなくなっちゃったのですが。

 太陽が空さんに行って欲しいといったのは、ピラミッドからしばらく行ったところにある太陽神殿と呼ばれている遺跡でした。
 太陽はそんな神殿の前で立ち止まって、地面をぼうっと眺めました。
「何やってるんですか?」
「昨日のウサギにはこう書かれてた。『燦々と降り注ぐ陽の下で、天を目指す者が見し神こそ、神殿の前に眠る再生と復活の象徴』ってな」
 太陽は見つけたと呟き地面にしゃがみこみました。
「つまり、日中にだけ出てくるスカラベの絵の下を探せば太陽神ラーの墓があるって事だよ」
 はあ? と思いながらも太陽の言う通り地面にはスカラベの絵が掘り込まれた石版が砂に埋もれていました。色などの着色は全く無く、余程注意深くなければ気が付かないようなものでした。
 太陽の言葉を聞いてすぐに、輝が石版を覗き込みました。余程嬉しかったのでしょう、二人はハイタッチをして喜んでいました。
 砂を手で払った太陽が、嬉しそうに笑って石版のスカラベに触れました。私も一緒に見ながらとても気になっていたので人差し指でちょんちょんと突っつきました。
 スカラベは取っ手になっているようで、どうやらこの石版は動きそうでした。とはいえ、大きさが何とか人が通れる程度しかない為、あけても入れるかは怪しい所です。
 太陽は迷いませんでした。取っ手に手を掛けるとそれを思い切り引っ張りました。重そうでしたが、輝が手を貸すと何とか開きました。
 下は真っ暗で、同時に目に入ったのは美しい黄金の像でした。近くにはこれまたド派手な黄金の棺がありました。蓋には何か書かれているようで、太陽がとても嬉しそうな顔をして見せました。
「誰か懐中電灯を持ってねぇ?」
 オスカーがちゃっかり持ってきたらしく、太陽に差し出しました。とても嬉しそうな顔をして、太陽は微笑みました。
 懐中電灯に照らされると、穴の中は黄金で光り輝いていました。いろんな物が置かれているのは確かですが、それが何なのかはちっとも分かりません。ただ、私にも分かった事は一つ。これらは世紀の大発見だって事です。
 穴の中に入ろうとした時でした。
 静かな声と嫌な金属音が聞こえました。
「オスカーの頭が吹っ飛ぶ所を見たくなかったら大人しく手を上げて」
 間違いなく、賢治さんでした。
 太陽が不安そうな顔をしながら輝を見ましたが、輝は黙って肩をすくめただけでした。どうにも出来そうに無いって言いたかったのでしょうが、賢治さんが輝のこめかみに銃を押し当てた為、何も言いませんでした。
「今回は”HELL”の勝ちかな」
 賢治さんはにやりと笑って、手下達に何語かは分からないですけど、命令をしました。それが分かったのはオスカーとサムだけだったようです。
 二人は大騒ぎを始め、英語ではないけどそれっぽい言語で賢治さんに怒鳴りました。何を言っているのかは分かりませんでしたが。
 輝が急に太陽を見て何かを訴えかけました。賢治さんが二人に気を取られているうちがチャンスだと声には出さないですが口を動かし、ゆっくりと賢治さんの手を掴み投げ飛ばしました。そしてそのまま押さえつけると
「お前ら、コイツが死んだらギャラはゼロだろ? 大人しくしろ」
と囁きました。
 オスカーとサムがチャンスとばかりに行動に移りました。サムは拳銃を拾い上げ、オスカーはすぐ近くにいた連中を殴り飛ばします。
 太陽が穴に向かって走って行くと穴へ逃げ込もうとした”HELL”の連中をいとも簡単に叩きのめしてしまいました。
 私は輝が押さえていた賢治さんの両腕を捻りあげると、輝にいってらっしゃいと囁きました。私にはこうやって押さえつける事くらいしか出来ないんですもの。多分、今日は絶好調の輝の方が絶対的な戦力の筈でしたから。
 その場にいた者、全てが太陽の手で深い眠りにつくまでに時間はそう掛かりませんでした。オスカーと怪我はしているけれど、昨日までとはうってかわっていつもと同じように強い輝が居るんですもの。
 賢治さんは大きい声で言いました。
「何やってるの、せっかく連れてきてあげたんだから働きなよっ!!」
 その声が誰に向かっていわれたものなのか、私にはちっとも分からなかったのですが、輝はすぐに気が付いたようでした。
 昨日、輝に汚い真似ばかりしていた小柄な日本人の方でした。輝に殴りかかるのを感じて、私は思わず賢治さんの顔面を砂に埋めてやりました。これ以上何も命令できないようにと。
 でも驚いた事に、輝はそれをきちんと避けていて、とてつもなく強い目を相手に向けていました。
「あれ? 昨日は当たったのになぁ」
「気づいちまったんだよ、いつもより少し左を狙えばいいってな。よくも汚い真似ばっかりしてくれたな、蒲公英中のマイク・タイソン」
 輝はそう言って、思い切り顔面を殴り飛ばしました。
 蒲公英中のマイク・タイソンと聞いて初めて、彼が同じクラスの日暮香月さんである事に気が付きました。彼は輝さんのライバルであり、同時に敵対しているジムで一番の凄腕である事に気が付いたんです。
 どうして”HELL”と此処に居るのかは知りませんが、なんだかとても怒っているようです。何に怒っているのかは分かりませんが、余程の事があるのは確かです。
 輝が身構えて後ろに下がると、目を覆っていた眼帯が外れて風に飛ばされていきました。
「輝っ!」
 太陽がそんな輝に駆け寄ろうとするのを、輝が止めました。
「太陽は下がってろよ、コイツはオレがやる」
 太陽が心配そうな顔をしていましたが、日暮さんはそんなの気にもならないような顔をして、輝に殴り掛かりました。どうやら輝の目が見えていないからと舐めて掛かっているようです。輝がボコボコ殴られるような真似するとも思えませんが、やっぱり目が見えないのはかなり不利な事ですから、不安で仕方がありません。だって、相手は輝のライバルなんですよ。いくらなんでも無理があるとは思いません?
 でも輝はそんなのお構いなしとばかりに懐に突っ込んでいくと重い拳を鼻っ面にお見舞いし、回し蹴りでふっ飛ばしました。そしてにかっと笑うと
「オレを舐めるとこうなるんだよ、ざまあみろ」
と太陽みたいな事を言って大笑いを始めました。
「いってぇけど、めちゃくちゃ気持ちがいい」
 不思議そうな顔をしていた太陽でしたが、輝の所まで走っていって背中に飛びつくと
「オレ達が無敵のトレジャーハンターだぁっ!!」
大声で叫びました。
「そうだ、ざまあみやがれっ!!」
 二人がそんな雄叫び(?)を上げている間に、サムがケータイで警察へ連絡を入れました。その時笑って宝も見つけたと話したようです。何語をしゃべってるのか分からなかったから、知りませんが。
 オスカーがなんだか少しうっとりしたような目で太陽を眺めはじめました。
「ねぇ、零。あの二人って付き合ってないんだよね?」
「オスカー、もしかして……」
「そのまさかかも」
 オスカーはにっこりと微笑んで私に言いました。その目は紛れも無い、恋をしている人の目でした。

 その日の夕刊にはもう私達の事がニュースになって載っていました。びっくりしたのは、確かに引き渡した筈の賢治さんが脱走してしまった事です。何処へ逃げたのかは分からないとの事です。
 私達スカイブルーのトレジャーハンターが見つけたって事を何処の新聞社がかぎつけたのかは知りませんが、新聞にはきっちり『スカイブルーのトレジャーハンター達が』という主語で始まる文章ばかりが載っていました。
 太陽は部屋の中で一人大はしゃぎしているし、輝は空さんにあれほど眼帯を外すなといっただろうと怒られています。言い訳も通用しそうにありませんでしたが、発見したものの凄さを知ってからは何も言いませんでした。
 オスカーとサムは大きなため息をつきながら新聞を眺めています。英語の新聞でしたが、何を書いているのかは分かりません。
「どうしたんですか、二人して」
 私が声を掛けると二人は言いました。
「こんなに名が知れちゃったら、これから先動くのが大変じゃん」
「そうだよ、行く先々でカメラに追われるようになっちゃうよ」
 私は笑って言いました。
「セレブみたいでいいじゃないですか?」
 二人はむっとした顔でいいました。
「よくない」
 太陽と輝がこっちに走ってくると言いました。とても満足そうな笑顔を浮かべて、輝と肩を組みながら胸を張って……。
「いいじゃねぇかよ、オレ達は無敵なんだから」
「そうそう、ついて来れないような危険な真似ばっかしてやろうぜ」
 明るい二人の笑顔にオスカーが急に笑い出しました。
「最高だよ、二人とも!」
 私はサムの手をそっと握って笑いました。
 きっと二人のいう危険な真似は命に関わるような事なんでしょう。でも、私はそれでいいと思います。その時にも傍らに頼れるサムが居てくれさえすればいい。それだけで私は誰よりもずっとずっと強くなれる筈だから。
 オスカーが本当に太陽を愛しそうに見ています。その目に輝もサムも気がついていないようですが、私は感じました。
 オスカーは絶対、信じられないような事をしてでも太陽を手に入れようとするでしょう。それこそ、賢治さんみたいな真似をしてでも。輝と揉める事も間違いなさそうです。
 でも、きっとサムが居れば大丈夫。上手く解決してくれる筈。私なんかよりもずっと、頭がいいんですから。
 私は笑いました。
 今だけの恋かもしれない。これから先、この人がどんな危ない事をするかも分かっている。だけど、私には止められない。止められやしない。
 彼が死への階段を駆け上がるような事をしたとしても、私は出来る限りついていこう。精一杯、愛してみよう。どんな事があったとしても、まずは戦ってみなくちゃ分からない。「もしかしたら」の確立で私は勝てるかもしれないのだから。
 此処に居る本当に親友だと胸を張って言える皆を見て、私は誓いました。
 これから先、誰になんと言われようと、私は私の信じる道を進もう。馬鹿らしいと笑われても、私はそれを恥はしない。太陽や輝、サムとオスカーのいるこの場所で、私は精一杯笑いたい。その為なら、お母様のいう『不良』の道を進んでみせましょう。
 髪が金髪だろうが、オレンジだろうが、それは関係のない事。私の大事な親友達と、行ける限りどこまでも、トレジャーハンターの道を歩みましょう。きっと、楽しい筈だから……。
 

Fine.



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