スカイブルーのトレジャーハンター
 空はいつでも澄み切っていて



 輝がスカイブルーを裏切ると言ってから、もう一週間になる。その事があってすぐ、輝どころか”HELL”の行方すら分からなくなってしまった。
 太陽は輝の事があってからずっと落ち込んでいる。確かに自分は男じゃないし、どんなに頑張ったって女以外の何にもなれやしない。だけど、それなりに努力してきたのに、輝に弱い者扱いされるほど弱いのかな? って。
 見ていると気の毒になってくるほどの落ち込みようだったから、俺は太陽に教えてあげた。
 輝は太陽や俺や零を守る為にわざとあんな事を言ったんだって。じゃなきゃ、あの輝が太陽の事をボロクソに言ったりしないから。
 だってそうでしょ? はっきり言って輝は太陽にホレてる。昔、ちょっとストーカー被害に遭った事があるから女嫌いの輝が俺よりも仲良くなった女の子だよ? そうそう簡単に嫌いになったりすると思う? 俺は思えないね。
 とは言ってみたものの(ホレてるとまでは言ってないけど)、まだ落ち込んでいる太陽は俺の部屋の隅の方で小さくなっている。さっきから俺と零が何度話しかけても、頷くくらいの反応しかしない。あの明るいだけしか取り柄がないような太陽が落ち込むくらいだからきっと相当なショックだったんだろうなぁと思いながら、俺は紅茶をすすった。
 太陽は真っ赤なワンピースを着ていた。黒い薔薇の模様が凄く目立つ、ゴスロリの短めの丈のワンピースだ。そして前髪を黒いリボンで結っている。
 いつもならその明るさで跳ね飛ばしちゃうような暗いゴスロリのドレスが、今日は暗さにますます拍車を掛けている様に感じさせる。俯いたまま動きもしない太陽を見ているとこっちまで気が重くなってくる。
「太陽」
 俺は太陽の肩を思い切り揺すって、その顔を覗き込んだ。
 太陽は泣き明かしたような腫れ上がった目に力のない顔をしていた。しかも、反応するのに異常なまでの時間が掛かって、その挙句返事がたったの一言で
「何?」
だった。
「いい加減にしなよ、これ以上なんて言ってほしい訳? 泣いてたってどうにもならないんじゃなかったの?」
「だって……」
 そのまま、太陽はまた泣き出してしまった。太陽らしくもない弱々しい姿を見ているのはもううんざりと、零が嫌そうにそっぽを向いてしまった。
 俺は太陽の肩をもう一度揺すって
「何をそんなに泣く事があるって言うの? 輝が本気であんな事を言う訳ないのに、太陽は輝を信じる事も出来ないの?」
と少し強めに言った。本当は太陽のほっぺた殴って怒鳴りたかったんだけど、無敵とはいえ女の子相手にそんな事も出来ない。でも、こんなに太陽が俺を苛立たせた事はない。
「だけど……」
「だけど何? はっきり言ってよ」
 俺は太陽の顔をじっと見つめた。怒りに任せて太陽を怒鳴りつけたいけど、何とか押さえ込む。そんな事をするのは輝だけで十分だ。
「オレにはもう、スカイブルーしかねぇんだよっ!」
 太陽は急に俺の肩を突き飛ばして言った。そのおかげで俺はしりもちをついて、おまけに太陽はオレの腹の上に馬乗りになって、胸をどんどんと叩く。
「あんこもママも父ちゃんも死んじまったんだ。オレにはもうサムや零や輝しかいねぇんだ」
 ぼろぼろと零れ落ちた涙が俺の上着に沁み込んだ。もう一生分の涙を流した筈なのに、太陽はまだ泣いている。
 あの輝のバレバレの嘘ごときでそこまで泣く? 普通じゃ考えらんないでしょ? でも小さな肩を震わせて、太陽は今までに見せた事のない、らしくない泣き方をしていた。どんなに腹が立ったって太陽は絶対に八つ当たりなんかしない。なのに俺の胸をどんどん叩いてる。
「なのにサムと零は仲良くて、オレが近寄ると鬱陶しそうにするじゃん。オレにはもう輝しかいねぇのにっ……」
 今の言葉、輝に聞かせてあげたらきっと喜ぶだろうなぁ。今からでも遅くないからケータイで録音しとこうか。あとで輝に聞かせてあげたい。でもケータイはズボンのポケットの中。太陽が邪魔で出せそうもない。
「太陽、いつ私達が鬱陶しそうにしましたか?」
 呆れ顔の零が太陽に尋ねた。
 太陽に俺から離れてほしいらしい。確かに太陽は零ほど抱き心地が良くないから、退いてほしい事には違いない。零がキレる前に退いてくれないかなぁ。零ってキレると手のつけようがないし……。
「今もしてんじゃねぇか、本当はサムと二人になりてぇって思ってる。違うか?」
 ほとんどヤケになってる太陽がそう怒鳴った。自暴自棄になるのは勝手だけど、せめて俺に関係のない所で自暴自棄になってくれないかなぁ?
 俺は少し考えてから、零に視線を向けた。
『怒らないでね』
っていう視線だけど、ちゃんと伝わったかは分からない。でも、そのままにしておけば零がキレて、太陽は泣き叫ぶに決まってる。
 仕方なしに俺は太陽の肩をそっと抱き寄せて、背中をそっと摩った。
 本当なら家族や一番信頼してる輝にしてもらうべきなんだろうけど、今は家族が死んじゃって輝はいない。零がそんな事に気がつくとも思えないし、俺がするしかない。零がキレたりしない事を心から願いながら、俺は太陽の耳元でそっと囁いた。
「親友でしょ? そんな事を思う訳ないじゃん」
 いやいや、今まさに二人きりになりたいって切実に思ってます。太陽には秘密だけど。でも、考えてみると太陽って子供だよなぁ。大人だったら少しは気持ちを静めようとするに決まってる。八つ当たりなんて子供の証拠だよ。
「太陽は少し考えすぎだよ。輝は”HELL”から太陽を守る為に言ったって言ってるでしょ? そうじゃなかったら何で輝が太陽にあんな事を言うの? 教えて」
 太陽は少し大人しくなった。さっきみたいに暴れなくもなったし、涙も少し止まってきた。
 落ち着かせようと髪をそっと撫でてると、零から恐ろしいほど冷たい視線を向けられた。ごめん、怒らないでと目で訴えながら、俺は太陽から、少しだけ体を離そうとした。でも、太陽は俺のシャツをぎゅっと握ってる。放してくれそうもない。
「だって……輝が言ってる事は」
「間違いじゃないって言いたい訳? 俺には太陽ほど強い人っていないと思うけど」
 零が今にもブチギレちゃいそうな顔をしながら部屋を出て行ってしまった。追いかけたいけど、追いかけられそうもない。太陽、早く退いてくれないかなぁ?
「ねぇ、太陽。無敵なんだったら輝の所に行って真実を聞き出したら? こんな所で泣いてるよりもずっといいと思うけど」
 嗚咽をあげながら、太陽は少し顔を上げた。真っ赤な目は不安そうだった。
 濡れた頬をそっと拭いてあげて、俺はニコッと微笑みかけた。さらさらと流れた髪をそっと払って、俺はその顔を覗き込んだ。
「無敵なんでしょ? だったらもう泣かない」
太陽は小さく、でも確かにこくんと頷いた。

「ねぇ、零。怒んないでよ」
 俺は迎えに来た泉兄と先に帰って行った太陽を見送った後に零に言った。
 零は完全にキレちゃってて、俺と目をあわせようともしない。背中を向けたまま、俺に冷たく言った。
「サムさんなんてもう大嫌いです」
 ええ? またさん付け? 俺ってそんなに魅力ないかなぁ? ナルシストじゃないけどさぁ、俺だって優しいっていう魅力があると思うんだけど。もっとも、その優しさのおかげで零を怒らせちゃったんだけど。
「そんな事言わないでよ。ああでもしなきゃ太陽は黙らなかったでしょ?」
「そうかもしれないですけど、だからって酷すぎます」
 零は怒った顔で靴を履こうとする。
「ちょっと、零」
「話は終わりです。スカイブルーでもエメラルドブルーでも勝手にやっててください」
 これにはカチンときた。
 ああ、そうですか。俺の海のように広いこの心にも限界だよ。まさに今、俺の心は100年後の地球みたいに南極の氷が解けちゃってる状態。日本はおろか、ペルーまで沈んじゃいそうな状態だよ。
 自分の心を海だとは偉そうに言ってるけど、これは嘘じゃないと思うよ。じゃなきゃ、こんな理不尽な零と手の付けられない太陽と仲良くなんかしてらんないもん。そうでしょ? 輝が零と結婚したくないって言うのも分かる気がする。
 俺は零に背中を向けると
「ああそう」
と呟いた。
「じゃあさっさと出てって。もう二度と来ないで」
 深呼吸をして、握り閉めた拳を解こうと集中する。でも、燃え上がる俺の怒りは収まりそうもない。まるで壊れちゃったガスコンロみたいに。
 零が立ち止まる。カツカツとさっきまで響いてた靴音が止まったから気が付いた。顔を上げると、零は肩越しに俺を見ていた。
「俺は太陽と二人で輝を助けに行くから。誰も連れてく気はないから。二人っきりの方が誰かさんと違って楽だからね」
 俺はそれだけ言うと、零に背中を向けて真っ直ぐ部屋に戻ろうと歩き出した。握った拳に力を込めて、いつもより心持ち早い足取りで歩く。
 はっきり言ってムカついていた。零の顔なんかこれ以上見ていられない。理性がぷつんと切れて、力任せに零を殴り飛ばしかねないんだもん。でも零は合気道を習ってるから、俺の拳なんか届かないだろうけど。
 零は足早に走ってくると、俺の肩を掴んだ。力任せで乱暴だから、ムッとする。そんなに俺が殴りたいって? どーぞ、ご勝手に。後で慰謝料を請求するから。
 俺はその手を振り払おうと振り返った。
 でも、零は殴ろうとなんかしてなかったし、怒ってる様子でもなかった。っていうか、近過ぎて表情なんて分からなかったんだけど。
 っていうのも、零は俺の口唇に黙ってキスをしてたんだ。恥ずかしいからあんまり言いたくはないんだけど、かなり長かったしその……濃厚だった。
 もちろん、零が相手だったから抵抗したりはしなかった。ただ、あとで母さんにからかわれるんじゃないかと思って顔が真っ赤になるのは感じてたけど。そのおかげで、キスがどんなのだったのかも曖昧にしか覚えてない。でも、嬉しかった。
 零は俺を見上げて言った。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです」
 俺はマトモに零の顔を見られなくて、そっぽを向くしかなかった。頭が真っ白になってるし(キスのせいじゃないからね、違うんだからねっ!!)、零が今俺に謝った?って大パニックに陥ってたし。
 だって、あの零が謝ったんだよ? プライドばっかりエベレストみたいに高くって、人に頭下げるなんて真っ平ゴメンのあの零が。(頭は下げてないけど)俺の為に。
 だからどうしていいのか分からなかったし、恥ずかしいしで、頭がぼうっとしてた。顔から湯気が出ちゃいそうだったんだからね。
「サム、こっちを見たらどうなんですか?」
 零の声が聞こえたけど、恥ずかしくって零をマトモに見られそうもない。嬉し泣きでもしちゃいそうなくらい、胸がいっぱいで今にも張り裂けてしまいそう。
 でも零に何とかして返事しなくっちゃと、俺は零の肩をぎゅっと抱きしめた。これだったら零の顔を直視しなくて済むし、零に嫌われたりもしないでしょ? 力いっぱいぎゅっと抱きしめて、暖かい零の体温を全身で感じる。
「ごめん」
 俺は何とかそう言って、柔らかい零の体をぎゅっと抱きしめる。ああ、抱き心地最高。太陽は小さすぎて好きじゃない。やっぱり零じゃなくちゃ。
「ちょっとサム。こっち見てって言ってるでしょう?」
「恥ずかしいからヤだ」
 零はようやく黙ると、俺の背中にそっと手を伸ばした……と思ったんだけど、零は俺を押しのけると体を離した。
「来て」
 零は少し怒ったような顔をして、俺の腕をぐいっと引っ張った。零に嫌われたくないし、黙って俯きついて行く事にした。恥ずかしいけど。
 零は真っ直ぐ俺の部屋に向かって歩いていく。下しか見てなかった俺はついた所が自分の部屋だって気がつくまでに少し時間が掛かった。
 零はドアを閉めると、俺に向かってはっきりと言った。
「サム、こっち見て」
 でもやっぱり俺は顔を上げる事も出来なくて、真っ赤な顔を隠そうと手で顔を覆っただけ。どうして俺は根性なしなのかなぁ?
 零は少し乱暴に俺の手を握ると、顔からどけて、じっと俺の目を覗き込んだ。ますます顔が赤くなるのを感じるけど、目を反らす事すら出来ない。
「サム、何真っ赤になってるんですか?」
「別になんでもないよ」
 呼吸すら危うくなってきた俺は、勇気を出して(こんな所で出すものでもないけど)顔を背けた。見た事ない零の複雑そうな顔をこれ以上見つめてなんかいられない。自分が何しちゃうか分かったものじゃない。
「私は真面目に謝ってるんですけど」
「俺だったらもう怒ってなんかないよ、だからその……」
 俺は零の肩をぎゅっと抱きしめた。
 お願いだからじっとしてて。しばらくこのままでいさせてくれないかなぁ? それが言えたらどんなにいいだろう。零だって嫌って言わなくなると思うんだけど。
 俺の思ってる事がちゃんと伝わったのか、零は黙ってくれた。静かに、背中に腕を回してくれた。やったぁ、分かってくれた!
 ほっとして俺は目を閉じたんだけど、すぐに俺は目を開けた。零が黙って抱かれてるなんてキャラじゃないのはよく分かってるつもりだったけど、いくらなんでも此処までされると、どうしていいか分からなくなってくる。
 零は俺の首にキスをしてたんだよ?!
「これでよし」
とか言っちゃってさぁ。
 俺が後でこれをどうやって隠せばいい訳? まだ夏なんだよ? まさかタートルネックのセーターなんて着られないじゃん。
 それなのに零はケロッとした顔で俺の肩を押して、床に座らせた。それから、俺をじっと見つめて
「これで太陽も手出しは出来ないでしょう?」
と満足そうに微笑んだ。
 俺は黙って零の肩を抱き寄せると、黙ってキスをした。零の前で上手に話すなんて出来そうもないんだもん。気持ちを伝える術がこれしかないなんて、情けない事この上ないけど。

 翌日、首に絆創膏を貼って学校に行った。
 相変わらず輝は学校に来ていない。ぽっかりと開いた輝の席を、陽の光りが静かに照らしていた。
 輝の机から自分の机に目を反らすと、オスカーと賢治が俺の机に座っているのが見えた。今まで何処に行っていたのかは知らないけど、これで輝の行方を知る事が出来る。ムカつくけど。
 俺は机に座ってるオスカーを思い切り突き飛ばすと
「どいてくれる?」
と二人を睨み付けた。そして鞄を机の上に放り出した。
 賢治はニコッと笑って
「おはよう、サム君」
と言ったけど、ムカつくから無視した。賢治はそれでもニコニコとムカつく笑顔を浮かべ続けている。
「輝がどうなってもいいの?」
 賢治が急に言った。
「心配なんでしょ?」
 オスカーが俺の前に立つと、ニヤリと笑った。そして、首をつっつくと
「そうでもないみたいだね、零とは順調みたいじゃん。輝なんかどうだっていいって?」
と囁く。
「はあ?」
「キスマーク、隠したって無駄だよ」
 オスカーはそう言って絆創膏を剥がした。それに気がついて止めようと手を伸ばした時にはもう遅くて、絆創膏はオスカーの手の中だった。ああ、もう。予備を持ってきておけばよかった。
 首に手を当てて、オスカーをじっと睨むけど、オスカーは嫌な笑顔を浮かべるばかり。賢治までくすくすと笑っている。
「輝を傷つけた上に殺されたくなかったら、スカイブルーをやめて、もう二度とトレジャーハンターなんてやらないって誓ってよ」
「あのねぇ、これはなんでもなくって……」
「だったらどうして隠してたの?」
「見られたくないからに決まってるでしょ? それにこれは零がつけたんであって」
「へぇ〜、サムは零にされるがままだったって訳?」
 もううんざり。どうして死んだ筈の双子の弟に教室で彼女の事でからかわれなくちゃいけないんだろう。俺、からかわれるような事は一切されてないと思うんだけど。確かに、キスマークはあるんだし、何を言ったって説得力がないのは分かってるけどさ。
「いい加減にしてよ、オスカーに零の事でからかわれる筋合いはないよ」
「ふ〜ん。でもそんな事を言っててもいいの? サムの事だから、代えの絆創膏は持ってないんでしょ?」
 ゲッ、オスカーって何でそう痛い所ばっかりついてくるのかなぁ? 弟だから、考えてる事くらいお見通しとでも言いたそうな目が自信できらきらと輝いていた。
「黙って、輝の事を第一に考えるんだったら大人しく認めたら? 何より零が一番だって」
 俺は黙って立ち上がると、オスカーを無視して教室を出た。後ろで何を喚いてるのかは知らないけど、確かに俺を笑っている。
 とりあえず、あんなに居心地の悪い教室には居たくないからさっさと保健室に絆創膏を貰いに行こう。流石に先生も学校にはお金がないとは言わないだろう。キスマークのある生徒に廊下を歩かれるのは困る筈だから。
 保健室には先生しかいなかった。
 先生に訳を話して(もちろん、キスマークはなんでもないって言い訳してだけど)、絆創膏を貰うと、しばらく其処に座っていた。先生も追い返そうとはしなかった。流石にあの教室には戻りたくない。
「パステル君、悩みでもあるの?」
「え?」
「貴方は頭がいいからどんな事も簡単に乗り越えちゃうけど、なかなか乗り越えられない壁でもあるんでしょ? じゃなきゃ貴方が保健室に逃げてくるなんて事はないもの」
 先生は優しく笑って、俺の隣りに座った。
「黒仁さんや、桜野さんが転校しちゃったし、神風君もずいぶん長い間休んでる事に関係があるの?」
 こんな事を話していいんだろうか?
 スカイブルーはなんだかんだで知りすぎてる事が多い。”HELL”に目を付けられるかも知れない。関係のない人をこれ以上巻き込みたくはない。太陽や輝、零にだって危ない目にばっかりあわせちゃってる。本当ならもっと楽しい中学校生活を送れる筈なのに。確かにトレジャーハンターをやってなかったらこんなに仲良くはなれなかっただろうけど、でも太陽だって家族を殺される事もなかったし、輝が”HELL”に弱みを握られて危ない目に会う事もなかった。仲間すら守りきれないような俺が、学校の先生達まで巻き込む訳にはいかない。
「言いたくないならいいけど、気をつけた方がいいわよ。神風君、誘拐されたんじゃないかって噂までたってるし」
「ありがとうございます、でも俺なら大丈夫だから」
 多分の話だけどねと、心の中で小さく呟いた。先生に偽りの笑顔を浮かべて、俺は心に決めた。もう絶対に仲間を傷つけさせたりしない。輝をなんとしても助けるって。

 帰り道、俺はこっそりオスカーの後をつけていた。俺の事を散々からかったんだから、これくらいしたって罪にはならないと思う。俺はムカつく心を沈めようとしながら、何とか輝の手がかりを掴もうと思ってたんだ。
 ものすごい変装しまくって、今は日本人の一般的な黒髪に茶色のキャップ、地味なTシャツのカッコだから、向こうもこっちには気がついていない。少なくとも、気がついている様子は全く見せない。
 俺の家を真っ直ぐ通り過ぎしばらく行った先にある、ボロアパートの方向に歩いていくと誰かがオスカーに向かって走ってくるのが見えた。
 身長は俺よりも少し低くがっちりはしていないように見えるけど、確かに腕の筋肉が引き締まっている。カツラをかぶっているみたいだけど、上手に髪を隠せていないから派手な明るいオレンジ色が時折見える。背格好、仕草からして間違いない。輝だ。
 輝は不思議な事にオスカーを敵としては見ていないらしい。親しげに笑いかけて、それから少しつらそうな顔をして見せた。その時チラッと見えた左の目にはおかしな事に白いガーゼを当てていて、その上から医療用の白い眼帯をしていた。
 俺の知っている限り、輝は健康そのもの。目は人並みはずれてよく、教室から良く見える空色山の木々がはっきりと見える。正確に測った事はないけど、視力は2.5以上確実にある。眼帯なんて、海賊の仮装でもしない限り絶対に必要のない筈。
 オスカーはそんな輝を気遣っているらしい。オマケに、左側が見えていないからか(しかもそれに慣れてはいないらしい)、しょっちゅう何かに躓く輝の手をそっと引っ張って歩いている。時折、痛そうに顔をしかめて左目に手をやる輝を見ている限り、目を怪我したらしい。たいした事じゃないといいんだけど。
 オスカーは輝の後ろを追ってきたらしい、賢治に話しかけた。輝を追い払おうとした賢治の隙を見て、俺はさりげなく輝の腕を引っ張った。
 輝は何も言わなかった。
 ただ黙ってされるがままな感じ。俺の腕に縋るつもりもないらしい。とりあえず、近くの家と家の間に引きずり込んで、その顔をじっと覗き込んだ。
「輝、一体何があったの?」
 輝は急に泣き出した。声が出ないのか、一言もしゃべらない。ただ黙って、俺の肩に顔を押し当てて泣きじゃくるばかり。何がなんだかさっぱり分からない。
 俺はペンを出して、持っていた手帳を押し付けた。輝は黙ってペンを握った。
「何があったの?」
 輝は震えていた。上手に書けないみたいで、何度もペンを落としそうになった。でも一言、
『I'm fine.』
と書いた。なぜこう書いたのかは分からない。でも、輝はそれっきりペンを握る事すら出来なかった。
 俺は輝の目を見つめて、眼帯に手をやった。嫌だと首を振ってるけど、このまま放っておける訳がない。黙って眼帯の紐を引っ張った。
 輝の目は完全に潰されていた。細身のナイフみたいなもので眼球だけを貫かれている。しかも抉り取ったりせず、そのまま残っていて腐りかかっているような状態だった。
 正直、見なかったらよかったって思うほど酷かった。ハリウッドで特殊メイクを受けたんだとか、さらりと言ってのけるような輝じゃなくなっていたし、見てすぐにそっぽを向くしかなかった。
 輝は泣きながら眼帯を引っ張って、元通りきれいに隠しただけ。何があったのか、どうしてこうなったのかも話してはくれなかった。
 俺はもう一度ペンを輝に押し付けて
「何があったの?」
と尋ねた。輝はペンを握ると、また一言
『I'm fine.』
とやっとの事で読めるような字で殴り書きして、立ち上がった。
 俺はそんな輝を追おうとしたけど、輝の右目の視線がとても強く俺を見つめていたから追えなかった。追うなと、そう訴えかける強い視線がまるで修羅のようにも思えたからだ。
 輝が俺に背中を向けようとした時だった。目の前にオスカーが立っていて、輝と俺をじっと見つめていた。
「何してるの? 二人とも」
 輝は何も言わず、黙ったまま口を動かした。オスカーはそれをじっと見てから
「輝、賢治には黙っててあげるから、早く行きなよ」
とその背中を押した。
 もしかして、オスカーは俺が知らないうちに読唇術まで身につけちゃったって訳? 俺がパソコンの活用法を必死で覚えている間に今だに検索機能と予定機能、音楽を聞く機能しかマスター出来てないのに?
 オスカーは少し辛そうに、同時に申し訳なさそうな顔をして俺を見た。
「輝に何したの?」
 俺はそう尋ねて、オスカーをじっと睨みつけた。
「ごめんね、守れなかった」
 オスカーは頭を下げて、震えそうな顔でそう呟いた。其処から先はずっと、なぜだかドイツ語で話を始めた。
 会話はこんな感じだった。
「賢治に聞かれちゃうとマズイんだ。輝が言う事をちゃんと聞かないからって、拷問された挙句、あんな事に……」
 オスカーは苦しそうに俯いて、拳をぎゅっと握り締めた。俺はそんなオスカーの顔を覗き込んだ。
「拷問? どういう事?」
「本当は輝をスカイブルーにまた戻して、情報を横流しさせる筈だったんだ」
全く、賢治が考えそうな事だよね。輝の心を深く傷つけた上に、スカイブルーの情報を頂こうなんて事、賢治以外に考える者はいないよ。
「でも、これ以上サム達には手出しさせないって、輝が聞かなくて。目をあんな事になっても嫌だって言い張ってるんだ」
 これではっきりした。輝はスカイブルーを心から嫌って裏切った訳じゃない。何か、ちゃんとした理由があって、本気で太陽を嫌ってたりする訳じゃない。俺達三人の為だけに、左目を犠牲にしちゃうなんて、そうでもない限りあり得ない。
 でも、左目がないって事はもう、スカイブルーのトレジャーハンターとして働けないんじゃ……。オスカーみたいに、何処か別の場所で指示でもするしかない。怪我人なんて、足手まといにしかならないもん。太陽がまた自分を異常なまでに責めちゃうよ。
 オスカーは少し悲しそうな顔をして、
「サム、ケータイの番号を教えて」
と低いはっきりとした声で(しかもフランス語で)言った。
「いいけど、赤外線が壊れてるよ。俺の」
俺はポケットからケータイを取り出して、オスカーに見せる。オスカーは首を横に振って
「証拠が残るとマズイから、今すぐこの場で頭に叩き込む」
と強い口調で言った。
 オスカーの意思ははっきりしてる。間違いなく、輝を助けたいと思っているに違いない。そうだ、オスカーは心まで”HELL”に売ったりはしていない。
「大丈夫なの? それって裏切り行為でしょ? 今度はオスカーが……」
「Don't worry.」
 ニコッと微笑んで、オスカーは親指を立てた。その笑顔に今は頼るしかない。輝を何とかして助けなくちゃ。その為には少しくらい、頼ってもいいよね?
 俺はオスカーの前でゆっくりと電話番号を呟いた。オスカーはそれを黙って唱えると、ニコッと微笑んだ。
「じゃあ、また連絡するね」
 オスカーは笑って俺に手を振ると、走って輝が走って行った方向に向かって歩いていった。
 
 夜遅く、俺は床に座って、一階から聞こえてくる小さなピアノの音色に耳を傾けていた。また母さんがクラシックのCDでも流しているのかな。時折途切れているところからして、古いレコードかもしれない。
 俺は少し俯いた。まだ濡れている髪が少し冷たい。集中しようと目を閉じると、輝の泣き顔が瞼に浮かんだ。
 どうやったらオスカーを通して(それも、オスカーが本当に輝を助ける気があるのかも分からない状態で)輝を助け出せるのか。どうやったらこれから先、誰も傷つけずにトレジャーハンターを続けられるのか。  
時計はとっくの昔に十二時を過ぎていて、俺はそろそろ寝ないと明日起きられないなぁと、俺は立ち上がる。
 その時だった。急に部屋にGreen DayのMinorityが結構な音量で鳴った。びっくりして、辺りを見回すと、机の上でケータイが震えながら鳴っていた。
 オスカーだと、俺は大急ぎで電話に出た。
「もしもし」
「あ、サム?」
 オスカーの明るい声が聞こえて、俺はほっとした。別の人の電話だったらどうしようと思ってたんだ。良かった、オスカーで。
「今から”HELL”はイギリスに行く。いい? 『聖女の流した涙こそ教会の宝』って謎を解いて」
「輝はどうなるの?」
「輝を連れて行くんだよ。もう解いちゃったみたいだから急いで」
「ええ? イギリスの何処に行けばいいの?」
「俺は聞いてないんだ、サムが解いて」
 オスカーはそれだけ言うと乱暴に電話を切った。ガッチャンと大きな音がしたところからして、急いでいたんだろう。誰かにバレちゃったらオスカー自身の身が危ない。
 俺は呆然と、しばらく突っ立っている事しか出来なかった。親友が大変だって言うのに、双子の弟は肝心の事を教えてくれない。あの宗教オタクの輝が解くような謎、俺に解ける筈がないじゃん。俺が宗教を嫌ってるのも知ってるくせに。(俺は無神論者だから神様なんか信じちゃいない)どうして、ちゃんと調べてから電話して来ないんだよぉっ!!
 でも、オスカーばかりを責めてはいられない。自分でどうにかしなくちゃ。宗教なんか全然分からないけど、何とかしなくちゃ。

 とりあえず、忘れないうちにと、俺はパソコンのメモ帳を開いてこう打ち込んだ。

『聖女の流した涙こそ教会の宝』
場所→イギリス

 それから少し考えて、輝が今どんな状態で、オスカーがどういう立場なのかを整理する事にした。なんだかだんだんややこしくなって来たからなぁ。
 まず、俺と零と輝と太陽の四人はスカイブルーのトレジャーハンターで、俺と零は付き合ってる。輝は太陽が好きだけど、太陽は鈍感だから気がついていない。
 ”HELL”は悪事を働いている世界的に大きなトレジャーハンターの組織で、俺の元仲間賢治が『サタナエル』と名乗ってボスをしている。双子の弟オスカーは昔死んだ筈なのに何故か賢治に協力している。
 少し前、”HELL”が太陽を餌に輝を揺すってスカイブルーを裏切らせた。輝は太陽の為(詳しくは分からない)に裏切る事を決めたらしい。太陽はそれがすごくショックで落ち込んでいる。
 輝は裏切りはしたものの、賢治の言う事を聞かなかったから左眼を怪我している。そしてその事実を知っているのは俺だけ。
 さあ、どうやってあの太陽を落ち込ませないように輝の事を伝える?
 今こそ太陽には無敵のクイーンで居てもらわなくちゃいけない。そうじゃなくちゃ、スカイブルーには勝ち目が無い。元々、スカイブルーは小さなトレジャーハンターの組織なんだよ。あの大きな”HELL”に対抗する術なんて何一つ無いような状態なんだ。頼みの綱は『空色中の亀田』である輝と『無敵のクイーン』の太陽だ。
 それなのに輝は”HELL”にいて怪我してる。その事実をあの太陽が知ったらすごく傷つくだろうし、きっと落ち込むよ。自分のせいなんだって、言って聞かなくなるかも。そうなったら輝は取り返す事はおろか、スカイブルーは潰れちゃうかもしれない。
 さあ、どうしよう。
 俺はベッドに横になると目を閉じて考えた。明日、零と太陽に説明する為にはどうしたらいいのかをゆっくりと考えながら。

翌日、俺は日直仕事があるからと大嘘をついて、早く家を出た。母さんは俺の嘘にあっさりと騙されてくれて、俺はいつもと同じように母さんに手を振ってから零の家へ向かって歩き始めた。
 どうして零の家へ向かったか? 簡単だよ、時間も無いし、戦力にならないなら太陽と零は置いて行く事にしたんだ。だってそうでしょ? 戦力じゃないなら足手まといでしかない。それなら最悪、俺一人でイギリスへ行ったらいい。今のままでも命に関わる話なんだもん。危なかろうがなんだろうが、仲間を見捨てる気はさらさらない。
 それに零はともかく、太陽はこれ以上不良地味た真似をさせる訳にはいかない。黒仁家で今ですらつらい思いをしながら暮らしているんだよ。これ以上居づらくなるような事があったら、あの無敵の太陽も流石にもたない。
 せめて二人に話だけはしておこうかとも思ったんだ。太陽には黙っているつもりだけど、零にはあとで外泊してますって言って貰わなくちゃ。母さんには心配を掛ける訳にいかない。
 そんな訳で俺は零の家へと来た。
 どうやって呼び出そうか、電話掛ける訳にもいかないし、まさか太陽と一緒に学校へ行こうと出てきた零を捕まえる訳にはいかない。
 まあ、少しくらい時間が掛かっても問題ない。此処から空港まではだいぶあるけど、お金は持ってる。いざとなったらタクシーを使おう。怪しまれない為だったら適当に服を見繕って着替えないと。電車を使った方が自然に見える。
 結局、俺が考え込んでいると泉兄が病院へ行こうと家を出てきた。俺は泉兄をこっそりと捕まえると、太陽には分からないように零を連れ出してほしいと頼んだ。泉兄は朝からいちゃつこうとしていると思ったらしくニヤニヤ笑いながらOKしてくれた。
 太陽はありがたい事にまだ眠っていたらしい。零は俺を見るなりびっくりした顔で
「どうかしたんですか?」
と優しく笑った。どうやらおはようのキスかと思っているらしい。全く、時間が無いって言うのに。
「零。時間が無いんだ、よく聞いて」
 そして俺は包み隠さず零には全てを話した。そりゃあ少しはオブラートに包んだよ。まさか、
「輝の左眼が潰されちゃってさあ、助けに行かなくちゃいけないんだ」
とか言える訳無いし。とりあえず、拷問を受けているって話だけはした。
 零は俺の肩をぎゅっと強く抱きしめて
「私も行きます」
と耳元で囁いた。泉兄が車から覗いてる。もう、零ってば!!
「駄目、太陽を一人には出来ないよ。輝の事を知ったら太陽が一番傷つく。零を危ない目にはあわせたくない。お願いだから言う事を聞いて」
 零を何とか言いくるめようとしていた時だった。太陽がいつものセーラー服姿で出てきて
「零、遅刻するぜ」
と俺と零を見て言った。ああ、もう終わりだ。
「おはよ、太陽」
 仕方が無いからそう太陽に笑い掛けると、一緒に学校へと行く事になってしまった。時間は惜しいけど、もうどうしようもない。
 零が服を着替えに走って行くのを黙ってみていると、太陽が俺に尋ねた。
「何してんだよ、隠し事か?」
「そのとおり、でもお子様には話さないから」
 ああ、もう。零の大馬鹿! 何て行って太陽を納得させたらいいんだろう。零の事だから黙っていられる筈が無い。でも太陽を連れて行く気はない。
「聞いてたんだぜ、オレ。輝の事なんだろ?」
「太陽、俺は邪魔されたとしても一人で行くからね」
 仕方が無い。この際絶好でも殴られるでも、我慢しなくちゃ。ああ、でも太陽に殴られるのは嫌だなぁ。絶対ボコボコにされる。一発で済みそうも無いし。
「オレはなんて言われたって輝の親友だし、あの時約束したんだ。絶対に助けるって。だから何があってもついていくぜ」
 俺はため息をつくと鞄を下ろして、太陽の前まで真っ直ぐ歩いていく。不思議そうに俺を見上げる太陽の腕を掴むと
「太陽、時間が無いんだ。これ以上俺の邪魔するのはやめてくれる?」
と囁いた。こんなのが太陽に通用するとは思っていないけどさ、それでも脅しにはなるかな? いや、なってくれないと困る。
 太陽はなんの躊躇いも無く俺を見上げた。
 やっぱり太陽は男でもなんでも力で解決しようとされると人を舐めて掛かる所がある。明らかに今の立場は太陽が不利だって事に気がついていない。輝が太陽を心配する訳だよ。これじゃあ、いつか必ず痛い目見るな。
 俺は太陽の腕をぎゅっと掴むとじっとその目を覗き込んだ。
「太陽、そうやってさぁ自信満々で人を舐めるのはやめなよ」
「ケンカ売ってきたのはそっちだろ?」
「ああ、そう」
 俺は太陽を突き飛ばすと
「だったら大人しく学校に行ってもらわなくちゃね」
と笑って見せた。無様にしりもちをついた太陽は力じゃ俺には勝てないって気が付いたのか、そっぽを向いたっきり黙りこんだ。
「太陽、サム」
 零が制服姿で出てきた。太陽の通学鞄も持っている。俺は黙って零に手を振ると、走って空色駅へと走った。行く途中の適当な店でいい服を買わなくちゃ。かつらと帽子は持ってきたけど服は持ってきてない。
 俺はなるべく早足でショッピングモールの方へ行った。
 俺は髪を真っ赤に染めてるし、服装も今日はだいぶと着崩してきた。何処からどう見たって不良の生徒が学校サボってるようにしか見えない。問題でも起こさない限り、俺を気に掛けたりする人は居ない筈。
「待ちやがれぇっ!!」
 後ろから誰かが叫びながら走ってくる。声は低いから女の子ではない。……いや、れっきとした女の子の太陽だ。確かに姿形以外は女の子なんかじゃないかもしれないけど、確かにあれは女の子だ。青いセーラー服を着ている。
 俺はギョッとして駆け出した。
 駄目駄目、何があっても太陽は置いて行く事にしたんだから。何を言ったって太陽が今回の戦いで無敵のクイーンとして戦えるような事は輝が音楽のテストで0点を取る確立に等しい。まず間違いなく無理だ。

 でも太陽はあきらめもせずに走ってくる。輝の話じゃ体力はいたって普通の女の子並みだからマラソンなんかとてもじゃないけど出来ない筈じゃなかった? 俺が唯一、人並み以上に出来るマラソンにあの太陽がついて来られるとは思えない。
 俺は角を曲がるとすぐ近くのごみ箱の陰に隠れた。真っ赤な髪だから、見つかる可能性が以上に高いのは分かってる。でも、一回見失ったら太陽だってあきらめるでしょ? 俺が『空色中のカール・ルイス』だって影ながら呼ばれてる事は知らないだろうけど。(実際にそう呼んでくれたのは輝くらいなんだけどさ)
 太陽はもう気力だけで走っているような状態だった。角を曲がって俺が居ない事に気が付いたとたんに座り込んでしまった。後から追ってきた零が太陽の隣りにしゃがんだ時には何も言わずにボロボロと泣き出していた。
 どうして泣いているのかは分からない。でも、太陽は静かに泣いていて、零はどうしていいのか明らかに迷っている顔で辺りを見回していた。
 俺は流石に太陽を放っておく訳にもいかなくなったなぁと思って立ち上がると太陽の前にしゃがんだ。
「太陽、ついてきても足手まといになるだけだから言ってるんだよ」
「うるせぇ、サムにはオレの気持ちがわかんねぇんだよ」
 ごめんね、太陽。分かりたくも無いよ。弟が死んだだけでも十分ショックなのに、家族を殺されるなんて気持ちには間違ってもなりたくない。しかも零の家では零の家族にいじめられてるって話だし、そんな目にあっても強い太陽には正直なれないよ。ま、口に出しては言えないけどさ。
 そこで俺は大嘘をついた。
「そんな事無いよ、太陽。何言ってるの?」
 太陽は真っ直ぐ顔をあげると俺の顔を真っ直ぐ見つめた。強く鋭い視線だった。さらっと流れた髪がつやつやと陽の光りで輝く。そう、無敵の時の太陽だ。
「スカイブルーはオレの全てなんだ。もう何も失いたくねぇ。もう泣きたくなんかねぇ。だからオレは守るって決めたんだ。絶対についてく」
 強い視線が俺に向けられた。とてもじゃないけど直視なんか出来ない。まさに太陽のような目だった。
「だから、足手まといは……」
「オレは足手まといじゃねぇっ!!」
 俺は大きなため息をついた。もういいや。隠しといてあげようと思ったけど、言っても聞かないんじゃ仕方が無い。本当の事を正直に話すしかない。
「分かった。じゃあ、本当の事を言うよ」
 太陽がむっとした顔で俺をじっと睨み付ける。生ぬるい風が吹き抜けて、俺の頬を撫でた。太陽の髪が大きく靡く。
「輝はね、太陽の事で脅されてるんだよ」
 早口で俺は太陽に怒鳴った。近所迷惑なのは分かってる。でも、太陽は今にもブチ切れかねない。こっちが先にキレた方が得だ。
「賢治はスカイブルーに戻して、こっちの情報を横流しさせようとしてた。でも輝は拷問されても従わなかった。」
 さっきまでの視線とは裏腹に、太陽は徐々に輝きを失っていく。強い視線は、今や弱々しく地面を見つめるばかり。
「その挙句、左眼を潰されたんだ。太陽、太陽を守る為にだよ? どう、満足?」
 俺はそこまで言い切ると太陽に背中を向けて歩き始めた。
 小石を踏むじゃりっという音が聞こえた。
 このまま此処に居るだけ無駄だ。もう太陽はついてこないだろう。まず間違いなく無敵のクイーンとして戦う事は出来ない。足手まといのゴスロリ女でしかない。
 俺は黙って駅に向かって歩く。
「待ちやがれっ」
 涙声の太陽が叫んだ。零が太陽を止めようとして何かを言っている。でも太陽の喚き声の方が大きくて聞こえない。
「サムがなんて言おうがオレは行く」
 俺の予想とは違う、太陽の強い目が俺を真っ直ぐ見つめていた。頬は濡れているけど、確かにいつもと同じ無敵のクイーンの顔だった。

 零が黙って俺を見つめている。どうしていいのか分からないから助けを求めている。もう太陽を止められそうも無いらしい。
 俺は静かに頷いた。
 仕方が無い。まず間違いなく役に立たないなんて始めから決め付けてても分からない。太陽の目は真剣だ。あきらめて連れて行こう。これ以上時間を無駄には出来そうも無いし。
「分かった。行こう、急いでよ」
 俺はそういうと、太陽の腕を掴んで立たせるとため息をついた。全くどうしようもないな、こんなのじゃ。
「零、来るよね?」
「もちろんですわ」
 零の前に手を差し出して、俺は笑った。

 俺達はとりあえず上本町まで電車に乗ってくると、近鉄百貨店の中で服と帽子とサングラス、それに大きなスポーツバッグを買った。それを近くのトイレで着替えて、スポーツバッグに詰め込むと、高速バスの乗り場へと走った。バスは時間どおりにきていて、今にも出そうだった。危うく乗り損ねるところで、乗れた時はほっとした。
 バスは微妙な時刻だったからか平日だったからかは分からないけど、とにかくガラガラだった。ありがたい事に、一番前に座っているカップルが一目を気にせずイチャついてるから全然目立たなくて済んだ。
 目立たないようにと俺がこの前百円で買ったヘアカラーのスプレーのおかげで太陽は目立たないくらいの茶色い髪になっていた。真っ黒なタンクトップに、いつもつけているらしい剣のチョーカーとエメラルドのロケットがなかなか似合う緑の迷彩柄の長ズボンが目立たない割には太陽らしくていい感じだった。茶髪の太陽なんて面白いよ、本当。
 零は相変わらずの大人っぽい白いシャツに黒のタイトスカートのカッコだ。学校用のローファーによく似合う金色のコインがよく似合っている。
 俺はそんな二人と対照的ないたって普通のキャップに黒のカツラ、柄物の白いTシャツだ。大き目の緑色のサングラスで顔の半分を隠している。洒落っ気ゼロの男を演じてなくちゃいけない。
 俺もおしゃれしたかったなぁ。確かに、俺の場合は外国人に見えるような白い肌に堀の深い顔だから隠さないと目立っちゃって仕方がないんだけど。その癖、日本で育っちゃってるから大阪弁もぺラぺラのギャップがあるんだけど。だから何やねん、みたいな(笑)
 太陽は窓の外を小学生みたいに眺めている。俺と零がこれからどうするかを話し合っていても、つまらなそうな顔をするだけ。外を眺めているのが楽しいみたい。本当、太陽って不思議だ。
 俺はそんな太陽に
「いい、今日は目立っちゃ駄目なんだからね」
と言い聞かせて、さっき百貨店で太陽と零を待っている間に買った黒糖を出して太陽の口に入れた。これでしばらく黙っているだろう。
「サム、これ何?」
「黒糖だけど」
 え、黒糖ってお菓子じゃないの? 家じゃ母さんがお菓子にってこれを買ってくるんだけど。
「黒糖ってこうやって食うモンなの?」
「違うの?」
 太陽が息も出来ないほど笑うから、俺は恥ずかしくて太陽の肩をぐらぐら揺する事しか出来なかった。騒いで目立ちたくは無かったしさ。
「おいしかったらいいんだよ、おいしかったら」
「遠足のつもりかよ?」
「そこまで言うんだったら空港に置いていくよ」
 ようやく黙った太陽をにらんでいると、バスは止まって空港についたと放送が入った。外を見ると、少し曇りのある狭い空が見えた。
 鞄を持って、黒糖の袋を抱えている太陽の手を引っ張って、俺はバスを降りた。手の掛かる子供みたいに黒糖を手放さない(笑ってたクセにっ)太陽がのろのろとついてくる。
 俺は飛行機で太陽を黙らせる為の分がなくなっちゃマズイからと太陽から黒糖を取り上げた。零にもひとつあげると、自分の口にもひとつ投げ込んで、太陽に最後と言ってひとつだけあげた。
 空港に入るとまず、出国手続きやチケットの用意をすませた。つまらなそうな太陽を零がなだめている。太陽、大人しくしててよ。
 それから疲れてる様子の零を見て、スタバに入った。確かにあんな学校に入りたての小学生みたいな太陽を連れてたら零も疲れるよね。
 零も太陽も何を頼んでいいか分からないとか言うから、俺が適当に頼んだ。太陽にはカフェモカ、零にはキャラメルマキアート。俺はブラックコーヒーを。どれもホットにした。
 太陽はカフェモカが気に入ったのか大人しくなった。この子は美味しいものがあったら大人しくなるのかなぁ? 全く、よく分からない。
「ねぇ太陽、今日はおしのびなんだよ。大人しくしてて」
「分かってるよ」
 太陽は大人しく頷き、きょろきょろと辺りを見回している。全く、意味が分かってるのかなぁ? 輝っていつもこんなに苦労してるんだなぁ。これの何処がいいんだろう、俺には理解出来ないや。
 外はだんだん暗くなってきて、雨も降ってきている。この調子じゃ飛行機はだいぶ揺れるだろう。いつもみたいに隣りに居てくれる輝がいないからきっと怖がるだろうなぁ。いつもの自家用ジェットは使えないから(バレちゃうもん。学校をサボってる事が)、一番安いイギリス行きの飛行機だ。太陽が何時間も眠っていられるとも思えないし、大丈夫かかなり心配。
 人の心配をよそに、太陽は幸せそうな顔で飲んでいる。泉兄に頼んで軽い睡眠薬を貰ってきたらよかったなぁ。朝、会ったのに。
「ねぇ、二人とも。此処からはもしもの為に偽名を決めとこうよ」
 俺はそう言って、辺りを見回した。大丈夫。かなり込んでいるから、静かに話せばすぐ隣りにも聞こえない。
「もしかしたら”HELL”が尾行してるかもしれないし、いつも呼び合う名前だけでいい。決めとこうよ」
 そして、俺は手帳を引っ張り出した。イギリスについての細かいメモを書いたページを見て、俺も何かそれっぽい名前をつけておいた方がよさそうだと考えた。
「どんなの?」
「何でもいいよ、存在しそうな名前だったらね」
「じゃあ、オレはスカイなっ♪」
 ニコニコと笑いながら、太陽は言った。この名前の意味が分かってて言ってるんだよね? めったにこんな名前の人を見ないんだけどなぁ。まあ、いいけど。
「なんでまた……」
「スカイ・スウィートナムのファンだから」
 全く、日本じゃスカイはそんなに知られてない筈なのによく知ってるなぁ。ある意味すごいよ。
「じゃあ、私はヒラリーで」
「それってヒラリー・ダフ?」
「そのとおりですわ☆」
 やれやれ、この二人の頭の中には洋楽という言葉しかないみたい。それも日本じゃあんまり知られないような歌手の気がするのは気のせい? もう少し有名どころはなかったのかなぁ? ジェシカ・シンプソンとかブリトニー・スピアーズとか居るでしょ?
 じゃあ、俺はなんにしようかなぁ? ぱっと聞いて分からなかったらなんでもいいや。最悪適当に訛らせて英語を使えばいいしね。
「じゃあ、俺はブライスで」
「ちなみに何処からとったんですか?」
「海外に住んでた頃の友達の名前」
 俺は短くそういうと、腕時計をチラッと見た。去年の誕生日に買って貰った(千円だったらしい)シンプルな銀色の文字盤は十一時を指していた。
 そろそろ学校で騒ぎが始まった頃だろう。母さんが俺のメールに気が付くかは怪しい所だけど、心配させない為にも一応メールだけは入れておこう。
「ブライスですか、なんかサムさんらしくない感じがしますわ」
「俺から見たら零はヒラリー・ダフっていうよりはリディア・ハーストな感じだけどね」
「誰ですか? それ」
「知らないならいいよ」
 俺は少し笑って手を振った。もしかしたらパリス・ヒルトンかもって思っちゃったから。零は訳が分からないような顔をしていたから黙っていた。いやいや、零は零だもん。
 
 飛行機の時間がきて、少しぎりぎりの時間になるのを待ってから乗った。少し心配している様子の零にあんまり目立つとマズイからと説明した。混む時間帯に乗るのが一番いい。
 まだ残っているらしい、スタバのカップを持って歩く太陽はいつもよりずっと大人しかった。って、言うよりは飛行機が怖くてビビッてたらしい。一言も言わず、俯いたまま俺のシャツを握って後ろを歩いてくる。
 出入り口に一番近い席を頼んだから、案外楽に乗る事が出来た。混雑しているのは確かだけど、そんなに困りもしなかった。
 さっきからガタガタと酷く震えている太陽が真ん中の方が安心するからと陣取っている。零はなれているのか気にもしない。零の横がよかったなぁと思いながらも、真ん中や一番向こうだったら英語の話せない二人に無理があるかと大人しくしている事にした。
 太陽はしばらく下ばかりを見ていた。目立たないようにしようと静かにしているのもあるんだろうけど、今にも叫び出しちゃいそうな顔をしている。逆に、周りの視線を集めている。
 俺はそんな太陽にひたすら話し掛けていた。零と二人で静かに洋楽の歌手はどれもいいよねとか、無理矢理ひねり出したような内容だったけど、太陽は静かよりはいいとばかりに耳を傾けていた。
 飛行機が飛び立つ頃には、太陽もぐっすり眠っていたから、俺はずっと新聞を読んでいた。零が眠そうにしていたし、太陽越しに話し掛けて、起こしちゃったらマズイから。また大騒ぎされたら困るんだもん。
 でも、俺はいつのまにかぐっすりと眠り込んでしまって、零に起こされて初めてイギリスに着いた事に気が付いた。
 飛行機が地面に降り立ってから、俺は太陽を起こした。よくこんな長時間眠れたなぁと思いながら、寝ボケ眼の太陽を引っ張って外へ出た。

 俺は一時期イギリスに住んでいた事がある。父さんの仕事の関係で半年くらいの間だったけど、俺は首都のロンドンで暮らしていた。英語とドイツ語は此処で覚えた。久々に見る懐かしい景色に、俺はぼうっとしながら辺りを見回した。
 日本語しか話せない女の子を二人連れた俺がしっかりしなくちゃ。とにかく何処かにホテルを見つけなくちゃ。凄く小さなホテルがいい。
 すぐ近くに小さなホテルを見つけたから、俺は二人を連れて其処に入った。
 今にも潰れちゃいそうだから、流石の”HELL”にも此処は分からないだろう。だって看板が外れかけてるし、視力に自信のある俺だからこそ読めたような薄汚れた字だったし。見つけたらある意味凄いと思う。
 ちょっと驚いている様子の二人を連れて、一つだけ部屋を借りると伝えた。朝食も晩御飯もついていないって聞いたから、早速何かを食べに行かなくちゃ。お腹がすいた。
「二人とも、何か食べる?」
「ううん、お腹すいてない」
 太陽はそう言いながら黒糖をばりばりとかじっていた。それだけ食べたらお腹もすかないだろうね、全く。やっぱり買わなきゃ良かった。
「零は?」
「私もお腹はいっぱいですわ」
 そうですか、はいはい。じゃ、俺はその辺のお店でベーグルとかワッフルとか買ってきますよ。一人で。
 俺は荷物を部屋の端に下ろすと、二人に二つしかないベッドを好きに使っていいよと伝えて、ドアに向かって歩き始めた。
「待てよ、何処行くんだよ?」
「買い物、お腹がすいたから何か買ってくる」
 太陽がひょっこりと立ち上がると俺のところまで走ってきて
「オレも行く、唐揚げ食いたい」
とか言い出した。
 太陽には此処が何処だか分かってるのかな? 此処は正式に言うと『グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国』、イングランドの地だよ? 分かりやすく言えばイギリスなんだけど。
 コンビニに行ったら唐揚げやおにぎりが売ってる日本とは違う。国王陛下が政治をしている国なんだよ? 選挙して総理大臣を決める日本とは違うんだから。
「唐揚げなんて売ってないから」
「じゃあ、イギリス料理って何が美味い?」
「さあ?」
 少なくとも、太陽の口に合うような料理があるのかは知らない。だって、何でも良く食べるんだもん。全く、ついていけない。輝に同情する。
「じゃあ、私も行きます」
 零がそう言って、立ち上がった。
 ちゃっかり黒糖を抱えて出かける準備万端と胸を張る太陽に呆れた。俺は食べるものを買いに行くだけなんだけどなぁ。
 俺は黙って太陽を見ると大きなため息をついた。なんだかベビーシッターでもしてる気分になるよ、全くもって本当に。零も輝も苦労してたんだね。

 とりあえず、開いていた小さなカフェに入ると、コーヒーと紅茶を二つ注文してベーグルを一つ、パフェを二つ頼んだ。太陽は大人しく静かに座っていた。
「美味しい?」
 俺は幸せそうに食べている太陽に尋ねた。
 太陽はこくんと一回頷いた。口の周りが白いよと言って、紙ナプキンを太陽に押し付けた。可愛らしく食べていた零は、そんな太陽を見てくすくすと笑った。

 食べるだけ食べると、太陽は満足したのか、眠たそうに大きなあくびをした。
 確かに眠い。日本は今夜の十二時過ぎくらいだ。イギリスは昼間だから完全な時差ボケだけど、慣れている俺は特に問題ない。こんな生活が何年も続けば慣れちゃうもんだね。眠いけど何とか耐えられる。
 二人が眠そうだったから、食べ終わるとホテルに戻った。
 途中で一度日本人の観光客二人に英語で道を聞かれた。流石にびっくりしたよ、だって俺がそんなになじんでるとは思えなかったんだもん。明らかなNY訛りの英語をしゃべってる俺がだよ?
 仕方が無いから大阪弁で教えてあげた。
「セントポール大聖堂はあっちやけど」
観光客の二人は東京から来たらしい、明らかにおかしい大阪弁で
「おおきに」
と言って足早に走っていってしまった。零がめちゃくちゃ笑っていた。
 とにかくホテルに戻ると太陽はベッドに倒れこむとそのまま眠り込んでしまった。ぐっすりと気持ち良さそうにしていたから、俺は布団をちゃんと掛けてから、窓を閉めた。
 零はお風呂に入ると言って、部屋に作り付けのシャワー室を使っている。さっき、シャンプーは何処だとか騒いでたけど、今は大丈夫らしい。落ち着いている。
 俺は手帳をじっと眺めていた。聖女の流した涙って何の事だろう。教会の宝なのは確かだけど、教会って何処のなんだろう。イギリスって事は、イギリス国教会が関係してるんだよね? でも詳しい事なんかちっとも分からないよ。
 輝はどうしてイギリスだと思ったんだろう。イギリスなら何処だと思っているんだろう。とりあえずの理由で来てしまったロンドンじゃなかったらどうしたらいい? 
 太陽が寝返りをうった。そっちを見たら、太陽が布団に潜り込んで泣いているらしく、小さく丸まっていた。堪え切れなかったんだろう。噛み殺したような嗚咽が聞こえた。
 何日もこうやって一人で泣いてたんだろうな。夏休みの辺りからずっと、太陽にはつらい事が多すぎた。今まで耐えてこられたのは輝が居たから。輝が居なくなったから、太陽は笑顔を失っちゃったんだ。いくら無敵だって言ったって、太陽にも限界が来てる。
 太陽の為にも輝の為にも、どうにかして謎を解かなくちゃ。解いて助けに行かなくちゃ。二人が泣かなくてもいいように。

 翌朝、俺はちゃんと朝の七時に起きた。ソファーで寝たからか首が痛い。ズキズキと痛むから、俺は首を押さえながら起き上がらなくちゃいけなかった。
 太陽は寝坊をしたらしい。まだ眠っていた。零はずいぶん前に目を覚ましたらしく、暇そうにベッドの上でテレビを見ていた。ちょうどつまらなそうなB級映画がやっていて、それをぼうっと眺めていた。
 俺は起き上がると、ケータイを見た。オスカーか輝からのメールを期待していたんだけど、全く知らないアドレスのメールがきていた。件名はこう『おはよう、サム☆』見ただけで分かっちゃった。賢治だ。
「おはよう、サム」
 零がテレビを消して、俺の所まで来た。俺はおはようと返して、太陽を見た。まだ身動きすらしない。完全に寝ている。
 これぞチャンスとばかりに、俺は零を抱きしめるとキスをした。ああ、幸せ。
「サム、輝は何処なんですか?」
 零は少し恥ずかしそうに笑ってから、太陽を見て体を少し離した。太陽に見られたくはないみたい。それから、ムードぶち壊しの言葉を口にした。
「輝の事、どうするんですか?」
 ま、しょうがないよね。確かにあんな小学生並みのお子様にからかわれたくはない。キスはお預けだ。  
俺は少し考えてから、ケータイを零に見せた。広げて、さっきのメールを開く。
「さっき、賢治からメールが来たんだ」
 メールにはこう書かれていた。

Good morning!
元気にしてる?
オレはセントポール大聖堂で
朝の礼拝中だよ(^ ∪ ^)/
もちろん、輝とオスカーも一緒。
輝が会いたがってるからメールして
会わせてあげるよ


 セントポール大聖堂はこの近くだ。有名な教会だからすぐに見つかる筈。でも、今も居るかどうかは怪しいところだ。特に輝はいないだろう。
 零は凄く心配そうな顔をしていた。メールの事もだけど、輝が一緒だって事が一番心配なんじゃないかな。ただでさえ危ない目にあってるんだからこれ以上悪くなったら輝は生きて日本に帰れなくなるかもしれない。太陽はもちろん俺や零、空兄に会う事もなくなってしまう。

 そうなる事だけは避けなくちゃ。とにかく、会える可能性があるのなら試すしかない。会えたらどうにかなるかもしれない。まだ寝てるけど、無敵の太陽が居るんだもん。
 俺は零に太陽を起こすように言ってからメールを打ち始めた。

おはよう、賢治。
俺はすっごく元気だよ。
今、朝ご飯を何にするか考えてるトコ
俺も輝に会いたかったんだ。
早く会わせて


 ぼさぼさの髪で起き上がった太陽が、ぼうっと辺りを見回している。まだかなり眠そうだけど、何とか起きている。よし、太陽も起きたし、いっか。
 俺はメールを送信すると、ケータイをソファーに置いた。それからゆっくりと立ち上がると太陽のベッドに座って、じっと太陽の顔を覗き込んだ。
「太陽、早く出かける用意をして。輝を助けたいんでしょ?」
 太陽はそれを聞くなり立ち上がって、ばたばたと洗面所の方に走って行った。俺は同じようにベッドに座っていた零の肩を抱いて少し笑った。太陽がバタバタと騒いでる。ムードなんて無いけど、でも俺は幸せだった。そっと零に口付けて、目を閉じた。
「邪魔して悪いけど、ケータイがなってるぜ」
 急に太陽がそう言って、俺の肩を強く叩いた。びっくりして、俺は零の肩から手を引っ込めた。流石に太陽に見られたのは恥ずかしいんだもん。
 太陽はきれいに髪を梳いたらしく、いつもの見慣れたストレートヘアだった。零がそんな太陽を見て
「結ってあげるからこっちに座って下さい」
と優しく言った。
 メールはこうだった。

寂しい思いはもうしなくてもいいよ
すぐに二人がそっちへ行くから


 ぼうっとそれを眺めていると、部屋のドアが急に叩かれた。部屋の料金か何かかなぁと俺は立ち上がると、ドアを開けた。
「sorry.What are you doing?」
 でも、その返事は驚いた事に日本語だった。聞きなれた優しい声で
「おはよう、サム」
とはっきり言った。顔をあげるとオスカーがにっこりと笑って立っていた。
 その隣りにはなんだか元気のない輝がぽつんと立っている。いつもはちょっとくらい元気が無くたって気にならないけど、気になって仕方が無いくらいの暗い輝が俺をうつろな目で見つめている。
「輝、オスカー……」
 俺はぎょっとして何も言えなかった。やっぱりイギリスに着いた時点からずっと”HELL”につけられてたんだ。あれだけ変装しても無駄だったって訳ね。がっかりだ。
 オスカーは輝に英語で何か命令地味たことを言った。でも、聞きなれないイギリス訛りだったから上手く聞き取れなかった。ああ、そうだった。イギリス系の音楽が大好きな輝には得意な発音だったんだ。
 俺はオスカーに銃口を押し当てられた。輝がゆっくりと辺りを見回して、オスカーと一緒に部屋の中に入った。そして、ゆっくりと静かにドアを閉めた。
 太陽と零が心配しないようにと、俺は英語で話そうと決めた。太陽と零が大騒ぎをしたりなんかしたら、それこそ二人は天国に送られてしまう。
「Oscar, I couldn't catch what you said. One more please?」
「Sure. I said “Hikaru.You kill everyone in this room.”」
 はあ、オスカーって馬鹿じゃないのかなぁ? あの輝に人なんか殺せる訳が無いじゃん。平和主義者で戦争を反対してるのに。それに、その対象には太陽がいる。輝が誰の為に”HELL”に協力してるんだと思ってるんだか。
 オスカーは俺をじっと見つめていた。
「Oh, I am so scare. But we will not dead.」
これくらい言っても当然だよね。だってそうでしょ? 親友の為に殺されてやるつもりは無いもん。死ぬ気はさらさら無いしね。
 俺は思い切り息を吸い込むと、オスカーの手首を掴んだ。抵抗しかけたオスカーの腕を壁に押さえつけると、俺は太陽と零の名前を思い切り呼んだ。オスカーが輝に怒鳴った。
「Hikaru, Kill! Kill there!!」
 つらそうな顔をしていた輝が、オスカーの手から銃をもぎ取った。俺はそれを止められなかった。ただ、オスカーの腕を押さえつけている事だけで精一杯だった。
 輝は銃を真っ直ぐ先に出てきた零に向けた。
「下がれ」
苦しそうに、でも確かにそう言った。つらそうな横顔が目に入る。見ていられなくなるような、つらそうな目をしていた。
 オスカーが抵抗を止めると、俺にしか聞こえないような小さな声で囁いた。
「サム、俺を殺して」
 俺は耳を疑った。
「はあ?」
 オスカーはいたって真面目な顔をしていた。大きな青い目が俺を真っ直ぐ見つめる。その目が本気だって、俺に強く訴える。
「静かに聞いて、俺と輝はサム達を殺さずに帰ったら見せしめに殺される。輝を助けたいんだったら俺を殺して輝を取り返して。どの道死ぬんだから、サムの手で天国に送って。いいね?」
 オスカーはそう小さく囁くと、俺を突き飛ばした。そして真っ直ぐ輝に向かって走って行くと、輝の腕から銃を引っ手繰って俺に投げ渡した。とても穏やかそうな笑顔を浮かべて、オスカーはぎゅっと目を閉じる。
「早く」
オスカーはそう怒鳴って、俺を睨んだ。
 俺には出来なかった。どうしても、もう一度やった事がある筈の事が出来なかった。オスカーを殺せない。殺す訳にはいかない。殺されかけても、敵だとしても、やっぱり双子の弟だから。
 俺が撃てずにいると、急に太陽がオスカーの背中に飛び蹴りを食らわせた。それを合図とばかりにぼうっとしていた輝を零が押さえつける。
 オスカーは太陽の蹴りで思い切り倒れた。壁に背中を叩きつけられて、痛そうに顔をしかめた。頭を強くぶつけたのか、血が流れ出した。
 太陽はそんなオスカーの前までゆっくりと歩いていく。金色の髪が高い位置でポニーテールに結い上げられている。さらさらと揺れる度に、オスカーが悲鳴をあげた。
「お前は本当に根性なしだ」
 太陽はオスカーに怒鳴った。太陽の拳が止まって、太陽はオスカーを火のように燃え上がる視線で睨みつけた。凄く悲しそうな顔をした太陽が、オスカーをじっと見つめていた。
「前に言った筈だぜ? 笑わせんじゃねぇ、自分の力でサタナエルに嫌だって言いやがれってな。あと一度でもサムに自分を殺せって言ってみろ、オレがその口二度ときけなくしてやるっ!!」
 オスカーは急に大人しくなった。
 俺はチャンスとばかりに輝とオスカーの耳のピアスを銃で撃ち飛ばした。二人が痛そうに耳を押さえたけど、俺は構わなかった。ピアスの飾りが吹っ飛ぶのを確認してから、俺は銃の弾を抜いて床に捨てた。
 輝は急に暴れ始めた。零が耐え切れず輝を放してしまった。そして、太陽に殴りかかった。
 パァンと大きな音がして、太陽がその拳をぎゅっと強く受け止めていた。さらっと揺れた髪からゴムが滑り落ちた。俺はその背中を黙って眺めている事しか出来なかった。
 輝がつらそうに、でも少し嬉しそうに笑って言った。なんか、ヤケになってる?
「男みたいに振舞ってる弱い女にはもう飽き飽きしてんだよって、言った筈だぜ?」
「ああ、覚えてるぜ」
 太陽は自信満々で胸を張って見せた。
 強いその目が語っていた。輝の言葉で動揺はするけど、絶対に乗り越えてみせるって。諦めが悪い太陽だからこそ、出来るような強い力が輝の拳を押し返す。やっぱり俺から見れば小さいけれど太陽は無敵なんだ。
「でもなぁ、輝がオレに飽きたってオレは輝に飽きちゃいねぇんだよ。決めたんだ、何があっても連れ戻してみせるって」
 輝は太陽に思い切り殴られた。流石に目をそらしたけど、輝はあえて避けなかったみたいだ。黙って太陽に殴られてしまった。その横顔がすこし嬉しそうに、でも悲しそうにも見えた。
 オスカーが急に体を起こした。
「太陽ちゃん、もうやめて」
 オスカーはほとんど半狂乱な状態で叫んでいた。真っ赤な髪をますます紅く染める血が辺りに散った。
 太陽はオスカーを見た。不思議そうな顔をして、輝から目をそらす。さらっと髪が揺れた。
 同じように輝もオスカーを見た。 「
聞いて、太陽ちゃんは俺の彼女じゃない。付き合ったっていうのはアイスを食べに行くって話にだよ、賢治も太陽ちゃんに手を出す気なんか無いし、”HELL”に協力する必要なんか無いんだよ」
 俺はびっくりしていた。
 オスカーが言った事はまさしく”HELL”への裏切り行為だ。太陽があんなふうに怒鳴ったって事はやっぱり死ぬのが怖いってそういう話を一度しているからだもん。死にたくない筈なのに、どうして殺されたっておかしくないような事をするんだよ。おかしいじゃん。
 輝も俺と同じようにびっくりした顔でオスカーを見つめていた。裏切り行為に目を疑っているんだろう。俺もおんなじ気持ちだ。
「オスカー……」
「ピアスはもう潰れたんだ。もう”HELL”は輝に手を出せやしないよ」
 輝がぺたんと床にへたり込んだ。
 訳が分からないとでもいいたげな太陽がオスカーと輝を見ている。
「太陽ちゃん、言ってやれよ。自分はスティーブン・ハリスとアイス食べただけの関係だって」
「え? もしかして、オスカーがスティーブン?!」
 太陽が慌てた様子で立ち上がる。 「
そうだよ、太陽ちゃんを騙したんだ。輝を裏切らせる為に賢治に命令されてね。輝が馬鹿みたいに引っかかるから」
 オスカーはそれ以上何も言わなかった。太陽が輝を問いただしていたからだ。どうして相談しなかったと、太陽が輝に怒鳴っていた。輝は泣くばっかりで返事もしない。涙が頬を濡らすばかり。
 二人はそのうちに仲直りしたのか抱き合って泣きじゃくっていた。その姿はいつもと何ら変わらないけど、でもいつもよりもずっと嬉しそうな顔をしていた。

 俺は二人からオスカーに目を戻した。オスカーが俺の腕を引っ張ったからだ。髪から滴り落ちた血が俺の手を汚した。懐かしい色に汚したんだ。
「サム、ごめんね」
 オスカーが急に泣き出しそうな顔で俺に囁いた。
「賢治に助けてもらった時、心臓に機械を埋め込まれちゃったんだ。スイッチを押されたら俺は死んじゃう。何度も何度も悲しい思いさせてごめんね、母さんには俺の事を言わないでね」
 オスカーはふらっと目を閉じるとそのまま床に倒れこんでしまった。流れ落ちた涙に俺は悲鳴を上げる。
 オスカーの肩を強く揺すぶって、目を開けてと泣き叫んだ。そのうち、俺は泣く事しか出来なくなってしまった。オスカーの服をべたべたにするまで、俺は泣きじゃくった。

 目を覚ますと、オスカーが俺を覗き込んでいた。耳には十字架のピアスを吊るしていて、昔と何ら変わらない、優しい笑顔で俺を見ていた。額には派手に白い包帯が巻かれていた。
「全く、サムの泣き虫はいい加減直したほうがいいと思うよ」
 俺は幽霊を見ているのかと思った。
 だって、オスカーはついさっき俺に遺言を残して死んじゃったじゃん。泣いたのは認めるけどさ、オスカーのせいだもん。泣いたのは。
 幽霊じゃないって教えてくれたのは太陽だった。オスカーの背中に飛びついて、きゃっきゃと笑っていたから。本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた太陽が、だ。
「オスカー、生きてるの?」
「うん、なんか電波が届かなかったみたい」
 太陽を軽々と抱き上げると、俺の足元に下ろした。いかにも子供の扱いは慣れてますってな感じの仕草で、俺はちょっとだけ笑った。
「むしろ、穏やかな眠りにつきたくてもつけなかったよ。サムがあれだけわんわん泣いてたら心臓が止まってても起き上がるって☆」
 俺はほっとして辺りを見回した。
 同じベッドの隅に小さくなって熟睡している輝がいた。ちゃんと手当てしてもらったのか、頬には湿布、耳にはガーゼ、目には相変わらずの眼帯をつけている。
 そしてその近くの椅子に零が座っている。とても優しい笑顔を浮かべて俺を見た。とても穏やかで優しい笑顔だった。
 足元の太陽は凄く嬉しそうな顔をしている。輝が帰ってきたから嬉しくて仕方が無いんだろう。じっとしていられないみたいで、一人で騒いでいる。
 オスカーが俺の隣りに腰を下ろした。
 こんがりと焼けた小麦色の肌が少し露出しすぎとも感じる白いシャツから覗いてる。見慣れたほくろと優しい視線は変わっていない。変わったって言えば、耳に特大のピアスを開けた事くらい。
 オスカーは突然俺をぎゅっと抱きしめた。悪くは思わなかった。久々にこうやって敵じゃない状態で会ったんだもん。懐かしいのと嬉しいのとで俺はオスカーを抱き返した。
「心配掛けてごめんね、もう絶対心配させないから」
 オスカーの言葉が凄く嬉しかった。もう二度と家には帰ってこないと思ってたんだもん。もう問題ない。帰ってきてくれた。
 俺はオスカーに尋ねた。
「聖女の流した涙がどうしたって謎はどうだったの?」
 オスカーは口を開こうとしたけど、結局何も言わなかった。オスカーよりも先に輝が言ったからだ。
「なあサム、重いんだけど」
 凄く不機嫌そうな声が聞こえて振り向くと、輝が腕を指差していた。あ、いつの間にか踏んでた?
「あの謎は百年戦争でフランス軍を勝利に導いたジャンヌ=ダルクの事を指してたんだ」
 輝は体を起こすと、俺とオスカーに向かって説明を始めた。
 簡単に言えば、ジャンヌ=ダルクの名声を嫉んだ貴族が身柄をイギリスへと引き渡した。最後まで神様が助けてくれると信じていたジャンヌ=ダルクが魔女として火あぶりになった時に流した涙を事を言っていたもので、宝じゃなく、その信仰心こそがキリスト教の大事な宝だって事だったらしい。
 賢治とオスカーにはデタラメを言って、何とか助けを待とうとしていたらしい。ま、確かにそんな事実を話したらブチ切れた賢治に処刑されるに間違いない。ジャンヌ=ダルクと同じように街中で縛られて火あぶりにされたっておかしくない。
 輝はそれを少し、静かに話した。本当に怖かったらしい。話している間、輝の手が少し震えていた。
 太陽が話し終えた輝の正面に座ってニコニコと笑った。
「輝の事だから、燃やされたくらいくらいで死ぬかよ」
「はあ? お前、本気にしてねぇだろっ」
 輝がかなりムキになっている。余程、命の危険を感じてたんだろうな。じゃなきゃ、あの輝が誘拐されてましたって程度で怖がったりしない。
 でも太陽は続けた。
「うん、してねぇ。少なくとも、サタナエルは自分の手を汚さない主義だからオスカーにやらせる筈だろ? オスカーには人を殺すほどの勇気はねぇもん」
 太陽の言葉にはかなりの説得力があった。確かにそうだもん。賢治が自分の手を汚すとは思えない。オスカーは輝を殺したり出来ない。だったら、どんなに拷問されたって殺される事はまず無い。
 太陽の言葉が当たっていたからか、オスカーが大笑いを始めた。いつまで経っても止まらないみたいだった。だから俺は大丈夫とオスカーを覗き込んだ。その瞬間だった。オイスカーが俺を輝の上に突き飛ばした。そして太陽を俺の上に乗せて押さえつけると
「いつまでも暗い話しない!」
と笑った。
 輝が苦しそうにもがいて俺と太陽を押しのけた。太陽が輝の背中に飛びついて大笑いをする。
 輝は心配していたのよりもずっと元気で、俺はびっくりしていた。だって、俺がずっと見ていた輝はどよ〜んと暗く、オスカーの後ろを付いて歩いている所だったから。
 ゆっくりとその輪から離れて、零のところまで行った。そして零に手を伸ばすとぎゅっと抱きしめて
「俺さ、今超幸せ」
とそう呟いた。
 太陽と輝がいつもと同じように大騒ぎして、オスカーがそんな二人とじゃれてる。俺がずっとずっと探していたモノが見つかった。戻ってきた。
 俺はもう大丈夫。
 そりゃ、悩んだりへこんだりするだろうけど、親友と弟が帰ってきた。怪我してたり、よく分からない機械が埋め込まれてたりするけど、二人は生きてるんだ。それって俺の人生の中でも大きな事。
 俺は笑って立ち上がると
「ねぇ、美味しいパスタ食べに行かない?」
と三人に声を掛けた。
 零がぎゅっと俺の手を握った。俺はその手を握り返して、ドアに向かって歩いてく。
「早くしないと置いてくよ」
 そして俺は部屋を出た。
 急に歌い始めた零にあわせて、俺も歌った。日本語で大声を張り上げて、オスカーが知らない歌を歌った。
「オレ達陽気なトレジャーハンター、どんな時も絆は固い♪」
凄いスピードで追ってきた太陽と輝が歌い始める。オスカーが大笑いをしながら走ってくる。
「どんな事ぉがあったってぇ〜、仲間と一緒なら乗り越えられるぅ〜☆」
 太陽が俺と零の肩を抱いて声を張り上げる。
オスカーが笑いながら輝と追ってくる。
 小さなホテルを出ると、太陽は急に立ち止まった。きれいに晴れ渡った空に向かって、太陽が澄み切った大声を張り上げる。さらっと揺れた金髪が陽の光りを受けてつやつやと輝いた。
 輝が太陽の足元に腰を下ろすと一緒になって歌いだす。俺はオスカーと零の手を引いて太陽の隣りに立った。
「無敵ぃのオレ達、スカイブルぅーのトレジャーハンタぁ〜さっ!!」
 歌い終えた太陽が大笑いをしながら輝を見た。輝は幸せそうに笑っていた。
 それから一時間くらい、俺達はずっとそこで歌っていた。太陽が人目を引くきれいな声でAvril LavigneやSkye Sweetnamを歌って、飛び入り参加で混ざってきたストリートミュージシャン達と輝がギターを弾く。辺りは凄い人で、俺と零とオスカーはいつしかその輪の中心で笑っていた。
 太陽の小さな背中がマトモに見られないくらいまぶしく感じた。一緒に歌って笑っていた輝が凄く楽しそうだった。
 オスカーと零の手をぎゅっと握って、俺は誓った。
 どんな事があったって、命に代えたってこの仲間を守り抜かなくちゃ。強くならなくちゃ。”HELL”がどんなに強い殺し屋を雇っても、絶対に誰も殺させやしない。守りきってみせる。
 だから神様、今まで信じた事も無い俺に少しだけ力を貸して下さい。この大事な親友達を守る力をつける努力をするから。だから俺を強くして下さい。
 俺は空を仰いで歌った。
 嬉しくて零れ落ちた涙を拭ったりしなかった。ただ、歌った。賛美歌なんてモノじゃないけど、でも願いがこもった歌を歌った。太陽と零とオスカーとそして輝の顔をみて歌ったんだ。
 俺は絶対に強くなって見せるって、心に誓って……。



Fine.



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