第七章 彼女の奏でるギター音色




それから二時間が経った頃、スウェルは多目的室と書かれた札の掛かった部屋でピアノを弾いて遊んでいた。二人でよく弾いた、ローズレッドの曲だ。題名は知らないけど、ラジオでよく流れているのを聞いて好きになった。テレビでは滅多に流していなかったけど、ラジオではよく流れていた。俺はその曲が大好きだった。
ジェーンがそのそばで楽しそうに騒音でしかないギターをめちゃくちゃ弾いて(いや、弾くじゃなくて鳴らして)いる。
ウィッシュとレオンはジェーンを完全に無視して、スウェルのピアノを黙って聞いていた。楽しそうに鍵盤を叩くスウェルの姿を見ると、やっぱり嬉しくなった。
今日一日、そんな感じでゆっくり過ぎて行くかなぁ? とそう思っていた時だった。突然、ジェーン以外の誰にも触れられない筈なのに、俺は背中を叩かれたのだ。
「ねぇ、あの子の事を知ってる?」
そう言ったのはアレックスにそっくりな女の人だった。
さらさらの長い金色の髪が凄く印象的だ。赤いロング丈のタンクトップに短めのスカート、膝上くらいの丈のショートパンツ、そしてなぜか裸足だった。大きな青い目はアレックスとよく似ていて、雰囲気だけが少し違った。柔かい、深めの声がとても心地いい。
「凄くピアノ上手い、羨ましいなぁ」
「アンタ、誰?」
「ルイズス、ローズレッドのギター兼ボーカルよ」
ルイズスは偉そうに胸を張ると、にっこりと笑った。
「嬉しいなぁ、わたしの曲を弾いてくれるなんて」
俺はそんなルイズスを黙って見つめて、動けなくなった。本物? 俺、ローズレッドの大ファンなんですけど……。アンタ呼ばわりしちゃったよ〜!!!!
ルイズスは俺を見つめると
「何よ、疑ってるの?」
と言って、膨れっ面で少し降下し俺の顔を覗き込む。
「少しだけ」
「ま、顔を出した事ないもんね」
そう言って優しい微笑みを浮かべたルイズスはスウェルのピアノを聞きながら、いきなり歌い始めた。それもかなりの本気を出して歌っているから、今まで聞いた中で一番よかったと間違いなく言える。
惜しかったのは、ギタリストとして有名な彼女のギターが聞けなかった事だ。残念な事に彼女はギターに触れる事も出来ないのだから仕方がない。
ローズレッドはオレの知っている限り、この地球で一番有名なバンドだ。(その次はずっと昔に流行ったっていうビートルズだ、今も有名)そのバンドが有名なのには理由がある。
まず、バンドのメンバーは決してジャケット写真や残っている映像に姿を残していない事だ。後ろ姿か、足下だけしか映っていないものばかり。そして、バンド自体はめちゃくちゃ有名なのに、なぜかアマチュアバンドだって事だ。だから今まで音楽データの入った記録メディアは大量生産された事がない。データのみがあちこちで流れているだけ、記録メディアにちゃんと記録された事がないらしい。
最後に、バンドはたったの三年で解散してしまったという事だ。理由は全く分からない。ある日突然バンドの活動は停止、そしてそのまま消えてしまった。
そんなバンドのギター兼ボーカルが、 巷で「歌姫」と呼ばれているルイズスが、どうして目の前で楽しそうに歌っているんだ? それも、妹分の演奏しているピアノに合わせて。残念な事に、その歌声が聞こえているのはジェーンと俺だけなんだけど。
突然ギターの音が止んだ。
ジェーンがルイズスをじっと見ながら、立ち尽くしている。見とれているのだろう、彼女(か、どうかは知らないが)の歌に、ギターに憧れて、騒音みたいにギターを弾きまくっているんだから。
「信じる気になった?」
俺は黙って頷いた。まさか、本物に会って生の歌声を聞けるなんて思っていなかった。生きていたら聞けなかった所だ。 ありとあらゆる人がその歌声にホレる筈だよな、こんなにきれいな声をしているんだから、 死んでいてよかったと俺は思った。
「どうして、此処に?」
「死んだからに決まってるでしょ?」
ルイズスはドアの向こうに目を向けた。
ドアの窓越しに、中のピアノの音色を黙って聞いているアレックスがいた。悲しそうな表情で、何も言わずにスウェルを見つめている。いや、スウェルじゃない。ピアノを見ているらしい。
「わたしが死んだから、アレックスは変になっちゃった」
悲しそうな顔でアレックスを見つめたルイズスは、それからすぐに俺に目を戻した。
「わたしの愚痴、少しでいいから聞いてくれない?」
俺はやっぱり黙って頷いただけだ。どうする事も出来ない気がしたんだ。憧れの人が、目の前で愚痴を聞いてくれなんて言う筈ないと思ったから。だから俺はほとんど放心状態で頷いただけだった。
ルイズスはその返事に満足したのか、悲しそうににこっと微笑むと語り始めた。

わたしは小さい頃からギターが大好きだった。音の出るものだったら何だって好きだったけど、やっぱりギターだけは何よりも好きだった。毎日ギターを抱えて歌っていた事を覚えている。
どうして好きだったのかというと、小さかった頃に父親に教えてもらったからだ。ギターが重くて手が届かなかった事を覚えている。優しく教えてくれた父が楽しそうに目の前で弾いてくれた子守唄が大好きだった。
「ルイズス、どんなにヘタでも気持ちが伝わればその騒音は音楽になるんだ。ヘタでも気にするな、気持ちを伝えられれば、それは音楽なんだから」
父はよくそんな事を言っていた。まるで口癖のように、自分に言い聞かせるかのように……。
幼かったわたしはその言葉の意味をよくは分かっていなかったけれど、いつも父が言っていたこの言葉をずっと覚えていた。
成長して、初めてその言葉の意味を知った時、歌に込めた気持ちを伝える為にはテクニックなんか要らないって事も、どんなに歌が上手くても気持ちがなければ誰にも見てもらえないって事も知った。その言葉の意味と重さを思い知った。
その言葉を口癖のように言っていた父は有名な音楽家だった。弦楽器の天才と呼ばれていたらしい。いつもギターを抱えて、これが一番好きなんだと弾いてくれた。わたしはそのギターの音色が何よりも一番好きだった。
弟のアレックスが生まれた時、わたしは八歳だった。
初めて抱かせてもらった時、凄く嬉しかった事を覚えている。でも、その翌日には弟とわたしは見知らぬ男に両親から買ったんだと聞かされた。
結局、役に立たないからと、わたしとアレックスは孤児院に連れて行かれた。其処のラジオで父が、わたしとアレックスを探していると泣きながら訴えているのを聞いた。
わたしは孤児院の先生にそれを言うべきなのか考えていた。でも、きっとバカにされるのがオチだろうと、結局心の隅に隠していた。
アレックスもそれは知らない。ただ、わたしだけが知っている秘密だ。本当はもっと大きくなってから伝えようと思っていたのだけれど、伝える前にわたしが死んでしまった。
孤児院に居た時、わたしは先生達が弾くピアノを勝手に拝借して弾きまくっていた。毎日音の鳴る楽器に囲まれていたわたしには静寂が耐えられなかったのだ。時折奏でる先生のピアノはヘタクソすぎて聞いているのが嫌になるのも多かったし……。
だからわたしは弾いた。先生達がぎょっとした顔でわたしを見ているのも観客に見たてて、嬉しそうに隣りに座っているアレックスに弾いた。先生達がピアノを弾く事はなくなった。わたしが代わりに弾いたから。
よたよたと頼りなく歩いている弟に、わたしはピアノを叩き込んだ。歩く事よりもピアノが上手かったアレックスはわたしの自慢の弟だった。
そんなある日の事だった。
弱いもの虐めをしている年上の子供を殴り飛ばしたわたしを見たブラックがわたしを『ブラックスピリッツの暗殺者』として雇いたいと言い出した。わたしは其処にギターもピアノもちゃんとあると聞いて、すぐに飛びついた。
その時、わたしは九歳だった。
わたしはブラックスピリッツでの暮らしが大好きだった。戦争中だったけど、年上の暗殺者達は皆滅多な事じゃ死なない強い人達だったし、ギターなんか自分用をもらえちゃったから嬉しかった。
其処で、わたしは同じ年のロンと会った。
ロンはいろんな楽器がとても上手で、わたしの目の前でベースを弾いてくれた。あの時はびっくりした。あんなに上手くベースを弾く人、初めて見たから。
彼はとても長いオレンジ色の髪を三つ編みにして、黒の眼鏡を掛けていた。白いタートルネックのセーターがとても良く似合っていて、背は高く、大人びた口調でいつも話をしていた。でも音楽にだけはいつも一生懸命で、毎日練習をしていた。
わたしとロンはすぐに仲良くなった。そしてバンドを組んだ。二人だけでいつもセッションしながら、歌って、ときどき誰かに見せたりして、とても好きだった。
父の言葉の本当に意味を知ったのもこの頃だった。
ロンがわたしに
「ルイズスはもっと心をこめて歌わなくちゃ」
とそう言った時だ。わたしはそれから歌う曲全てに心をこめて歌うようになった。
それから何年も経って、わたしは十六歳になった。
その間に何人も人を殺したし、いろんな事に傷つく事もあったけど、わたしは強くありたいとそう願った。誰にも負けない、どんな事があっても挫けない、そんな人間になろうって決めたし、限りなくその願いに近い心を持てるようになったと思う。
その頃、アレックスがギターを触りたいとかうるさく言うようになって、わたしはギターを誰にも触らせないようになった。きっと弾けるだろうっていう確信はあった。いつか、弾いて欲しいなぁとは思っていた。だけど無理強いはしたくなかったし、壊されるのが怖かったし触らせなかった。
そんなある日の事だった。わたしはアレックスケンカをした。
小さな事だった。どっちがバニラアイスを食べるかっていう事だった。ロンに譲ってやれよと言われながら、わたしはバニラアイスを選んだのだ。あきらめの悪いアレックスに
「馬鹿、アンタなんかにあげる筈ないでしょ?」
と言って、泣かせた。
「姉さんの馬鹿、大嫌いだ」
 その調子でわたしとアレックスはケンカをしたのだ。結局私が勝ったけど。
その日の午後、アレックスは顔見知りの楽器屋に行くと言って出掛けた。わたしは膨れっ面で出て行ったアレックスに少し腹を立てながら、アイスぐらい姉に譲るべきでしょ? とか怒りながらいつもと同じようにギターをかき鳴らしていた。
バンドが勝手に有名になり、よくプロになるように誘われたけど、わたしは暗殺者だから人前で歌を歌う事は出来ない。だからあきらめていた。ロンは気にしなくていいって言うけど、わたしはどうしてもなりたかった。
一度でいい、人が見ている前で大きな舞台に立てたら、大声を張り上げて歌えたら、ギターを弾けたらって、何度も思った。
周りも足を止めてわたしの曲を聞いてくれるようになった。精一杯努力して作った曲を気に入ったと言ってくれて、嬉しかった。
だから腹が立ったらとにかくギター、悲しい事があったらとにかくギター、いい事があってもギター。そんな毎日だった。ロンが隣りで楽しそうにベースを弾いていてくれる時はもっと嬉しかった。
でも、その時は腹が立っていた事も、ギターを弾いていた事も全て忘れた。
突然、侵入者が入って来て、わたしに向かって銃を向けたのだ。
大きな銃声が響き、放り出したギターがレーザー光を浴びて真っ二つになるのを見た。近くでロンが隠してあった銃を握り、引き金を引いた。それからもう一丁同じ銃をわたしに向かって投げ渡した。
わたしは即座に安全装置を外すと弾を装填し、迷わず引き金を引いた。銃声と一緒に辺りは血の色に染まった。硝煙の匂いと、血の匂い、苦しそうな呻き声。わたしはその呻き声のする方向に銃を向け、撃った。
その後すぐだった。
仲間が人質に取られて、わたしは銃を投げ捨てた。
殺される事くらい分かっていた。でも、歌えないのなら死んだ方がいいとも思った。すぐ隣りでわたしの手をそっと握ったロンが悲しそうな顔をしながら、真っ直ぐ前を見つめていた。
わたしは暗殺者に撃たれた。胸が苦しくなって、押さえた両手が自分の血で真っ赤に染まったのを見た。隣りでわたしにむかって笑ったロンの手も真っ赤だった。
でもそれでいいと思った。どうせ生きていたって、わたしは人を殺すしかない。夢も叶わないまま、生きて、つらい思いしたって仕方がないじゃない。そう、思ったの。ただ、アレックスに謝りたかったなぁと思った。
わたしは歌った。
これで最後になるのかなぁ? と思いながら、わたしは歌った。死ぬのが怖かったからかもしれない。理由は自分でも良く分からない。ただ、自分の父親の歌ってくれた子守唄を歌った。
気が遠くなり出した頃、目の前にアレックスが顔を出した。泣いていた。手を握って、死なないでと言っているのが聞こえたけど、わたしは歌い続けた。ふと隣りに目をやると、先に逝ってしまったらしいロンが微笑みながら目を閉じていた。
わたしは死んだ。
気がつくと宙に浮かびながら自分の死体を見つめていた。それに縋るように泣いているアレックスにわたしは胸が苦しくなった。ロンはその場にいなかった。
そうか、わたしはいわゆる成仏が出来ないのか。でも目の前でアレックスは泣いている。慰めたくてもわたしの声は届かないし、触れる事も出来ない。アレックスに見えてもいない。それが悲しかった。

「……わたし、どうしてこんなに無力なのかな? 強くなりたかったのに、いつまで経ってもわたしは弱いまま」
ルイズスは悲しそうな笑いを漏らし、少し俯いた。頬に涙が流れている。ぽたぽたとそれが床に零れ落ちるが、床に落ちる前に消えてしまった。
「弱くないと思う」
俺は静かに言った。彼女は少し顔を上げて
「そうかな?」
と呟く。俺はそんな彼女に向かってはっきりと
「人間なんだから、傷つく事くらい誰だってある筈だ。涙を流す事だって、あって当然です」
と言った。
ルイズスは笑った。濡れた頬を手の甲で乱暴に拭って
「そうだね」
と笑った。本当に彼女は強いんだなぁと思った。ブラウン達が言っていた“強い”の意味が何となくだけど分かったような気がした。












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