第五章 彼女の想い





スウェルは狭い自分の部屋のベッドの上で泣いていた。
枕に顔を埋めて、押し殺した嗚咽が部屋に響いている。電気も消えたまま、カーテンも閉められままの部屋は暗く、廊下からは足音と楽しそうな話し声だけが入ってくる。それ以外の音は何も入って来ない。
「……兄貴っ」
スウェルはそう言って、顔を上げた。頬がぐっしょりと濡れていた。ぎゅっと爪をたてて抱きしめた枕に縋るように
「どうしてあたしは馬鹿なのかな? 兄貴の話、ちゃんと聞いていれば、兄貴は死ななかったのに……」
と消えそうな声が部屋に響いた。
俺はスウェルのそばで囁いた。
「スウェルは馬鹿じゃない、俺があんな事言ったのが悪いんだから」
でもスウェルには聞こえない。こんなに近くにいるのに、スウェルは俺の存在に気がついてくれない。
スウェルは泣いた。
頬を伝う涙を拭おうと伸ばした手は触れる事が出来ずにドアを通り抜ける時のようにスウェルを通り抜けてしまった。スウェルはそれでも俺に気がつかない。
俺は黙ってスウェルを見つめていた、スウェルはそのうち何も言わなくなった。殺しきれなくなった嗚咽が部屋にこだましている。スウェルしかいない筈の部屋には、二つの嗚咽が響いていた。

その日の午後、スウェルとレオンは暇そうに食堂で話をしているだけでつまらなかった。だから俺はブラックスピリッツの中をうろうろする事にした。
今日はウィッシュの後ろに立っていた幽霊に話を聞いてみようかなぁとか思いながら、俺は廊下を行き来する人の上を飛んでいた。
ウィッシュはジェーンと一緒に自分の部屋の中に居た。ちょうどその部屋のドアの前に幽霊がぼうっとしながら立っていたからすぐに分かった。
何となく気になったから部屋の中で何をしているのか、何となく覗き見すると、二人は泣きながら抱き合っていた。つらい事でもあったらしい。どちらも寂しかったと言うよりは悲しくて泣いているように見えた。
ジェラルドが部屋の隅で少し悲しそうな顔をしながらそんな二人を眺めている。きっと、弟が彼女を作るまでに成長して嬉しいのと何となく寂しいのとあるんだろうと察し、俺は何も言わずに部屋を出た。
俺も壁をすり抜ける嫌な感覚にも慣れて来て、躊躇う事なくドアや壁をすり抜けて行くようになった。生きていた時よりもずっと、便利だなぁと思う。でも、やっぱり生きていた頃の自分に戻りたい。
俺はドアの前で止まった。
ウィッシュの母親って女の人が足下をただじっと見つめている。死んでいるけど、死んだとは思えないほどいきいきしている幽霊もいるのに、どうして彼女だけまさに死人って感じなんだろう。
「あの〜」
俺はそっと声を掛けた。悪霊みたいにも見えるから、俺は少し怖くなった。ウィッシュの母親は気にする様子も無く少し顔を上げて、俺の顔をじっと見つめる。悲しそうな目をしていた。
「どうしたんですか?」
「ウィッシュにした事を後悔していて、成仏出来ないのよ」
 悲しそうな低い声で彼女は言った。
「何をしたんですか?」
「あの娘を捨てたのよ」
「どうして?」
「戦争で生きていけなくなったからよ」
ウィッシュの母親はそれだけ言うと悲しそうに遠くを見つめた。何処を見ているのかと俺は辺りを見ましたけど、壁以外は何も無かった。何も見ていないのか、それとも俺には見えない何かを見ているのか、俺には良く分からなかった。
「聞かせてくれますか?」
「ええ、いろんな人に知ってもらわないといけない事だから」
そして彼女はゆっくりと話を始めた。

私は幼かった頃、母親に捨てられた。
理由は知らないけれど、経済的な理由で育てられなくなったと聞いた。本当なのか、嘘なのかも分からない。でも、それでも良いと思った。私なりに孤児院で幸せに暮らしていたから。
ある時、孤児院で知り合った仲間が私を好きになった。私も仲間を好きになった。それだけだった。ただ、普通に仲良く暮らして、子供が出来て、凄く幸せな普通の暮らしだった。
私は生まれる子にウィッシュと名付けた。あの子が幸せになれるようにと願いを込めて付けたの。父親はその名前をとても気に入ってくれて、まだお腹の中にいたあの子をとても可愛がってくれた。
私は自分が仲間達とあの娘の父親にしてもらったのと同じように、あの子の事をとても大切に育てようと決めた。母親に優しくしてもらえなかった分、ウィッシュに優しく接しようと。優しい子に育つようにと。
でもウィッシュが生まれる少し前の事だった。
私と一緒に暮らしていたウィッシュの父親が戦争にかり出される事になった。
皆知っていると思うけど、ゲートの向こう側のヘブンは平和だった分、科学技術が進歩して兵士もロボットだった。戦車もヘルのものとは全く違う、とても破壊力のあるものだった。
ヘルは第三次世界大戦会戦からとても平和とは言えなかったから科学技術の進歩には遅れをとっていた。そのうえ、ヘブン側の特殊部隊ブラックスピリッツが虐殺に近いような行為を繰り返していたから、ヘル側の軍はほとんど全滅した。
人類は何度も戦争をしてきて戦争がどんなものか分かっている筈だったのに、同じ事を繰り返した。昔は平和の塔とか立てて、戦争は駄目だって教育していたのに、笑わせるわ。結局、歴史は繰り返し、少しの領土の事で勝てもしない戦争に挑んだ。
そして政府はヘルにいる全ての戦える男を無理矢理、軍隊を作る為と徴兵した。あの子の父親も仲間達も連れて行かれて『ブラックスピリッツの暗殺者』に殺されたと、ウィッシュが生まれて少し経った頃に政府から届いた手紙に書かれていた。
とても悲しかった。
私を大事にしてくれた人達がどんどん死んで行く。誰も戻って来ない。戦争が本当に憎くて、どうしてそんなちっぽけな事で人々を苦しめる事が出来るのか、分からなかった。
だってそうでしょ? 政府の人達も戦争の事くらい知っている筈なのに。目の前で何人もの人間が死んで行くのを見ていた筈じゃない。
それから何年後かには父親がいなくなった事で私とウィッシュは餓え死ぬ事が決まった。幼かったウィッシュにはその事をどうしても告げられなかった。あの子はまだ父親が何処かで生きていると思っていて、純粋にその帰りを待っていたから。
私は餓え死ぬ事に何も思わなかった。
あの子の父親が好きだったのもあるし、あの子が生まれるまでは生きていても仕方が無いと思う事ばかりだったから。
でもウィッシュが餓え死ぬのは嫌だった。身勝手だと思うかもしれないけど、私はあの子にだけは死んで欲しくなかった。だからって、私が死んでしまえば彼女もいずれ死んでしまう。
悩みに悩んだ末、二年の間はあの子に優しく接して育てた。父親がいなくても悲しくないようにと精一杯育てた。
あの子はとても素直なポジティブな子になった。
元気で、いつも周りを明るくさせるそんな子に育った。私の願った通り毎日がとても幸せだと、そう言ってくれた時は嬉しかった。
そして決意した。あの子を孤児院に引き渡そうと。
だから私は彼女に冷たく接した。私が母親にされたように、無視して、冷たくして、私が嫌いになった頃に孤児院に捨てた。ウィッシュはまだ三歳だった。
そうしなければあの子は死んでしまうと言い聞かせて、私は必死だった。つらかったけど、それが彼女の為だって言い聞かせた。あの子の泣き声を耐えながら、私は無視を続けた。
ウィッシュと最後に話をした時、あの子はとても悲しそうな顔をしていた。私はそれを見ている事が出来なくて泣いてしまった。あの子の肩を抱き寄せて、父親や仲間が死んでから初めて泣いた。
でもやっぱりあの子は置いていかなくちゃ、あの子は死んでしまう事になると私は心を鬼にした。
結局それで正解だったのかもしれない。
その後すぐ、私は盗賊に家を荒らされて食べ物を全て奪われた。
少しの貯金も全て奪われて、すぐに餓え死んだ。あの時、あの子を孤児院に任せてよかったと、心から思った。ウィッシュが生きていてくれるのなら、私はどうでも良いと思った。
そして死んだ。
私は死んでから初めてウィッシュがどうしているのかを知った。あの子を預けた孤児院であの子はジェーンと仲良くなった。
私はそんな二人が幸せそうにしているのをそっと見守った。あの子が心配で成仏出来なかったのもあるのだけど、あの子はジェーンと居る時、とても幸せそうに笑っていたから。あの子がとても幸せそうに笑っていたから、私も嬉しかった。
でもその後すぐだった。
二人は『ブラックスピリッツの暗殺者』として働く事になった。孤児院を尋ねて来たアレックスが二人を見て、引き取りたいと言い出したの。
でも私には見守っている事しか出来なかった。どれだけ言いたい事があっても、私は死人、二人は子供、お互い無力だったから。
ウィッシュは自分の父親が『ブラックスピリッツの暗殺者』に殺された事も知らずに暗殺者として生きている。母親に虐待を受けた記憶と父親を亡くした事だけを知って生きている。
私はそんなウィッシュに酷い事をしてしまったと後悔をしている。虐待なんかしなくても、上手くウィッシュを説得する事くらい出来た筈だから。だから私はウィッシュを見守っているの。

彼女は黙り込むと少し笑った。悲しそうな笑い方だった。相変わらず何処を見ているのか分からないけど、壁を見つめている訳じゃないって事は何となく分かった。
「皮肉ね、父親を殺した組織で娘が幸せに暮らしているなんて」
俺は何も言えなくて黙った。
「あなたはスウェルちゃんに殺されたんだって? ブラウンとジェラルドから聞いたわ」
「はい」
「スウェルちゃん、強いから大丈夫よ」
彼女はそう言って笑うと俺の顔を見た。優しそうな微笑みだった。









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