第三章 明るい彼の影の部分




スウェルはレオンという札の掛かった部屋の隣りの部屋にいた。 其処は白い壁紙の何も無い部屋だった。ベッドと机とライトスタンドがあるだけで、ポスターも飾りも何も無かった。ただ、スウェルがぽつんと部屋の真ん中に座り込んで泣いている。
誰かが部屋に入ってきた。
黄緑色の長い髪の男だ。半袖の大きい白いTシャツにダボダボのズボン、首には長めの鎖のペンダントを吊るしている。ペンダントの飾りは深緑の丸い石だ。ズボンにつけている鎖が歩く度にじゃらじゃらと音を立てる。背はかなり高く、痩せている。肌は白いが、かなり筋肉質(とはいえムキムキマッチョって訳でもない)でかなりカッコいい体つきをしている。
ただ、どう見てもチャラチャラしていて、兄貴としてスウェルには近寄らないで欲しいタイプの男だ。いかにも不良ですって感じのカッコに見える。
俺は奴がスウェルにずんずん近寄って行くのを見ながら、俺のスウェルに近寄るな、獣!! と一人で勝手に騒いでいた。当然ながら、スウェルの耳にも男の耳にもその声は届いていない。
「スウェル、大丈夫か?」
奴はそう言ってスウェルの前にしゃがむと、優しく人差し指で涙を拭った。
コイツ、スウェルを誑かそうなんて思ってねぇだろうな? 俺はそう重い、近くに寄って男の顔をじっと見つめる。
「ジェーン、あたし……」
「誰でも最初はつらいよ」
 ジェーンと呼ばれた男はそう言って、スウェルの隣りに座った。服装の割には結構大人しそうな仕草で、顔に掛かった髪を耳に掛けた。
大きな青い目と一瞬だけ目が合った。すぐにジェーンは目を逸らしたが、なんか見えていないフリをしているようにも見える。気のせいなのかと思ったけど、時々こっちをちらちらと見ているから、本当は見えているのかもしれない。まあ、気のせいだと思うけど。
「オレも始めは悪夢見たし、つらかったし、いろいろ大変だった」
「ジェーンが?」
「何だよ、変か?」
スウェルは少し不思議そうな顔をしながら、そっとジェーンに凭れた。おいやめろ、スウェル〜!!! と俺は一人金切り声をあげた。
ジェーンはその瞬間ふっとスウェルから離れるように体の位置をずらし、そっとスウェルの顔を見つめた。それから俺を真っ直ぐ見上げてにやりと嫌らしく笑うと、俯いていたスウェルを抱き寄せて
「愚痴ならオレが聞くから、泣きたい時は肩を貸すから、一人で泣くのはやめろよ」
と囁くように言った。(そしてその言葉とは裏腹に、にやりとまた笑って俺にウィンクを飛ばした)
俺は悲鳴を上げてジェーンの髪を引っ掴むとしくしく泣いているスウェルを無視して思いっきり引っ張った。なぜかその髪は掴めて引っ張る事が出来た。そうか、コイツには霊感とか何とかいうのがあるのかと勝手に判断し、俺はにやりと笑い返した。
「いっ……!」
ジェーンが痛そうに顔をしかめるのを見て、俺はガッツポーズで喜んでいた。よくも俺の可愛いスウェルを抱きしめたな、許さん!! とまた髪を引っ張って
「スウェルから離れろ」
とドスの利いた声で囁いた。
ジェーンは黙って腕の中のスウェルを見てから、無茶言うなよって顔で俺をじっと見つめた。スウェルから離れる気はあるらしい。
スウェルはジェーンの背中に腕を回してぎゅっとしがみつくようにしている。肩にべったりと顔をくっつけていて、白いTシャツをぐっと握り締めている。
ジェーンにはどうする事も出来そうにない。俺が此処でいくら髪を引っ張ろうが、スウェルが放そうとしない限り、無理だってたった今気がついた。
仕方がないから大人しく、座るとジェーンの顔をじっと見つめて
「お前、俺が見えるのか?」
と尋ねた。ジェーンは黙ってこくんと一回頷いた。
スウェルが嗚咽を上げて、愚痴を言っているのを黙って聞いているジェーンは意外と優しそうだった。嫌な顔一つしなかったが、俺を見て何処か行けよって目で訴えていた。
「俺は何処にも行かん。スウェルにそれ以上妙な事するなよ」
ジェーンは黙って頷いて、スウェルの背中をぽんぽんと叩いた。
「大丈夫、スウェルの兄貴は怒ってないから」
スウェルの愚痴を全く聞いてなかったが、どうやら俺の事らしい。俺が殺した事で、スウェルは傷ついて泣いているのだろう。俺なんかの事、気にしなくてよかったのにと思わず呟いた。
ジェーンは俺に向かって笑った。スウェルは俯いて、ジェーンの背中に腕を回したままでいる。少し落ち着いたようで、黙って目を閉じている。ジェーンは黙ってそんなスウェルの背中をそっと撫でた。
スウェルは顔を上げてジェーンの顔を見た。頬が涙でぐっしょりと濡れていた。
「本当にそう思う?」
「ちゃんと最後に謝れてほっとしたと思うぜ、オレがスウェルの事を抱きしめてる事の方が嫌だと思うな」
その通りだ、ジェーン。とっととスウェルから離れて部屋に帰れ!! 呪うぞ、呪い方なんか知らないけど……。
「そうかな?」
そうだ、スウェル。早くそんな男から離れろ。兄貴はそんな男、許さないからな。そんなチャラいのと付き合ったら呪い殺すぞ、その男。
「そうだって、本当に怒ってたら何で殺したんだぁ〜!とかって幽霊になって追いかけまわされると思うよ」
ジェーンはそう上手く言い聞かせてにっこりと笑ってから、スウェルを引っ張ってシャワー室って書いている部屋まで連れて行って
「今日はもう風呂入って寝ろよ、疲れただろ?」
とさわやかに笑って、スウェルが中に入って行くのを見届けた。それから俺の腕を掴んだ。結構な力だったから、少し痛かった。
ジェーンは真っ直ぐ人の多い廊下を早歩きでずんずん進み、一度角を曲がってジェーンと書かれた札の下がった部屋に入った。俺の腕を掴んでいるようで掴んでいないように見える、不思議な掴み方をしながら、ジェーンは凄まじい勢いで部屋に駆け込んだ。
部屋はかなりきれいに片付けられていた。全体的に黒っぽい物で統一されていて、ベッドの近くには真っ赤なエレキギターが飾ってあった。机の前の壁には大きな聞いた事の無いバンドのポスターが張ってあった。
部屋の作りはスウェルの部屋と同じだったけど、置かれている物で何となくジェーンの性格が分かった。多分、派手なカッコしているけど、本当はかなり優しくて、几帳面な性格なんだろう。机の上もきれいに片付けられている。
「いい加減にしろよ、とっとと成仏しろ!」
 突然ジェーンが凄い勢いで怒鳴った。外に聞こえたら変な奴に見えるんじゃないかと思いながら、俺はジェーンの胸倉を掴み
「おいおい、目上の人にどういう口の聞き方をするんだよ」
とドスの効いた低い声で囁いた。
「そっちこそ、大人だったらガキみたいに髪を引っ張るのはやめろよ」
「お前が俺のスウェルに抱きつくからだろ!!」
「泣いてる子を放っておけってのかよ?」
 ジェーンは少し怒った顔で俺の腕を簡単に振り払うと、顔を背けた。俺より小さいクセに、結構な力だ。やっぱり暗殺者なんだなぁと何となく思った。
「いきなり抱きつかなくたって良いだろ?」
「オレにはそれ以外にどうして良いか分からなかったんだよ」 ジェーンはむすっとした顔でベッドに座ると少し悲しそうな顔をした。大きな青い目が少し潤んでいて、つらそうに口唇を噛む。何か、人に言えないような悩みでもあるのか? この男。もしかして、便秘?
「オレには何も言えないのに……」
そう呟いたジェーンは、何も言わずにベッドに倒れ込むと枕をかぶって
「もうオレの前に出てくんな、オバケ!!」
と言ってから動かなくなった。
ちょっと可哀想な事を言ったのかな? と思いながら、俺は大人しく部屋を出て行った。会いに行く気は大有りだったけど。

スウェルはそれからしばらくしてすぐに部屋に戻って来てベッドに倒れるとすぐに眠ってしまった。ほっとしながら俺はスウェルのベッドに腰掛けた。(とはいえ座れないから浮いている)
しばらく今日あった事を思い出しながら、もうスウェルと話をする事はできないのかなぁ? と思いながら何の柄も無い小さな壁掛け時計(たった今ある事に気がついた)を見た。時計は十一時を差している。いつもだったらとっくの昔に寝ている時間だ。
誰もが眠ったのだろう。部屋の外も中も、しんと静まり返っている。廊下の灯りが消えて、辺りを照らすものは何もなくなってしまった。
暗闇の中でスウェルが一人、泣いていた。悪夢を見ているのだろうか? 分からないけど、でも眠りながら泣いていた。時折、苦しそうな嗚咽を上げている。
俺はどうする事も出来ずにその場に座ったまま、スウェルの髪をそっと撫でようと手を伸ばした。でもその手はスウェルの髪に触れる事も出来ない。
「ゴメンな、何も出来なくて」
俺はそう小さく呟いた。

翌朝、スウェルはいつもの日課だとか言って、大きなホールみたいな部屋のきっちり調律されたピアノを弾いていた。その隣りで嬉しそうにジェーンがはしゃいでいる。スウェルが幸せそうに笑っていたから、ジェーンがそばにいる事には目を瞑る事にして、少し離れた所から黙って見ていた。
ジェーンは相当、音楽に詳しいらしい。俺とはちょっと趣味が違う(俺はロックバンドが好きだから)けど、有名なバンドはもちろん、最新の音楽から古いもの、何でも良く知っていた。
俺は何となく二人の会話を聞きながら、ふと辺りを見回した。
すぐ近くに別の幽霊らしき人が立って嬉しそうに会話に耳を傾けている。ジェーンにそっくりな男だった。髪の色とか、背格好とか、どれを見てもそっくりだ。ただ、視線がジェーンよりも柔らかいような気がする。そして何となくだったけど、幽霊暮らしを気に入っているようだった。
「あ、昨日ジェーンとケンカしてた人?」
ジェーンにそっくりな男はにっこりと笑って俺に近寄って来た。やっぱり、ジェーンと見分けがつかない。
「アンタ、誰?」
「ジェラルド、ジェーンの兄だよ♪」
ジェラルドはにっこりと笑った。歳はジェーンと同じくらい。白いTシャツにダボダボしたズボン、違う所といえば身長くらいだ。ジェラルドはかなり背が高い。ジェーンでも高い方の筈なのに。
俺は初めて自分より背の高い奴を見たような気がする。今まで誰よりも背が高かったのになぁと思いながら、ジェラルドをじっと見つめた。
ジェラルドはにこっと微笑んで
「来たばっかりの時のスウェルちゃんは凄かったんだよ、ジェーンに銃を向けて大騒ぎするし……」
と嬉しそうに語る。
 無邪気な優しい笑顔を浮かべて、ジェラルドは激しく力説しているが、聞いているのが嫌になって来たから、聞くのをやめた。スウェルが暴れて凄い騒ぎを起こした事は分かった。
コイツ、ジェーンが心配だったとか、そんな事全く思ってないないのか? 俺は少しジェーンに同情していた。こんな人でなしの幽霊に付きまとわれるなんてつらいだろうなぁと思った。
「でも、スウェルは強いから大丈夫だよ。心配するだけ無駄だよ」
 しばらくすると、ジェラルドは俺から目を逸らして、少し悲しそうな顔をした。何を考えているのかはよく分からなかったけど、ジェーンの事を気にしているようだ。
「昨日から気になってたんだけど、もしかしてなんか嫌な思い出でもあるのか?」
「まぁね」
「せっかくだから、聞いても良いか?」
「ジェーンには秘密にしてくれる?」
「ああ」
 ジェラルドは少し笑って、部屋を出た。部屋の前のドア越しに、ジェラルドはジェーンを覗き見た。それから深くい深呼吸をして、ジェラルドは語り始めた。

あの日、ジェーンは珍しく晴れたゲート・オブ・ヘルの空を見上げて幸せそうに笑っていた。孤児院の錆び付いたジャングルジムの上で、灰色の雲を目で追いかけながら、空高くをじっと見上げていた。キラキラと輝く瞳はどんなものよりもキラキラと輝いているように見えた。
オレはそんなジェーンの隣りで壊れかけた小さなハーモニカを吹いていた。オレとジェーンを孤児院に捨てた母親からのたった一つのプレゼントだったそれは、元々古く、音が出にくかった。元は金色だったらしいが錆び付いて茶色く変色してはいたけど、一部がまだ金色に輝いていた。
オレはそれをよくジェーンに吹いていた。音楽が好きだったし、何より遊ぶ物がこれしかなかったからいつも吹いていた。そのうち上達して、一度聞けば何となく弾けるようになってからは毎日遊んでいた。
その日も、いつもと同じようにジェーンが嬉しそうな顔で、ハーモニカを聞いてくれていた。孤児院の先生や他の子も、ハーモニカの音色に耳を傾けて辺りはしんとしていた。風が吹き抜けて行く音だけが聞こえた。

オレは最後の音まで弾き切ると、嬉しそうに笑った弟の顔を見た。ジェーンはキラキラと眩しい笑顔を俺に向けて、幸せそうに笑っていた。
やっとちゃんとした言葉で話をするようになったジェーンは歯もちゃんと生えそろっていない時に捨てられた。オレはその時十二歳で母親に押し付けられ、ジェーンの世話はほとんど全部オレがしていた。だから弟が可愛くて仕方がなかった。何より、ずっと欲しかった弟だったから凄く嬉しかった。
孤児院に入ってから四年経って、ジェーンはオレの事をお兄ちゃんと呼んでついて歩くようになった。本当に嬉しくて、オレはいつもジェーンと一緒にいた。
まだ少しよろよろしていてすぐにこけるジェーンからオレは目を放さず
「降りようか」
と囁いた。
ジェーンは満足そうに頷いて、一人でさっさと降りて行った。オレはジェーンを追ってゆっくりと降りると、待っていたジェーンをそっと抱き上げた。
もう少ししたら、オレは孤児院を出て行かなくちゃいけない。ジェーンを連れて行きたいが、きっとマトモな職業なんか無くて餓え死ぬのだろう。ジェーンまで巻き込みたくはない。
「お兄ちゃん、鬼ごっこしよっ」
何も知らないジェーンは嬉しそうに笑った。ジェーンはいつも無邪気な笑顔を辺りに振りまき、いろんな人に可愛がられた。だから寂しい思いをする事は無いだろう。でもきっと、オレが一人で孤児院を出ていったら心から悲しむだろう。
今だけでも、ジェーンと遊んでいよう。
そう思いながらオレはジェーンをそっと抱きしめて、広場に向かって歩き始めた。途中
「オレも歩く」
と言ったジェーンをそっと降ろし、小さい手をそっと引いた。とても嬉しそうにオレにくっついて歩いていたジェーンを見ながら、オレはふと足を止めた。
広場には孤児院の門の向こうにある大きい道路を渡らないといけない。でもその道路には大量の地雷が埋めてあって(しかも戦車用)、よく其処で死亡者が出ている。
戦争って、この前までのヘルとヘブンの戦争ではないらしい。随分昔にあった第三次世界大戦のものだ。第一次と二次世界大戦の時に埋められた旧型の地雷は全て撤去されたが、第三次の地雷は今も埋められたままになっている。
そんな所、出来れば渡りたくはなかった。でも、其処渡らなかったら何処にも遊ぶ場所なんか無い。ひょいひょいと地雷を跨いで何人かのガキが向こう側へ渡っていく。ジェーンがその後ろを追おうと走ろうとするから手を引っ張って、オレは慎重に其処を渡って行く。
あと少しで向こう側って時だった。ジェーンが突然走り出した。ジェーンよりも少し年上のガキが走ってオレ達を追い越したのだ。
「おい、待て」
オレの言葉を聞かず、ジェーンは残りの五メートルほどを半分走って渡った。そしてすぐだった。ジェーンのいこうとする方向にぴょっこりと出た地雷のセンサーが見えたのだ。
「ジェーン!」
オレは大急ぎでジェーンに追いつき、ジェーンを前に突き飛ばした。何とかジェーンは地雷を踏まなかった。思いっきりこけて膝を擦りむいたみたいだったが無事だった。
でもその後すぐ、オレは何も感じなくなった。一瞬大きな音を聞き、目が眩むほどの光りに包まれ、そして何も感じなくなったのだ。
次に目を覚ました時、オレは死んでいた。ふわふわと宙に浮いていて、目の前でジェーンが泣いているのが見えた。
ジェーンの足下には血肉の塊のような物が散らばっている。真っ赤な液体に濡れていて、少し鉄くさい匂いがする。少し考えてから、それが自分の体だったものだと気がついた。
ジェーンは全身血塗れだった。涙が頬に飛んだ血と混じって、ジェーンの頬を深紅に染めた。それを拭う手も真っ赤に染まっていた。
「お兄ちゃん」
ジェーンは顔を上げて、オレをじっと見つめていた。
どうしてジェーンにオレが見えるんだろう? オレは死んだ筈なのに……。ジェーンはオバケが見えるとか、そんな事を今まで言った事がなかったのに……。
「ジェーン?」
「お兄ちゃん」
 ジェーンは泣きじゃくりながら、いつもと同じようにオレに抱きついた。地面に足を付ける事も出来ないのに、ジェーンに抱きつかれる事は出来る。
 
ジェラルドは其処で話をやめた。
ドアを開けて、ニコニコと笑っているジェーンが立っている。幸せそうな顔でスウェルの手を引いている。スウェルに近寄るなって言おうかとも思ったけど、ジェーンがそれなりに悩んでいる所を知ってしまったから何も言えなかった。
「兄貴、何やってんだよ」
「見守ってるんだよ」
ジェラルドは笑った。
後ろに立っているスウェルが不思議そうに
「誰と話をしてるの?」
と顔を覗かせたけど、スウェルにはオレもジェラルドも見えてはいない。一瞬俺と目があったけど、気がつかない様子ですぐにジェーンに視線を戻してしまった。
「ううん、何でも無い」
ジェーンはそう笑ってから、オレとジェラルドに向かって小さく手を振ってその場を離れて行った。
「じゃ、オレは行くよ」
ジェラルドは笑って俺の肩を叩くとジェーンを追って行ってしまった。俺はまた黙ってそんなジェラルドの背中をまた黙って見送った。















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