第一章 ゲート・オブ・ヘルの何でも屋 




その日の朝、いつもと同じように目を覚まし、いつもと同じように隣りのベッドで熟睡中のスウェルを起こし、いつもと同じように朝ご飯を作って二人で食べた。
仲間がだんだん集まってくるのを二人で待ちながら、ジュークボックスの電源を入れた。流れてくるのは“ローズレッド”というバンドの曲だった。
何らいつもと変わらぬ朝だった。静かで、平和だった。とてもおいしいとは言えない朝食でもおいしく感じた。汚い音しか出ないジュークボックスから流れる音楽に耳を傾けながら、二人でたわいのない会話をし、楽しいなぁと二人で笑った。
スウェルは朝食の食器を片付けると、部屋の一番隅に飾ったままになっているピアノの前に腰掛けた。調律もしていない、外れた音しか出ないピアノだったが、スウェルは楽しそうに鍵盤を叩いていた。
それに合わせて、俺はギターを弾いた。そんなに上手くはないが、二人で時折セッションするのには困らない。集まってきた仲間がそれを聞いて楽しそうに笑っているのが、少し嬉しかった。
そんな時だった。弾き終わってすぐに店に駆け込んできた仲間がギターを持ったままの俺を引きずって、奥の狭い部屋に入った。奴は少し汗をかいていて、俺の腕を掴んでいる手はじっとりと濡れていた。
振り向いた奴の焦げ茶色の長いポニーテールが目の前でゆらゆらと揺れている。ごわごわした髪質なのが見ただけで分かった。そんなごわごわの前髪の下から覗く、大きなエメラルド色の瞳が、恐ろしいほど俺をじっと見つめていた。
「どうかしたのか?」
俺はおそるおそるそう尋ねた。
「兄貴、キルの奴が借金して逃げたんですよ」
 奴はかなり切羽詰まった様子で、俺に向かって早口で言った。確かに焦るわな、キルの借金ってかなり凄かったからなぁ。
でもすぐに俺も焦った。(あくまでものんびりとだけど) キルの借金の保証人は俺がなってやったんじゃなかったか? 必ず自分で返すとか言っておきながら、結局逃げやがったのか? しかも、“ベルモット”には借金を返せるほどの金はない。どうするんだ、ヴァル?
「兄貴、どうするんですか?」
目の前で、仲間は心配そうな顔をする。本当に心から心配しているのか、焦りが目に現れていた。額に光る汗が頬を伝ってアゴの下に流れていった。涙のようにも見えなくもない。
俺は少し考えたが、何にも思いつかなかった。俺の少ない脳味噌を振り絞って考えた。でもやっぱり出てくるのはスウェルの事をどうしようって事だけだった。
「どうしよう……」
結局そうとしか言えず、俺は普段の何倍もずっしりと重く感じるギターを持ち直し小さくため息をついた。
「金貸しはスウェルを引き渡すっていうなら、借金をチャラにしてもいいっていったらしいですよ」
奴はそう言って、少し目を逸らした。言っちゃマズかったかなぁ? と若干、後悔しているようにも見えた。俺がスウェルの事にだけはムキになるって事を、コイツが身をもって知っているからだろう。何度となく、俺はスウェルの事で暴れたからな。(笑)
「ヤだぞ、誰にもスウェルはやらないからな」
「じゃあどうするんですか?」
「分からん」
俺は壁にギターをそっと立てかけて、奴を見た。
奴は何でそんなにのんびりしていられるんだって顔で、俺をじっと見つめて突っ立っている。誰でもそう思うか。俺が死ねば奴らは職が無くなる。この不景気だから、雇ってくれる所なんてまずないだろう。事実、暗殺者や殺し屋だけが儲かっている。それでも就職難だから、余程の腕がない限り誰も雇ってはくれないだろう。
「兄貴、Mに殺されても良いんですか?」
「良くないけど、スウェルを取られるくらいならその方がいい」
金貸しのMは相当な利息で、どんな奴にも金を貸す事で有名なゲート・オブ・ヘルの金貸しだ。俺の知っている限り、利息は確か十日で一割だった筈。
確か、キルの借金は五千ドルで、俺がハンコを押してから一週間経った事を考えるとその借金は今とんでもない額になっているんじゃ……。まあ、ゲートの向こう側の高級住宅地、ゲート・オブ・ヘブンとだと価値観が全く違うからたいした額ではないかもしれないが、貧しいスラム街の何でも屋がそんな大金を持っている筈がない。
でも、スウェルが幸せになれさえすれば、死んだっていいか。そう思えるほど、俺はスウェルが好きだった。本当の家族みたいに思っていたんだろうなと思う。おかしな事かもしれないけど、ちょっと可愛い顔をしたスウェルが兄貴と呼んでくれる事が嬉しくて仕方がなかったんだよ。
奴は冷たい視線を俺に向けて
「兄貴が死んだら、スウェルはどうするんですか? どの道Mが引き取る事になるのに、わざわざ兄貴が死ぬ必要があるんですか?」
と吐き捨てるように言った。いつものんびりした奴の言葉とは思えないほどを鋭く、はっきりした声だった。心から俺を心配しているとような言い方ではなかった。
「兄貴は馬鹿だ。スウェルだってMの所に行けば此処よりも良い生活が出来るし、きっと幸せな筈じゃねぇか」
「でも、それならスウェルの意見も……」
「スウェルが言ったくらいで聞く筈ないだろ? 兄貴がびしっと言わないと」
俺は何も言えなくなった。確かにスウェルにとってはその方がいいのかもしれない。始めは嫌かもしれないけど、なれれば何だって出来るし餓える事もない。毎日風呂に入れるだろうし、スウェルの為にもその方がいいのかもしれない。
「スウェル、本当に幸せになれるのか?」
「何でも屋をやってるよりは、ずっといいに決まってる」
そう言った仲間はにっこりと笑ってドアに向かっていった。茶色のドアノブに手を掛けている。部屋にある作り付けの小さなクローゼットの取っ手と同じ色だ。
「それなら、スウェルを渡そう」
俺は少し俯いて言った。
足下の白の分厚いカーペットをじっと見つめながら、これでいいんだと自分に言い聞かせようと必死で努力するが、心
の何処かでスウェルを一人でMの所に行かせるのが嫌で嫌で仕方がなかった。
どうしても、自分の手でスウェルを見守ってやりたかったんだよ。兄貴として出来る限りの事をしてやりたいって、誰だって思うだろ?
その時だった、ドアの向こうでがたっと大きな物音がした。何か重い物に当たったような、そんな感じの音だった。そのあと、乾いた靴音が聞こえた。ブーツのがちゃがちゃコツコツという音じゃない。
今現在“ベルモット”にいる人間の中でブーツじゃないのは俺とスウェルだけだ。おそろいのサンダルをいつも履いている。
そう、よりによってスウェルに聞かれてしまったのだ。あんな会話を。本当はスウェルが嫌がるんだったら仲間を説得して、自分が保険金を掛けて死んでやろうと思っていた。だからスウェルが勘違いして家出するのが正直怖かった。
俺は急いでドアを開けて、離れて行く背中に向かって叫んだ。
「スウェル!」
金色の巻き毛が揺れている。やっぱりスウェルだった。薄いピンク色のTシャツに白地に赤チェックのミニスカートだ。耳には俺があげた小さな薔薇のピアスが光っている。サンダルがぱたぱたと音を立ててだんだん遠離って行く。
「スウェル、待てよ」
スウェルは待たなかった。かなりのスピードで“ベルモット”を飛び出した。本当に同じサンダルを履いているのかと疑いたくなるほど速かったから、結局追いつけなかった。
「そのうち帰ってくるって、行く所なんかないんだから」
ドアの前で立ち尽くしている俺の後ろで誰かがそう言って笑っている。とても嬉しそうで、少し冷たい嫌な感じがした。
俺はむっとした。
俺がスウェルの事を可愛がっているのが気に入らないのか、それとも女の子だからって舐めてやがるのか。どちらにしろ、俺の可愛い妹分に酷い事を言っているのは確かだ。
俺は乱暴にドアを閉めると、下水の匂いが漂うゲート・オブ・ヘルの薄暗いスラム街に向かって駆け出した。スウェルが消えた、薄暗い路地裏に向かって……。

其処はホームレスの腐った死体と血を纏ったネズミしかいない静かな場所だった。どんな音も建物に吸い込まれ、自分の足音すら響きはしない。アスファルトで舗装されてはいるがあちこちひび割れ今にも陥没しそうだった。 化学物質で出来ていてあちこちに古くなった血が飛んだ建物が並ぶ。そんな場所の地面を叩く俺のサンダルの音も建物に吸い込まれた。
「スウェル」
 そう叫ぶ声すら、建物が吸い込んで行く。
スウェルはこういう場所が凄く嫌いだった筈だけど、スウェルの行く場所は此処しかない。スウェルはゲート・オブ・ヘルの中でも孤児院のあった場所とこのスラム街の裏路地しか知らない。他の場所に出れば、スウェルには生きる術さえ分からない筈だ。
なぜなら、“ベルモット”のあるスラム街は通称「殺人街」で、人殺しや殺し屋、暗殺者や何でも屋といった裏の世界の人間しかいない場所だからだ。スウェルはその「殺人街」で生きる術しか知らない。この「殺人街」の外に広がる臓器売買の街や奴隷の街で、スウェルは生きる事が出来ない。スウェルは人を殺す事しか知らないのだから。
「スウェル、何処にいるんだよ」
そう叫びながら、俺はつくづく思った。
スウェルは人を殺す方法だけ誰よりもよく知っているし、誰よりもそれを上手に実践する事が出来るだろう。でも、実際にそれをした事がないのだ。いつ、どういったタイミングで行動すれば良いのかを知らないのだ。スウェルには何も出来ない。気の狂った殺人鬼を追い払う事くらいしか、スウェルには出来ないのだ。
全く、どうして俺はスウェルにあの会話を聞かれたんだろう。今頃、本当だったら仲良く昼ご飯を食べている筈なのに。スウェルが自由を誰よりも好んでいた事、誰よりも知っていた筈だったのに。
「スウェル、何処だ?」
俺は静かなスラム街の裏路地を叫びながら歩いた。
似たり寄ったりの景色が広がり、分厚い灰色の雲に覆われた空からはぽつぽつと漆黒の雨が降り始めた。それはゆっくりと、でも確実に地面に染みを増やして行く。
そんな中、スウェルは“ベルモット”からかなり離れた場所の門のある家の前に座り込んでいた。古びた大きな屋根付きの門がスウェル座っている場所を雨水から防いでいた。ひび割れた人工セメントの土台が今にも崩れそうで怖かった。
スウェルはその下で膝を抱えて俯いていて、時折目をごしごしとこすっているのが遠目からでも分かった。顔を上げて空を見上げたスウェルの頬はぐっしょりと濡れていた。
やっぱり、スウェルを傷つけてしまった。スウェルが一番信用してくれていた俺が、スウェルを裏切ったんだと思って泣いているんだろう。本当にスウェルはMの所にもらわれていくのが幸せなのか? 逃げ出して泣いているのに、そんな事、絶対にないと思うだろ? 今更だけど、やっぱりそう思った。
「スウェル」
俺はそっとスウェルの前にしゃがんだ。謝ろう、謝って二人で“ベルモット”に戻って、ゆっくり昼ご飯を食べよう。いつもと同じように寝る前にピアノを弾いて、二人で今日あった事を話して、明日目が覚めたらおはようと声を掛けるんだ。
「あっちいってよ、あたしはもう戻らない」
スウェルはそう言って俺を突き飛ばすとまた猛スピードで走って逃げてしまった。金色の髪を乱して、凄い勢いで逃げて行く。
しりもちをついて(ケツを雨水でびしょ濡れにして)、顔を上げた時にはスウェルは闇の中に溶け込んでいて、何処にも見あたらなかった。追いかけても無駄だろう。もう結構な歳の俺には、スウェルを追いかけるほどの元気はないのだから。
俺は仕方がないからゆっくりと歩いて“ベルモット”に戻るとズボンを履き替え大きなマグカップにコーヒーを並々と注ぎ、外のドアの前に腰を下ろした。いつまででも、俺は此処でスウェルの帰りを待つつもりだった。スウェルよりも先にMが来るかもしれなかったが、それでも俺は此処で待つ事にした。
戻って来てくれるだろうか、戻って来てくれなくてもいい、一言ゴメンと伝えたかった。本当はスウェルにずっと“ベルモット”にいて欲しかったんだ。
そして、俺はその場で一晩中待った。冷たい外気に凍えながら、次第に重くなってくる瞼を閉じまいと必死で座っていた。
“ベルモット”から自分達の住んでいる場所に帰ろうと出て行く連中に何度も
「兄貴、あきらめて中に入った方が良いですよ」
と言われた。その度に俺は
「戻って来なくても待つ、あきらめない」
と言って、黙って座っていた。
哀れむような目で俺を見ながら、奴らは帰って行った。それを見送りうとうとしながら、俺は真っ直ぐと伸びる小さな路地裏をじっと睨み続けていた。
結局、スウェルは帰って来なかった。路地裏を見つめ続けて、スウェルが出て来ないかとずっと待っていた。でも誰も姿を現さなかった。
俺はいつの間にか眠っていたらしい。目を覚ますと其処には仲間が三人立っていて、やれやれといった表情で俺を見つめていた。
「兄貴、スウェルは帰ってきたんですか?」
俺の正面に立っていた男が言った。
古い軍用ブーツに擦り切れたGパンのカッコで、白いタンクトップにドッグタグを首から下げている。黒いゴムのサイレンサーがついた銀色のタグが一つ、サイレンサーの無い分厚い銀色のタグが一つの計二つだ。肩には十字架の刺青がある。髪は薄汚れた茶色だ。
「いや、まだだ」
「兄貴、もう戻って来ないですよ」
 その男の右隣りに立っていた痩せた男が呆れた顔で俺を見つめていた。笑うなら笑えよと、俺は小さく呟き、またじっと路地裏に目を凝らした。
「きっと戻ってくる」
「兄貴、寝た方がいい。酷い顔していますよ」
今度は左隣りの男が俺を立ち上がらせようと腕を引っ張った。
「中に入りましょう」
「嫌だ、此処で待つ」
「中で待ちましょう」
「嫌だ」
他の二人もそれを手伝おうと俺に手を差し出した。俺はその手を振り払ったが、朝飯も食ってないしほとんど寝ていなかったから(普段は九時に寝る健康的な生活をしているから、若干寝不足だったんだ)ふらふらして、結局三人に引きずられてすぐ、客用の大きなソファーに寝かされた。
心配で仕方がなかったが、自分でも知らないうちに疲れていたのだろうか。横になって、ふと目を閉じると疲れがどっと押し寄せて、結局そのまま眠ってしまったのだ。
でもそれから何時間も眠ってはいなかった。ほんの二十分ほどだろうか、すぐ近くにある筈の時計を探して手を伸ばしたが結局何も掴めなかった。
「アンタがベルモットのヴァルか?」
スウェルと同じくらいの歳のガキだった。背は低く、水色のTシャツに何十年も前に作られた拳銃を持っていた。栗色のすとんとしたショートカットでアゴより少し下くらいの位置で切りそろえられた髪が揺れている。この辺じゃあまり見ない黄色人種で、少し黄色っぽいきれいな肌をしていた。耳朶では大きめの金色のピアスが天井の小さな蛍光灯の光りを反射していた。
一瞬蛍光灯に目が眩んで何も見えなくなったが、額に冷たい銃口を押し当てられているのを感じた。
「誰だよ? 見たら分かるだろ、寝起きなんだけど」
「でも仕事だから」
奴は優しい口調でそう言うと、俺に起きるように言った。まだ眠かった俺は起き上がると大きく伸びをして、大あくびをした。とりあえず現状を把握しようと必死になって辺りを見回す。
奴は部屋の隅に固まった何人もいる何でも屋の連中に向かって、俺にしたように危険な鋭い瞳と冷たい銃口を向けていたらしい、誰一人としてガキに近寄らなかった。ガキとは思えないような殺気を感じ、俺は完全に目を覚ました。
今にも銃を抜きそうな仲間に銃を向けて
「それ、捨てて」
とのんびりした口調で言った。でも瞳はのんびりなんて感じられない、怪しい輝きを放っていた。動きには無駄がなく、かなり手慣れていた。小さいガキなのに一人で何人もの何でも屋を威圧している。
その辺の殺し屋の人間とはちょっと違うらしい。コイツならゲート・オブ・ヘルで一番腕のいい暗殺者“テグシール”とでも互角にやり合うだろう。スウェルと同じ、いかにもって感じの才能を感じる。
俺はゆっくりとガキの後ろに目をやった。茶色の巻き毛の女の子が視界の隅に入った。手には小さな銃が握られている。彼女は俯いていたが、ゆっくりと顔を上げると怯えた目を俺に向けた。間違いない、スウェルだ。
「スウェル、帰ってきてくれたのか?」
かなり場違いな発言だって事は分かっていたが、スウェルがじりじりと後退るのを見て出かけた言葉を押し留めた。“ゴメン”、それが言いたかっただけなのに……。
「スウェルには干渉するな」
「一言だけ、言いたい」
「何も言うな」
俺はあきらめて、そのガキを見つめた。スウェル、こんなに近くにいるのに謝れない兄貴を許してくれ。そうは思いながらも、スウェルがどうして茶髪なのか不思議で仕方がなかった。それに、髪を切ったような気もする。
「俺を殺しにきたのか?」
「いいや、出来れば生きたまま連れて帰る」
「そうか、殺して欲しかったな」
俺は黙って辺りをゆっくりと見回した。
誰も一言もしゃべらない。スウェルは黙って泣き出しそうな顔をする。目の前で仲間に銃を向けるガキは冷たく鋭い殺気を放っている。仲間達は怯えたような目をガキに向け、壁に背中を押し当てている。
「殺しても良いけど、オレは無駄な殺しが嫌いなんだ」
ガキのくせに、殺し慣れているような話し方をする。多分、奴は本当に殺し慣れているのだろう。そうでなくちゃあんな平然とした顔で銃を握って、何でも屋の人間を威圧出来る筈がない。今までに俺や仲間達の殺めた人間の何倍もその手で殺めて生きてきたのだろう。そうしなくちゃ生きていけないという世界で生きる、そういうガキなんだろう。
「スウェル、この人を連れて外に出て」
ガキは真っ直ぐ俺を見つめて言った。悲しそうな、冷たい目をしていた。好きで殺しをやっているのではないのだろう。毎日悪夢に魘されているらしい。目の下にははっきりと隈ができていた。
「いや、今すぐこの場で俺だけ殺せ」
「そうはいかない」
「お前、“ブラックスピリッツの暗殺者”だろう? それくらい出来るだろう? この場から武器が無くたって出て行けるんだから」
“ブラックスピリッツの暗殺者”、それは俺がこの世界で一番嫌いな組織だ。
命令されれば家族であろうがブッ殺し、戦争にかり出されれば何人でも殺す。そんな暗殺者のガキばっかりを働かせている政府の組織がブラックスピリッツ、巷じゃ“ブラックスピリッツの暗殺者”と呼ばれている。
スウェル、まさか暗殺者になったんじゃないだろうな? 兄貴は大反対だぞ、そんなの。暗殺者がどういう物なのか、誰よりもよく知っている筈なのに……。
「オレは出来てもスウェルは無理だ」
 奴は落ち着いた口調でそう言うと、オレの腕を引っ張り建物の出入り口に向かって歩き始めた。後ろ向きに真っ直ぐ、しっかりと歩いている。
「スウェル、建物を出るんだ」
スウェルは何も言わずに黙って立っている。聞こえているのかも分からないほど、何も言わずぴくりとも動かずただじっとしている。怯えたような目を何処でもない何処かに向けている。
俺は何も抵抗しなかった。抵抗する気もなかった。大人しくスウェルのそばに立って
「お前ら、撃つなよ」

と言ってガキの腕とスウェルの腕を掴んでドアに向かった。
 そうした方が良い、スウェルに面と向かってゴメンと一言謝れたら、すぐにでも死んで良い。
二人が建物から出ようとした瞬間だった。
誰かがレーザー銃を握り、引き金を引いていた。俺の髪をかすめて、レーザーが飛び交う。ジュッと嫌な音がし、焦げ臭い匂いが髪から立ちのぼる。髪がぱらぱらと床に落ちているのを見て、俺は頭に手をやった。
背の低いガキが俺とスウェルの腕を掴んでしゃがませると、近くにあった机を倒して盾にした。
「アンタの仲間っていう事を聞かないんだね」
そう一言ガキは呟き、銃を握り締めた。
「あの馬鹿どもっ」
俺は小さく呟き、隣りで泣き出しそうな顔をしているスウェルを見た。
思ったよりも元気そうな感じがした。顔色も良かったし、少し悲しそうに見えるけど、ガキの事をそれなりに信用しているのが分かった。じゃなきゃ、わざわざ裏切り者の俺のいる“ベルモット”まで来ないだろう。
ガキは黙って銃を撃ち始めた。かなり上手い。百発百中で面白いぐらい命中している。仲間達のほとんどは手足を撃たれていたが、命に関わるような傷ではなかった。ガキが本当に人殺しを避けたいのだと分かった。
そのうち、銃声は止んだ。仲間のうめき声があちこちから聞こえてくる。辺りには仲間の血と空の薬莢が落ちているだけだった。見慣れた部屋は変わり果てた姿となり、壁紙も床も絨毯も深紅の血に染まっていた。
「殺さないって言ったの、嘘です」
ガキはいきなりそう言って、俺の額にまた銃口を押し付けた。まだ硝煙の匂いが残っている。少し熱い銃口を眉の間に感じながら
「そりゃ良かった、さっさとやるといい」
とガキに向かって言った。
 少し離れた場所で痛みに悶えている仲間が足を押さえながら泣いるのが聞こえる。スウェルがつらそうに顔を歪めるのが視界の隅に入った。
「レオン」
スウェルが銃を抜いて囁くように言った。何処かひんやりとした、冷たい空気が流れている。スウェルの殺気だろうか。少し違うような気がする。
「あたしがやる」
「スウェル、やめた方が……」
ガキが止めるのも聞かず、スウェルは俺が教えた通り銃を持ち上げ、真っ直ぐ心臓に向ける。足を軽く曲げて、両手で銃を支える。獲物から目を離す事も無い。
安全装置を外す乾いた音が辺りに響き、引き金に指を掛けたスウェルの目が真っ直ぐ俺に向けられる。ゆっくりと落ち着いて照準を合わせ、目の前にいるこの俺を練習の時と同じ腐った林檎に見立てて、引き金を引けばそれでいい。
俺が教えた通り、スウェルは引き金を引いた。
大きな銃声が部屋に響き、胸から溢れ出す血と激痛に耐えようと努力はする。込み上げてくる何かを吐くと、血が流れ出し、倒れた床は深紅に染まる。
俺は最後に笑うとスウェルを見た。
「ゴメンな、あんな事言って」
擦れた声でそう、何とか伝える事が出来て俺は満足だった。ちゃんと聞き取れなかったかもしれなかったけど、少なくとも“ゴメン”の一言がちゃんと伝わったのは確かだった。
俺はゆっくりと目を閉じた。冷たい床を感じながら、体中を濡らす自分の血の海に沈んだ。急速に体が冷たくなって行くのを感じる。誰かが泣きながら肩を揺すっているのも感じたけど、俺は構う事なく目を閉じた。
何処かでキルが
「“ジェネシス”、お前にはまた会いに行く」
とか意味の分からない事を言っているのが聞こえた。でもそれもじきに聞こえなくなった。
すぐに俺は闇に包まれた。何も感じない、無重力のふよふよと浮かぶ感覚だけが手足に残る。冷たくなった手は暖まらなかった。もう二度と、暖まる事は無いだろう。それだけは確かな事だ。自分は死んだのだ。スウェルの手によって、殺されたのだ。

……そして今に至る。








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