第十一章 本当の幸せ




翌朝、スウェルはベッドで横になってはいたが、目はぱっちりと開いていた。一晩中この状態で、時々寝返りをうつ程度しか動いていない。
俺はずっとスウェルのそばにいたんだけど、スウェルはやっと口を開いた。
「兄貴は本当にあたしの事で怒ってないのかな?」
それから起き上がり、天井をじっと見つめた。
「レオンはどうしてあたしを守ってくれたのかなぁ?」
俺は何も言わなかった。伝えたかったけど、俺には何も言えない。何も出来ない。生きている人と死んでいる人には大きな違いがあると、何度も思い知った。
でも、それでも伝えたかった。ただ一言、俺は怒っていないから幸せになってくれって。その願いが叶わない事も分かっていた。
あのジェーンに頼んだ所で、スウェルに伝えてくれるとは思えない。
「めんどくさい」
とか、
「オレは兄貴以外のオバケの相手はしない」
とか言われるのがオチだろう。もし伝えてくれたとしても、スウェルは信じてくれないかもしれない。
「オレ、ヴァルって名乗ってるオバケに伝えて欲しいって言われたんだ」
「ジェーン、大丈夫? 熱でもあるんじゃない?」
とか、そんな事になりかねない。きっと、それが嫌でジェーンも頷かないんだと思うし……。
スウェルは枕を抱きしめた。顔を枕に埋めて、何を考えているのだろうか。声が届けばスウェルにいろんな事を言ってやれるのに。慰めたり、悩みを聞いてやったり、いろんな事が出来るのに……。
茶色の巻き毛は寝癖ではねている。顔を上げたスウェルは少し赤い顔をしていた。恥ずかしい事でも考えているのか? もしかして、三日前から便秘とか? まあ、そんな事はないだろうけど。
あの頃よりも可愛く大人っぽくなったスウェルを見ながら、俺はため息をついた。生きていた頃も、スウェルに何もしてやれなかったけど、死んだ今はもっと何も出来ない。目の前でスウェルが泣いているのに、慰めの言葉は届かない。抱きしめようと伸ばした手は触れられない。
俺は部屋を出た。隣りの部屋は人でいっぱいだった。一時は血を流し過ぎて意識がほとんどなかったレオンも今は元気に復活し、ベッドで大人しくしている。
ジェーンがウィッシュの事を延々とレオンに聞かせている、俺だったらほとんど聞かないだろうけど、レオンは黙って聞いている。
「ウィッシュがキスしたんだぜ!! おはようのチュ〜!!」
「よかったな」
素直にそう喜んでやるレオンを黙って見つめながら、俺はドアの近くで漂っているジェラルドに声を掛けた。
「よっ」
「おっ♪」
にこっと笑って、ジェラルドは俺を見つめた。
「成仏、しないのか?」
俺はジェラルドに尋ねた。
「まあね、オレはジェーンが悩んだり、落ち込んだり、怒ったりした時にそばにいてやる為に現世に留まってるんだ。まだまだ成仏するのは早いよ」
 ジェラルドは笑った。悲しそうな、嬉しそうな、少し不思議な笑い声だった。顔はにっこりと笑っていたんだけど。
「そっか、ウィッシュとジェーンをそっとしといてやろうっていうのは無しか?」
「本当はそうした方がいいんだけど、突然消えたらジェーンが泣くだろ?」
心配そうにジェーンを見たジェラルドは、ずっと遠くを見ているようだった。すぐ其処にいるジェーンを見ている筈なのに……。
ジェーンは笑ってウィッシュとキスした事について力説している。それを笑いながら聞いているレオンの声が部屋に響く。
同じ部屋で笑いながら肩を並べているセシルとウィニットとグレイは凄く仲が良さそうだった。ドアから顔を出してそんな様子を見ているアレックスは少し楽しそうだった。一緒にいる銀髪の女の人に笑いかけて、部屋を離れて行った。その二人の後ろを楽しそうに追いかけるルイズスの姿もあった。
「そうかぁ? 今のジェーンにはウィッシュがついているから大丈夫だと思うけど」
「本当はもう何の心配もないんだ。ウィッシュがジェーンの事を本当に好きで、ずっと一緒にいて、ジェーンは幸せそうに笑ってる。ただ、別れる時にジェーンが泣くのは見たくない」
ジェラルドは囁くような口調で言った。悲しそうな、低いトーンの声だった。
俺は黙ってそんなジェラルドに向かって笑った。
「ジェーンなら大丈夫。必ず立ち直るだろうから」
「そうだな、成仏、しようかな?」
ジェラルドは笑った。
優しい声が聞こえてくる。
「なぁ、スウェルに伝えたい事があるんだけど、どうしたらいい?」
「簡単だよ、ジェーンに頼んで体を貸してもらえばいい」
「はあ?」
「ジェーン、よくそういう事をやってるから慣れてる」
ジェラルドは俺の肩を叩いた。
「でも本当はそういうやり方って良くないから、気をつけて」
そう、囁いたジェラルドは少し楽しそうだった。 それから
ジェラルドは部屋を出て行った。
部屋の中は相変わらずざわつき、うるさいほどに笑いが溢れている。その場にいないウィッシュの分も笑っているジェーンはいつもの何倍も明るく笑っていた。
それを見て思った。
人を殺す事はとてもつらい事の筈なのに『ブラックスピリッツの暗殺者』は誰一人として、それに押しつぶされたりはしない。必ず誰かが手を差し出して、元気付ける。だから皆明るく笑えるんだろうな。そんな仲間だから、スウェルは変われたんだろうな。
俺はジェーンを黙って眺めていた。

午後、俺はジェーンが一人で部屋にこもっているのを見て
「なぁ」
と声を掛けた。
ウィッシュの事が相当好きなんだろう、幸せそうに微笑みながら俺を見たジェーンはめちゃくちゃご機嫌だった。兄貴以外のオバケは嫌だったんじゃなかったのかと思ったけど、黙っていた。
「何?」
ご機嫌のジェーンはコンポの電源をいれて振り向いた。ラジオではローズレッドの曲が流れていたらしい。いろんな人を虜にする、ルイズスの歌声が流れていた。
「スウェルに伝えて欲しい事があるんだけど」
「無茶言うなよ、スウェルが信じてくれる筈ねぇだろ?」
「だから来たんだよ」

すると、ドアが開いて、スウェルが部屋に入って来た。俺は黙ってスウェルのそばに寄った。
「スウェル、どうかしたのか?」
「あのね、相談……なんだけど」
「オレに? ウィッシュの方がよくないか?」
「ううん、ジェーンの意見が聞きたいの」
スウェルはそう言って、ジェーンのそばに座った。恥ずかしそうな顔で座っている。ほんのりと赤い顔を見て、もしかして、まだジェーンの事をあきらめてなかったのかなぁ? と急に心配になって来た。
ジェーンはその辺にあった座布団をスウェルに差し出すと
「オレの意見でいいなら何でも訊けよ、何でも答えるから」
にっこりと笑った。それからコンポの音量を一気に下げて、ほとんど聞こえないくらいの音量にした。
「どうしたんだよ、真っ赤だぜ?」
躊躇いもせず、ジェーンはスウェルの頬を触った。ますます真っ赤になったスウェルに、ジェーンは不思議そうな顔をする。
俺は何も言わずに見ている事にした。ジェーンの髪の毛をまた引っ張っても良いけど、スウェルが自分で望むのであれば、ジェーンにはっきりフラれた方がいいだろうし、本当に好きじゃないジェーンに無理矢理彼女になってもらったって、スウェルは幸せになんかなれない。だから、今回ばっかりは黙って見ている事にしようと思った。
スウェルはもじもじしながら
「好きな人が出来たんだけど」
と切り出した。茶色の巻き毛が顔を隠して、真っ赤な頬だけしか見えない。でも、それだけ見ている限り、ジェーンよりも好きな人が出来たらしい。その相手がボブでなかったらいいんだけど。
 とにかくそれは誰だ!! と俺は身を乗り出し、スウェルを見つめた。ジェーンはにこっと笑って
「誰だよ、それ」
とスウェルをじっと見つめた。
「れ……」
「スウェル〜!!! 俺より好きな奴って誰だ? ジェーンじゃないなら誰だぁ〜!!」
外で聞いていたらしい、ボブとその仲間が部屋に入って来て、ジェーンを完全に無視してスウェルに向かって怒鳴る。どうやら、スウェルの事を尾行しているらしい。やっている事は完全なるストーカーだが、もう何度か同じような事をしているらしい。誰も追求しない。
「お前ら、何処か行けよ。スウェルはオレに相談してるんだから」
ジェーンはそう言って、スウェルをそっと抱き寄せると少し冷たい視線を向ける。部屋の外でスウェル達と同じくらいの年の子供が二、三人騒ぎを聞きつけて見に来たようだったが、ウィッシュに追い払われた。
スウェルは恥ずかしそうにジェーンにくっついていたが
「駄目! ジェーンに抱きついていいのはあたしだけ〜!!!」
とウィッシュに振り払われた。
「ウィッシュ、ボブ、部屋から出て行けよ」
ジェーンはウィッシュの手をそっと握って、優しい口調で言った。
「嫌」
「スウェルと大事な話の最中……」
「あたしも一緒に聞く♪」
スウェルは黙ってウィッシュを見つめた。
「ウィッシュにも聞きたかったからいいんだけど……ボブにはちょっと」
 そう言ったのを聞いた瞬間、ウィッシュとジェーンは立ち上がり、ボブを部屋から追い出してドアにしっかりと鍵を掛けた。それからドアの近くにあるボタンを一つ押した。
「よし、これで外には何にも聞こえないから」
優しく笑ったジェーンに向かって、スウェルは嬉しそうににこっと微笑んだ。それにしても、スウェルはどうして始めからウィッシュに相談しなかったんだろう、ウィッシュだったら女の子だし、いろいろと話しやすいと思うんだけどなぁ。
「あたし、好きな人が出来たの」
スウェルは少し赤い顔でそう言って、二人を真っ直ぐ見つめた。“ベルモットの何でも屋”だった時とは違う、強い意思を秘めた強い眼差しだった。
「誰?」
「レオン……」
ウィッシュがスウェルの肩を叩いて
「本当に? 嬉しい〜!!!」
とにっこり笑った。
「えっ、どうして?」
「だって、レオンはもっと前から好きだったんだよ。あたし、ずっと応援してたんだから♪」
ウィッシュはスウェル肩をぎゅっと抱きしめて
「よかった、本当によかったぁ〜!!」
と嬉しそうに笑った。スウェルの肩をぽんぽんと叩いて、ジェーンも笑った。
「あたしね、レオンだったら絶対スウェルの事を大切にしてくれると思ったから応援してたの」
「オレも、レオンがそんな事言ってたから応援してたんだから!」
何で俺に教えないんだよ、と思いながら、俺は黙ってスウェルを見ていた。
「本当に? 本当に好きって言ってた?」
スウェルは嬉しそうにウィッシュとジェーンを見つめた。
「言ってた、言ってた」
そう言って笑った二人に、スウェルは黙って抱きついた。顔を見合わせて笑った二人を見ながら、俺は黙って部屋を出た。
娘が嫁いで行く日のお父さんの気持ちになった。スウェルはただの妹分で、俺が可愛がっていただけなのに。不思議なものだなぁと思った。
俺がどうしてスウェルを拾ったのか、それさえも忘れかけていたけどきっとスウェルに一目惚れしたんだろうな。あの日、泣いていたスウェルを抱きしめて連れて帰ってから、お腹いっぱいパンを食べて笑ったスウェルの笑顔が嬉しくて面倒を見ていたんだから。
それを思うと、スウェルの幸せを黙って喜べなかった。そりゃ嬉しかったんだけど、でもそれと同時に悔しかった。本当は自分がスウェルを幸せにしたいと、そう思っていたから。
そんな事をゆっくりと考えながら、廊下を移動しているとブラウンがグレイのそばで笑っていた。グレイはウィニットに彼女が出来たんだと話して笑っていた。幸せそうだった。
ブラウンは優しい笑顔を浮かべながら、悲しそうな顔をしていた。
「グレイ、その子は敵の暗殺者なんだよ」
とそう囁いたけど、その声はグレイには届いていない。
俺は少し考えた。
自分は死んでいるんだから、もうスウェルにしてやれる事は何ない。そばで黙ってふよふよしていたってスウェルは喜ばない。俺が成仏して、天国で幸せそうなスウェルを見ている事をスウェルは望んでいるんじゃないだろうかと。
俺は思った。
俺は死んでいる。スウェルに殺されて死んだ。でもスウェルはそれを抱えて生きている。生きている人に死んでいる人は何もする事が出来ない。ただ、その人の幸せを願いながら見守る事しか出来ない。だったら、スウェルの幸せを素直に喜んで、成仏して何処に行くのかは知らないけど、“天国”でスウェルを見守ろうと。
スウェルはウィッシュとジェーンに連れられて部屋を出て来た。廊下でむっとした顔のボブが立っていた。
「スウェル、一つだけ言いたい事がある」
そう言ったボブは男らしく胸を張って、強い目でスウェルをじっと見つめていた。
「何?」
ウィッシュとジェーンは何も言わずにそんなボブを見つめていた。優しい表情で、仲良く手を繋いで立っている。ウィッシュの手を握って、顔を上げたジェーンはいつもよりずっと男らしく、カッコ良く見えた。
ボブの仲間はそんな二人の手を引っ張って、少し離れた所に移動した。不思議そうな顔をしていたウィッシュはジェーンの手を強く握り返した。
ボブはスウェルに向かってにっこりと笑った。
「俺はスウェルが短い間だったけど、本当に好きだった。だからスウェルをあきらめる。誰だか知らないけど、その男の事を絶対にあきらめるなよ」
珍しくいい事を言ったボブはそのままその場を立ち去った。仲間達を引き連れて、ウィッシュとジェーンに向かって微笑んだ。
「悪かったな、邪魔して」
そう言って微笑んだボブは少しだけ悲しそうだった。つらそうで、嬉しそうで、でも少し優しそうな、変わった顔をしていた。ボブの今の気持ちは誰も知らない。ウィッシュとジェーンはそんなボブが不思議だったのか、顔を見合わせて首を傾げていた。
俺はその後、ボブが廊下で泣いている所を見た。
ウィッシュとジェーンは気がついていない。スウェルは黙って遠離って行くボブの背中を見送っている。ボブの仲間と俺だけがボブの泣いている理由を知っていた。

ウィッシュとジェーンはレオンの部屋の前で立ち止まった。俯いていたスウェルの背中をぽんぽんと叩いて、ウィッシュとジェーンは黙ってスウェルを見つめている。
そんな二人の後ろをいろんな人が通り過ぎて行く。ざわざわとうるさくなってくる廊下をとぼとぼと歩いて行くボブの背中も少しだけだったが見えた。
「頑張って」
そう言って微笑んだウィッシュとジェーンに背中を向けて、スウェルは部屋のドアをノックした。

レオンはベッドで横になって、暇そうに天井を眺めていた。腕には点滴の針が刺さっていて、ぽつんぽつんと雫が落ちる音だけが部屋に響いている。誰もいない部屋の中にはたくさんの医療器具が並んでいて、組み立て式の小さな簡易机の上にはコップと薬が並んでいた。
「レオン、起きてる?」
スウェルは今にも消えてしまいそうな声でそう言って、部屋に入った。こつこつと小さな靴音をたてて、スウェルはレオンの隣りまで歩いて行く。勉強机のイスがレオンのすぐそばに置かれていて、スウェルは其処に腰掛けた。
「おきてる〜」
 そう返事をして、ゆっくりと起き上がったレオンは痛そうに顔をしかめて腹を押さえた。いつもと同じ、優しい笑顔を浮かべている。
「ありがと、あたしの事守ってくれて」
「気にしないで」
にこっと微笑んだレオンは腹をそっと押さえた。白い半袖のパジャマ姿なのに、いつもより少し出っ張って見える腹には何重にも包帯を巻いているのだろうか、其処を押さえて笑ってはいるけど、かなり痛々しい。
「どうして、あたしなんかを守ってくれたの?」
「だって友達だろ?」
そう言ってにっこりと微笑んだレオンはスウェルをじっと見つめた。いつもスウェルと一緒にいて笑っていたのはスウェルの事が好きだったからか? と思いながら、俺は何も言わずに黙って見ていた。
「そんな顔しないで、オレなら平気だから。昔もっと酷い怪我した事あるし……」
「それでも」
「大丈夫、何度も撃たれたから慣れてる」
レオンは笑うと、心配そうな顔をするスウェルを見つめた。優しい笑顔で笑ってから、部屋の外を見た。割られたガラスは元通り直されて、何らいつもと変わらない景色が見える。
「どうして、本当は“ジェネシス”って名前だって教えてくれなかったの?」
「ウィッシュにも同じ事聞かれた」
そう言ってレオンは皮肉っぽく笑うと
「その名前、嫌いだったんだ。キルと母親に捨てられて、泣いてるしかなかった“ジェネシス”の名前を背負って生きられるほど、オレは強くないから忘れようと思ってたんだ」
と言って、悲しそうな顔をした。
「ゴメン、黙ってて」
スウェルは突然思い立ったかのように立ち上がった。少し俯き加減のスウェルは、目を閉じて深く息を吸い込むとレオンの顔をじっと見つめた。
「スウェル?」
少しびっくりした顔のレオンは腹を押さえていた手を放し、スウェルの顔を見上げる。スウェルはゆっくりと目を開けて
「名前を変えたって、過去は捨てられないよ」
と呟いた。レオンは黙って頷いた。
「分かってる」
しばらく経ってからレオンはそう返した。悲しそうな表情をしていたレオンだったけど、スウェルがその肩を強く抱きしめた瞬間少しびっくりしたような顔をした。
「一人で抱え込まないで、過去は変えられないけどあたしはずっとそばにいるから」
スウェルはそのままレオンの耳元で小さく囁いた。それからスウェルは恥ずかしそうな声だったけど、はっきりと強い口調で
「愛してる」
とそう囁いた。









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